一心に信じる、と
その念い、一念岩をも通す、となり
思い通りの現象となっていく。つまり、幻想が現れてきて、
その幻想に振り回されてしまう。どういうことかと言えば、
神仏を一心に信じることに由って、自身の心に神仏が現れてくる。これは本来事実として現れているのではなく、脳による錯覚、錯誤である。幻覚である。
「錯覚」=事実と違ったように見たり聞いたりすること。
「錯誤」=その人がそう思っている事と客観的事実とが合致しないこと。
「幻覚」=極度の疲労や脳お機能障害などによって、そこの無いものが見えたり聞こえたりすること、と辞書にある。
まーなんと言うか、催眠に掛かったような状態、’信じる者は救われる’に陥る。
ある意味ピンチ(混乱)状態となる。宗教というのは洗脳でもあるために、
掛かってしまうと、自ら疑う事は無い。その現象に振り回されてしまうのは、
心が、地獄の世界となっているためである。今で言う、バーチャルリアリティー(仮想現実)である。その世界に入ると写実的でもあるために、ほんとの現実と区別がつかなくなってしまう。地獄の世界となっていることに気が付かなくなり、寧ろ、写実的描写となって疑う余地も無くなる。その洗脳を解くのは難しい。自らが顧みる(省みる)気持ちが必要となる。
全てが「自由」であるためである。
「描写」={小説・絵画・音楽などで}実際の状態・情景をできるだけ客観的に写し表すこと。
私達は、「客観的に」としてあるも、それ自体が主観である。
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