漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

2006年05月30日 | 記憶の扉
 子供の頃、悪いことをすると、よく蔵に閉じ込められた。
 大抵は、夜だった。
 蔵は、母屋から細い路地を抜けた庭にあった。灯りのない庭には、納屋が二つと蔵が一つ面していた。
 納屋には扉もなく、農具などが収納されていた。蔵は中で二つに分かれていて、その片方には、みかんの収穫の時などには、一面にみかんが敷き詰められた。残りの片方には、古い箪笥などが、雑然と収納されていた。
 夜、母親に叱られ、それでも大人しく寝ないでいると、抱きかかえられて、蔵に連れて行かれた。泣き叫び、梁にしがみついたが、所詮幼い子供の力だ。否応なく運ばれた。細い路地には、細い溝があり、饐えた匂いがしていた。虫の声もしたし、土の香りもした。それから、勿論月の光があった。運ばれていた時は、必死に抵抗していたのだが、今思い出すと、そうしたことがいちいち思い出せる。
 蔵に放り込まれ、必死で出ようとする体をまた奥に戻され、鍵を掛けられた。蔵の中は、その瞬間から別の世界に変わった。蔵の中には、何か恐ろしいものがいる気配がした。ごめんなさい、ごめんなさい、もうしませんと叫んでも、なかなか扉を開けてはくれない。服はパジャマで、足は素足。足の裏に、砂の乾いた感触がする。蔵のなかは、玉葱のような匂いがしていた。
 大抵は、蔵に閉じ込められていたのは、五分から十分くらいのものだっただろう。だが、叫びつかれて片隅に蹲っていると、それが何時間にも感じたものだった。最後には、ようやく出してもらえるのだが、母の背に負われて家に戻ると、まず最初にすることは、玄関先で足を濡れたタオルで拭くことだった。
 時々思い出す。
 しばらく蔵に閉じ込められていてようやく開放された時、暗闇に慣れた目には、庭が、月の光で青白く見えていた。その光景のことを。
 夜の色彩を、僕は、あの頃に覚え始めたのかもしれない。

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