漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・26

2007年04月02日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 時が流れに流れ、またさらに流れた。時間は次第に現実感を失い、私にとって、もはや一日も一週間も変わらなかった。現実も夢も書物の中の世界も、境界線が曖昧になって、溶け合いつつあった。あれほどあったキャビネットの中の種も、一段目の引出しはすべて空にしてしまい、今では次の引き出しに移り、それも半ばなくなってしまっている。一つの引き出しに入っていた種の数が幾つだったのかはわからないが、一年や二年でなくなってしまうような数ではありえなかった。だから、控えめに見積もっても、おそらくは数十年は過ぎ去ってしまっているはずだった。その年月は、塔の書棚を見ても知れた。塔の一番下の棚までぎっしりと詰め込まれていた書物はもう、地上から十数メートル分まで失われ、空いた棚ががらんと並んでいるだけになっていた。
 それにも関わらず、私の姿は全く衰えることがなかった。案外、人魚の肉は本物だったのかもしれないぞ、と私は思った。そうでなければ、今ごろは私はもう初老に差し掛かっていてもよいはずだ。そう、私はこの長い年月で、結局は人魚の肉を全て平らげてしまっていた。だから、この不思議な現象の理由は、それか、あるいはもうひとつしかなかった。もうひとつ、というのは、私はもはや肉体を持っていないという可能性である。だが、私は自分の身体を撫でてみて、その可能性を否定した。これほどしっかりと感じるのだ、肉体がないなどということはありえない。私はそう思った。そう思いたかった。
 時々、彼女の夢を見た。あるいは、空想の中で彼女の姿を追った。彼女も、変わらぬ姿で私に向き合った。私は言った。果てしない時間が過ぎ去ってしまいました。すると彼女は私に告げた。あなたがデュモルチへ辿り着くまでには、そしてそのさらに先の、本当に目的とする場所に辿り着くには、ほとんど永遠とも思える時間が過ぎ去ってゆくでしょう。私は言葉に詰まり、彼女の瞳を見た。そしてやっと言った。その言葉は、以前も聞きました。しかし、それだけの時間は、もう過ぎ去ったのではありませんか?だが、彼女は微笑み、永遠とはそれほど短い時間ではありませんと言った。私は眩暈を感じたが、両手を広げた。ですが、あなたは今そこにいるではありませんか?どうかこの腕の中に滑り込んで来てください。触れ合えば、その呪いのような言葉は全て霧散し、ただ一つの愛が残るでしょう。だが彼女はやってきてはくれなかった。私は虚しく手を広げていた。そして、じっと見詰めていると、気がついた。目の前にいるもの、彼女の姿をしているものは、巨大な帆船のフィギア・ヘッドだった。その船は海の遥か沖に浮かんでいた。そして、ゆっくりと舵を切り、霧の中へ去っていった。
 
 七色の種から発芽した木は、生長するに従って塔に寄りかかり、幾つもの幹に分岐しながら、絡まり始めた。塔の表面は、絡まり合うしなやかな枝でびっしりと覆われ、有機的な様相となっていった。あるいは、まるで色鮮やかなコードが絡み合い、空を目指しているかのようでもあった。