漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

小泉八雲

2006年05月27日 | W.H.ホジスンと異界としての海
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品は、ずっと読まないで来てしまっていたということを、以前に少し書いた。改めて読んでみて、その面白さに、これまで読まずに来てしまったことが惜しかったと。
 その後、ハーンのことは、改めて読んでみようと思いつづけている。手元には、講談社学術文庫版の「日本の心」と「明治日本の面影」がある。本棚に、なぜかあったものだ。まだ読んでいないが、面白そうだ。
 
 小泉八雲は、1850年、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンという。両親は結婚してダブリンに住むようになったが、まもなく父が単身で他国に赴任したため、一人で故郷を離れた地で幼い息子を育てることになった母は、寂しさのために心を病み、幼いパトリックを大叔母に預け、ギリシャに帰ってしまう。その後は、フランス、アメリカなど、各地を点々とする運命に弄ばれて、最後には日本へ。そして一生を終えた。詳しい経歴は、ウィキペディアの小泉八雲の項目を。

 写真は、新宿区大久保にある、小泉八雲記念公園。
 街中に、ぽつりとある、ちいさな公園だ。
 あまり考えずに撮った写真なので、よくわからなくて、申し訳ないが、ギリシャ風の庭園を意識して作られているようだ。だが、残念ながら、庭園というには余りにも安っぽい雰囲気が漂っている。
 この公園がある場所は、コリアタウンとも言えるような場所。街にはハングル文字が日本語よりも目立ち、公園にいる人々の間には韓国語が飛び交う。
 生涯、異国の地を漂流する運命にあったハーンの、終の住処がこのあたりにあった。
 ハーンの生涯を思い、今のこの地を見渡すと、あまりにも相応しいような気がする。