漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・31

2007年04月15日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 何日分もの夜が過ぎた。太陽は姿を見せなかった。闇に閉ざされた塔の中を、ランプの灯りだけで行き来するのは、骨が折れた。だが私は、毎日の勤めだけは欠かさなかった。その来れば分かるとあの男は言ったが、この闇が「その時」であるとは思えなかった。だから私は、夜が晴れる日を待ち続けることにしたのだ。
 毎日、闇に向かって種を蒔き、書物を解いた。時間などわからない。全ては自分の感覚で捉えた一日だった。そうした中でも、塔を包み込む樹は、確実に生長していた。だが、いったいどこまで伸びているのだろう。小さな星の光だけが頼みのこの闇の中では、はっきりと捉えることができなかった。私は窓から手を伸ばして、樹に触れた。それは、まるで生き物のように、生暖かく感じた。さながら、塔を這う血管だ。
 ある時、ランプの灯りの傍らに座って、いつものようにぼんやりと窓の外を眺めていると、辺りが何となくぼんやりと明るく感じた。空ではなく、大地の方が、微かに明るいようなのだ。私はランプの灯りを消して、目を凝らした。目が闇に慣れてくるにつれて、その疑いは確かなものとなった。平原を、見渡す限り覆っている草の波が、仄かに燐光のような光を放っているのだった。それは余りにも微かで、頼りなげだったが、確かに光だった。それが、ふと吹いた風に揺れる様は、幻想的としか言いようがなかった。まるで海一面に夜光虫が漂っているかのようだった。
 私は言葉がなかった。世界は確かに動いていて、次にやってくるものの予感を孕みつづけていた。どれほどの停滞も、真実の停滞ではなかった。仄かな明かりの中で、私は自分の手を見詰めた。手は、いくらか年をとったようにも見えるが、殆ど変わらない。私はその手を、頬に当てた。手は、この数日剃っていない髭に触れた。私は年をとらない。だが、髪や髭は伸びる。私はそんなことを考えていた。
 草原の青い光は、それから数日かけて、少しづつ明るくなっていった。そして、ある地点で落ち着き、もはやそれ以上にはならなくなった。
 
 誰かの気配で、目覚めた。
 少なくとも、そう感じた。目覚めながら、私はこの部屋の空気がいつもとは違う香りに満ちていることに気が付いた。それは懐かしい香りだった。香りは私を刺激した。私の目が自然と潤み、頬に涙が伝うのを感じた。
 私は身体を起こした。仄かに青い部屋の中に、私はその香りの元を捜そうとした。だが、実際には殆ど捜す必要などなかった。部屋の、かつてあの男が立っていた場所に、人影があった。
 彼女だった。