つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

暗い道

2009-07-21 | Weblog
人の上に立つべきでない人が人の上に立ち、
指導力を欠く。
親分肌の人と、脇に立ち影となって力を誇示する人と、
確かにその道に適うべき人がいるものだ。
適うべきところに適うべき人がいないと、
物事は歪んでしまう。
今の日本社会は、日本そのものがちぐはぐとなっている。
優れた監督は、選手時代、優れた選手だったとは限らない。
むしろ、目立たなかったほうがおおいものだ。
優れた選手は、優れた監督になりえるとは限らない。
むしろ、指導統率力に欠けるものだ。
一概に何かに長けているからといって、何にでも合うということは無いものだ。
また、その血筋を引いているからとて、優れるかといえばそうとも限らないものだ

今、眼のあいた人はいない。
何々もどきが多くて、人々は苦しむだけ。
眼開けて、眼あいている人をみぬけなければ、
日本丸という船は沈む。
ただ、敷かれたレールのうえを歩くだけの人は舵取りはできず、
脱線沈没だけである。
迷走する飛行機が墜落する道をたどるように、
今まさにそうなっている。あえなく、どん底となる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆、例外なく・・・

2009-07-20 | Weblog
誰でも幸せになりたいと思って生きている。
あの人にもこの人にも欲望がある。
皆、自分だけは辛い思いはしたくない。
自分は、自分だけはと思って生きている。
誰かの欲望のために、その欲望の絡み合いの結果としてのトンネルを抜けて、
この世に生まれてくる。
あちらからこちらへと、一人で、何かの縁をもって。
一人では何もできないために、群なって生きていく。
一人では何もできないために、支えあって人となる。
支えあうことをしないで生きていくことは、人という字にならない。
人であって人でなし。それは、直滅ぶ。
人でないのだから、直、淘汰されていく。
今そんな人が増えてきた。人の姿をした藐。
目には見えない悪魔な姿の人達。
だから、さて、いよいよ、世が歪んできた。
軋みをあげて、あちこちでその兆しが現れ始めた。
あなたは明日も、様々に嫌な、悲惨な事の起こりを見聞きすることだろう。
まさか、自分の周りだけはそんなと思いながら、普通な生活に、
非日常を思うことがなく。

救いとなるのは、般若心経ただ一つ。
最速最強の訓えである。一般大衆にとっては尚更。しかし、
それも、ほとんどの人に縁遠い。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

垣間見ている

2009-07-19 | Weblog
糞にたかる虫がいる。
その虫たちは、それが汚いものだとは思っていない。
当たり前の世界で、汚いとかきれいとかいう感情の無い世界である。
一切感情の動くことが無い世界であるために、
不垢不浄の世界という。
我々から見れば、まさに地獄の世界であるにもかかわらず、
一切の反省されない世界である。その世界に生れ落ちるものは、
それが当たり前となって、地獄とは思わないで生きていく。
苦しみが当たり前の世界となって、正しい世界であるとなってしまうために、
くる日も来る日も苦しむのである。
地獄とはそういう世界である。
落ちてからでは救われることが無い世界であるために、人生、
地獄に落ちるようなことをするなという。
悪に縁を結ぶなという。

死が人の経験とならないために、何度いわれても信じない。
しかし、人は100%死ぬ。
死んだ瞬間、そうだったかと気がついても、
もう遅いとなる。
人の常識では計り知れない。
生きている間、気がつく人だけが、正せる時間を持っているのであるが・・・。
糞にたかる虫たちの世界を見て、この世において、少しでも
地獄の様相を垣間見ることができるひとつの場面である。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自浄其意

2009-07-18 | Weblog
「自らその心を浄めよ」
それ以外救われる道は無い。
他は、
ただ気づきをあたえられるだけである。
神にしても仏にしても直接救うことはできない。
訓えられることによって、気づく人だけが
救われていく。
「気づく」ことである。善いことに。

善いことには良いものが集まり、
悪いことには悪いものが集まる。
良いものには善いことが集まり、
悪いものには悪いことが集まる。
綺麗なものには綺麗なものが集まり、
汚いものには汚いものが集まる。
綺麗なものには美が、
汚いものには汚れがよってくる。

人生、身も心も、自らの掃除によって輝く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じきに得る物質

2009-07-17 | Weblog
私たちは片時も止まることなく動いている。
それは、私たちを作っている法が円運動となって、
一瞬たりとも、止まることの無い動きとなっているためである。
すべてが変化という移り行くものとして成り立っている。
今の時は、やがて進化という変化をたどり、高度な技術を得ていく。

私たちは、船という乗り物に乗って、いろいろな処へ移動する。
それは、車であったり、飛行機であったり、と、様々な技術の結晶の上に
委ねられている。
今はまだ無いが、まもなく、金属とも硝子ともつかない物質ができあがる。
それは、隙間を持たない、隔たりを作ることなく境を分け創られるものである。
たとえば、車体と窓の境がなく、車体と窓が分けられる。
凹凸がまったくなく、ツルリとしたものである。
しかしながら、壁と窓がわかるものである。
開閉が自由で、閉じられればまったく切れ目の無い一体性を持つ。
瞬時に色素が変化し、時に応じて見え隠れできる。
柔軟で、頑固さを持ち合わせている。
摩擦抵抗を持たず移動する。
そのような物質で作られた船に乗り、遠くを移動する。
そう遠くない未来の、新しく生まれ変わった地球の人の技術である。
破壊と消費を克服した人の、知で恵た技術。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知的生命体

2009-07-16 | Weblog
この宇宙には、知的生命体が数多くいる。
彼らはその優秀な知能をもって、私たちがまだ知り得ていない
未来を知っている。

彼らは、なしてはいけないことを良く知っているために、
むやみに何かを害うことをしない。
害うことによって同等に害われることを熟知している。
彼らは愛する者である。
愛する者とは、愛するものが愛するものになす行為を、
自らになしていることである。
他を害することなく愛しむ者こそ、自己を愛する者という。
高度な知的生命体は、
他を害することは、自分を害していることを知っているのである。
他を愛することは、自分を愛していることになると知っているのである。
彼らは、一様に平和主義者であるといえる。

道理を知るものは、よく道理に守られることを知っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝はすでにあるのに・・・

2009-07-15 | Weblog
仕方ないことが多い。
世は混沌として、悪くはなっても良くなることは無い。
今日もまた聞くに堪えない、目に余るニュースが雑に入ってくる。
誰を信じて、何を信じて生きていけばよいのか
わからなくなってしまうほど、世が廃れてきた。
ただじっと、智慧の目でもって、般若心経を思う。
唯一、救いとなる力のある訓えで、
信仰も知識も宗教もわからなくても、
般若心経さえ正しく理解するだけで、
人は救われると説いている。
送信はなされている。正しい受信器があれば
事はそれだけでかなう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕方なし、かな

2009-07-14 | Weblog
世間的につぶれることの無い公職についていながら、また、立派な?企業といわれるところに属していながら、
道徳に反することをする人が後を絶たない。
けっしてしてはならないことを、ずうっと教育されてきているにもかかわらず、
魔がさすというレベルをこえて、わかっていながら、
自分だけは大丈夫かもという底辺の心持で、
安易に悪を為す。
教養とそれなりの家柄を持っていたろう人達、世間的にうらやまれるところにいる人達なのに、道徳は欠けている。
人の心は誰も見抜けないほど、いやらしいものだ。
教養は助けとならず、それなりの努力も為とならず、刹那の快楽に
人は溺れる。
もどき人間のなんと多きことか。
本物と呼ばれる人間を久しく見ていない。
そんな世だもの、末法滅法、滅ぶ寸前、淘汰されるのも致し方無いか・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死ぬほどの不況となる

2009-07-13 | Weblog
昭和30年代は
まだ皆貧乏だった。
職が無くても、それなりに眠るところはあった。
職無くして住むところまで無くなることは、あまりなかった。
今、日本は一億総中流意識の中で、経済的に豊かとなっているのに、
生きていくことさえままならないほど貧困に喘ぐ人達が増えている。
昔は物資豊かならずとも、心豊かで、
それほどお金が無くても、おいしいものを食べることができたものだ。
お互いに助け合って生きていけたものだ。
今は、お金が無い人は悪で、どこと無く虐げられる。
お金を稼ぐのに不器用な人は、恥を忍んで死に直面する。
物資豊かで、心置き去りにしてしまった今の日本は、
その恥を忍んで、過去、例をみない不況に死を見る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい電波になってすぐにも

2009-07-11 | Weblog
新東京タワーが完成し、一年も経たないころ、
その電波は悲しい報道ばかり伝えることになる。
まるで悲惨な事実を詳細に伝えるべく創られたかのように。
次から次と起こる哀れなる出来事に、
目を見張り耳を奪われ、心沈み、我が身の不安にいよいよ真実さを覚える。
もう他人事ではないと思えども、危機感に薄れた現在の日本人においては、
ことさら慌てふためき、なす術を知らない。
身近で、新聞沙汰の事柄が起こりすぎて、疑うこと頻り、身震いし
うずくまるだけ。
他人の芝生がよく見えて、あの人には負けたくないとか、
あの人より先にとか、あの人より上へとか、あの人より・・この人より・・と
競い好き、負けず嫌い、の
情け無い生き方の顛末は、うそ寒いものとなる。
寒いものは、いずれ涸れはてる。
一年の終わりが冬で締めくくられるように。
そのようにして、時代は暗く人々にのしかかる。

いまいちど、強いものは財を解き放ち、か弱き者たちを
潤すべきである。
地位と名声と財の執着は、得てして不幸に行き着くものである。

地球は、人の便利のみに作り出された
汚れという副産物(愛情の欠如)の浄化に入った。
お釈迦様が去って二千五百年も経った頃と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする