小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

憲法9条と学級崩壊

2014-06-05 09:00:45 | Weblog
昨日は打ち合わせを兼ねて外苑前の薬膳中華エッセンスでランチ。
仕事の話は5分で済み、あとは世間の四方山話となり、クライアントの知り合いの子どもが通う学校で割球崩壊が起こっているという話になりました。

その学校では、たった3人ほどの問題児のおかげで、学校全体の授業が立ちいかなくなっているということです。

おお、今でも場所によって公立学校の学級崩壊はすごいようです。

20数年前、私が厚木で教師をしていた時も、授業中勝手に出ていく生徒がいたものですが、それがほかの授業を妨害するほどひどいことはありませんでした。

話を聞く限り、状況は変わってないどころか、場所によっては悪くなっている感もあります。

学級崩壊がなぜ起るのか?
教員をやっていたものとすると理由は簡単で、教師に抑止をする権限が何一つないからです。

それにしても、学校側は3人の問題児の教育以前に、それ以外の生徒が授業を受ける権利を護らないといけないのに何をやっているのでしょう。

暴力による排除はいけませんが、どうしても授業の妨害を改めないとあらば、授業時間内は生徒を別の場所に拘束しておく必要もあるでしょう(あるいは停学、退学。根本的な解決になりませんが、ほかの生徒の授業はとりあえず護れます)。
それも暴力というのなら、学校側は何一つ暴れる生徒になす術がないということになりますね。



ただ、暴れる生徒を拘束・・・なんて、決して教育現場として感心できる行為ではありません。本当はそうならないように、最初から授業ができる体勢になっているのが一番なのです。

きれいごとをいくら並べても、生徒によっては先生や学校側に力がないとわかれば、ナメてかかります。
悪いことをしてもペナルティがないとわかれば、カサにかかってくる生徒はなくすことはできません。

そもそも、先生と生徒を同列しようと教壇を撤去するような考え方自体、教育者として失格です。先人が築いた知識や技術を教わるのに、先生を敬わないシステム自体、論外でしょう。

先生に対してタメ口を許すなど論外(そう言いつつ、戦後教育を謳歌した私たちはタメ口を叩いてましたが、それは別)。先生には敬語で接する規則が必要でしょう。

「花子とアン」の女学校を見てもそうですが、昔の方がそういうシステムはキチンとしていたようであります。



ただ、いったん崩壊した学校を、そのような形にするのは至難の業。

憲法9条というのは、いわば教師から権限を奪う教育システムと同じです。

憲法9条と現行の教育システムは、戦後、GHQが作ったものですから、同じ兄弟みたいなもので、似ていたところで何の不思議もありません。
教師の権限を奪う、日本の防衛力を阻害するという点では、何ら変わるところがありません。

南シナ海で横暴を繰り返す中国の現状を見て、まだ憲法9条をお題目のように唱えるというのは如何なものか。

かりに日本が中国に占領されたら、今、チベットやウイグルの人たちがされていることより、はるかに恐ろしい迫害が待っていることでしょう。
それを世界の人たちが護ってくれるかといえば、チベットやウイグルを見ればわかる通り、何もしてくれません。

憲法9条、いったいどの国の立場に立った憲法かと、思わざるを得ないのですが、みなさまは如何お考えでしょう。
コメント
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