漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

尾崎豊

2007年04月25日 | 音楽のはなし

 仕事から帰って来て、新聞を読んでいた時、小さな記事に目が止まった。
 尾崎豊が亡くなった場所に隣接した民家をかつて「尾崎ハウス」として開放していた方の記事だ。それを読みながら、そうか、今日は尾崎豊の命日なんだと思った。
 もう、何年前だろう。十五年?それとも十六年?いずれにしても、もうそれだけの月日が過ぎたことに驚かされる。

 問答無用の名盤というものがある。
 僕にとってそれは、例えば邦楽では、古くはあがた森魚の「乙女の浪漫」だったり、桑田佳祐の「孤独の太陽」であったり、最近ではシャーベッツの「シベリア」であったり、他にもいろいろあるが、する。そうしたアルバムの中に、尾崎豊の最初の三枚のアルバム、とりわけファーストの「十七歳の地図」が、含まれている。
 十代の頃、何度聞いたかわからない。その頃僕はこのアルバムをカセットテープに録音して聞いていたのだが、「街の風景」から始まり、パーソナルな「十五の夜」でA面が終わる。そして暫くの空白のあと、テープを裏返して、「十七歳の地図」からまた始まる。今でも思い出せる。「十五の夜」が終わった後の、不思議な高揚感が。僕はこのアルバムの中に、いろいろなものへのいらだちと、東京への憧れを投影していたのだ。

 尾崎豊が死んだ時、僕は東京にいた。
 だが、もはや彼の曲を聞くことも殆どなくなっていた。
 だから、その死には驚いたものの、今に至るまで、「尾崎ハウス」を訪れようとしたこともない。ただ、時々彼の曲を思い出し、もはや裏返す必要もないCDをデッキに差し入れるだけだ。
 この数年、尾崎豊の名前を聞くことも、めっきりと減った気がする。
 今の学生には、もはや尾崎豊の描き出した詩の世界は、牧歌的な神話に映るのかもしれないとも思う。学校はもはや敵としては余りにも脆弱で、彼らが立ち向かわなければならないものは、もっとつかみ所のない、現実の世界そのものだろうからだ。
 それでも、尾崎豊の音楽を聴くと、その声の説得力に、僕はいつも心を動かされる。声には、やはり理屈を超えた力があると感じる。日本で、これほど完璧なカリスマとなったミュージシャンは、他にはいないのではないだろうか。思い当たるのは、阿部薫やhideだが、やはり次元が違う。

 今から二十年ほど前、東京に出てきて、新宿の副都心のビル群を歩いた時のことを思い出す。あれは、とても風の強い日だった。僕は行き場を無くしたような気持ちで歩いていた。その時、オレンジ色の夕陽がビルの窓に反射して、目を射た。その時のことを。
 センチメンタルな、昔ばなしだけれど。