漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

『坊っちゃん』の時代

2006年05月28日 | 漫画のはなし
 前回、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)について書いた。
 それで、ふと思い出して、本棚から一冊の漫画を取り出して、再読した。

『坊っちゃん』の時代
原作/関川夏央 漫画/谷口ジロー


がその本。

 この本の中に、ラフカディオ・ハーンが少し出てくる。とても寂しげなハーンの姿で、印象的だ。

 この本を初めて読んだのは、今からもう20年近く前。高校の時、友人が貸してくれた。稲垣足穂などを知った頃で、明治から昭和初期に至る、「ハイカラ」という言葉の似合う時代に惹かれていた。この漫画も、そうした流れて読んだ。
 だが、それから時間が経って、今この作品を読むときに感じるのは、明治という日本が急速に西洋化していった時代の「歪み」だ。そしてその次に、この時代に生まれた歪みは、今に至るまで、歪んだままだと考える。作品の最後の方で、『坊っちゃん』を執筆しながら漱石が呟く「所詮、『坊っちゃん』は勝てんのだ。時代というものに敗北するのだ」「それでも、坊っちゃんは勝てんのだ」という言葉は重い。
 
 この漫画は、全部で五部に分かれている。第一部の主人公が漱石、第二部が鷗外、第三部が啄木、第四部が秋水で、最後にまた漱石に戻る。だが、僕が読んだ事のあるのは、その最初の作品のみ。今回再読して、いろいろと感じるところがあったので、残りも読んでみようと思う。