漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

レムリアの記憶・・・解説(1)

2010年12月14日 | レムリアの記憶

 長い間連載を続けていた「レムリアの記憶」の翻訳を、ようやく全てアップし終えた。かなり適当に訳していたので、用語などに整合性もないし、本来ならこれを第一稿として、これから本格的に手を入れてゆくべきなのだろうが、それなりに苦労もしながら訳しておいてこんなことを言うのも何だけれど、内容が本当に無い作品なので、なかなかそれをする気にもならないでいる。白状すると、一度ざっと訳したものを読み返すことさえほとんどしないままアップしてきた。当然、誤訳も相当多いはずだ。いいかげんなことをするな、と叱られそうだ。それでも、こうして初めて全体を日本語に移したのだから、まあそれなりに意味はあると思う。
 「シェーバーミステリー」については、悪名が高く、以前にも書いたことがあるように、カール・セーガンの「悪霊にさいなまれる世界」などでも槍玉に上がっている。以下に、「SF雑誌の歴史」(マイク・アシュリー著、東京創元社刊)より抜粋を引用する。

 これと同じ時期、〈アメージング〉で最大の”でっちあげ”が火を吹こうとしていた。筆者はいま、わざわざ"でっちあげ"と引用符でくくったが、それというのも、パーマーがその価値があるあいだだけ《シェイヴァー・ミステリ》の芝居を続けたのに対し、リチャード・シェイヴァーは終始、自分の信念を畏き通したからだ。
 一九四一一.年九月、パーマーのもとに、ペンシルヴェニア州バートに住むリチャード・シェイヴァーから一通の手紙が届く。そこに記されていたのは、あらゆる言語の源だとシェイヴァーが主張する、古代語「マントン」のアルファベットを解く手がかりだった。パーマーがくアメージング〉一九四四年一月号にこの手紙を掲載すると、読者からの反響が殺到した。パーマーは、軍事工場の溶接工をしていたシェイヴァーと、文通を続けることになる。シェイヴァー-はかつて商船会社に勤めていたが、乗船中に転んで肘を痛めて退職、その怪我のせいで兵役にも取られずにいた。
 シェイヴァーはパーマーからの作品依頼に応じて、「未来人への警告」と題された中篇を執筆。届いた原稿を最初に目にした〈アメージング〉の編集補佐ハワード・ブラウンは、一読するなり、それをくずかごに放りこんでしまう。「なんてイカれた野だ!」。しかし、パーマーはブラウンの意見にくみしなかった。その原稿を読む前から、彼はそれを掲載して、シェイヴァーに対する読者の反応を確かめるつもりでいたのだ。パーマーには、興行手腕と市場調査とはったりを組みあわせれば売れないものはないことを、ブラウンに見せつけてやりたいという気持ちもあった。
 シェイヴァーは後年、この最初の作品はすべて自分が書いたものだと主張している。しかし、パーマーは、自分が「シエイヴァー氏から寄せられた百万語を超える書簡に基づいて組み立てたのだ」と言い張っていた。パーマーは、一九四四年五月号から予告をはじめ、「〈アメージング〉の歴史ではじめて、真実の物語を読者に提供する」、さらには「信じろとは言わない。信じずにいられるかと問うのだ」と、読者の注意を引いている。パーマーはさらに一九四四年十二月号で、事前の大風呂敷をひろげている。そこでは、シェイヴァーの誠実な人柄と、その手記についての彼の信念が謳われ、本当にシェイヴァーが失われたレムリアの詳細を受信したこと、そしてその記憶を注ぎこんで、手に汗握る物語を慎重に書きあげたと述べている。つまり、どこまでが事実で、どこまでが創作か、あらかじめ曖味にされているのだ。
 パーマーはその作品を「レムリアの記憶」と改題し、一九四四年十二月八日発売の一九四五年三月号に掲載した。


 こうしてちょっとしたブームとなってゆくわけだが、古くからのSFファンからの反発も多かったという。ウィキペディアにもこの辺りのことは詳しいので、リンクを貼っておく。

 リチャード・S・シェイヴァー