つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

あの世とこの世、少しも変わらない世

2014-09-06 | Weblog
是がすべての法則である。是諸法と説かれているもので、エネルギーの
円運動である。
円運動となっているために止まることなく動き繋がっている。
その形は円く閉じられていて、だから、有限にして無限の様である。
形なきものとして水が上げられるが、空中に舞えば円となる。
その様に、すべての物体は円にして存在となっているために、
根本は永遠の存在である。
それは、一日が終わりまた一日が始まる様なものである。
少しも減りはしないし増えもしないという有り様である。
変化しながらというのが適当である。
人も是によって作られている存在である為に、その動きが止まることが無く、
常に動くものとなっている。そのために、じっとしてはいられなくなっているのである。

一日が二十四時間で終わるように、人の心臓、その一生凡そ二十億回の鼓動で終わる。
終わるのであるが、また明日という今日と変わらない一日に繋がっている様に、
人の命もまた繋がっている。その姿かたち、心の様によって縁を持ち母胎に宿る。
して、再び誕生、同じだが違う人生を受ける。
それは、昨日と今日、明日という一日の様に同じである。
その時の長さは、ある周期をもってそれぞれになっている。
一秒が一分、一時間、一日、一週間、一ヶ月、一年・・と言うように、
各事にある変化の周期を持つのである。円運動であるためである。
回るために変化が生まれ時が流れるのである。
動きの無いところには変化は無く時は無い。だから空間も無い。
それは、廻るという根本に変化は無く、そのために時が無く、
是が永遠となっているのである。
一日と次の一日には間が無く瞬時繋がっていく。間がゼロとなっているためである。それと同じように、
この世とあの世も即繋がっている。人の一生が終えれば、即この世はあの世となっていくのである。
それが「色即是空」として説かれているのである。死ぬと、この世は即あの世となると言っているのである。
また、「空即是色」として説かれ、あの世もまた是によって即この世となると、人の生死が輪廻の法則となっていることを語っている。
それは、法則が是であり、エネルギーの円運動となっているためであると説いているのである。それが諸法であり、すべてであると
説き訓えているのである。因みに、死後の世界は是の絶対世界であるために変化が無い。故、時間と空間を持たない。
どんなに長い間居ようとも、時間ゼロの世界である。だから、即あの世とこの世が繋がるのである。
夢がこの世と少しも変わらないように、あの世とこの世も少しも変わらないのである。
心の記憶の現象世界である。
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