つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

永遠である

2013-09-24 | Weblog
誕生し成長して旺盛となり衰退して亡くなる。
時の流れの知るところである。
未来には百パーセント死があることが分かる。
神でなくとも誰でも知っていることである。

亡くなって死後の世界へ逝くが、死後の世界もこの世と変わらない世界である。
それは、心が作り往くのであって、記憶で作られているからである。
記憶が無いものは現象にならず、世界とならない。
だから、もし、地獄に行きたくなければ、悪を思わないことである。
記憶に悪が無ければ地獄は作られない。でも、少しでも悪があれば天国は作られない。
死ぬということはそういうことである。
生前が大事なのはそのためである。悪をなすなというのはそのためである。

誕生し成長して旺盛になり衰退して亡くなる。この一連の流れは円の動きである。
だから、繰り返す。永遠という。法の動きである。これを是という。日の回りが絶対正しいとして、日が正しいと書いている。
諸々の法則となっている。これがエネルギーの法則である。エネルギーの自由で作られている。
この法則の下、物語である。
一旦という区切りをもってまた新たに始まるのである。
その一旦がゼロという時間空間の無い世界で、空白となっている。
けっして知ることのできない世界である。それは、その人の心の世界であるために、
人の心の中には入り込めないように、また、その人の記憶が現象となってしまうために、
一切残らなくなる。空白(ゼロ)となって繋がっていく。縁あって、
再び誕生となったとき、前世の記憶は消えていることになる。子供の動きとなって、
無知となっている。そうして、心は悠久生き続ける。魂という。
繰り返し繰り返し生き続けた経験の思いが統一されて現在の心となっている。性格、性質となる。

あの世で暮らした時のことは心の空白となるために、つまり、時空がない(ゼロ)ために、思い出すことはできない。
だから魂(生命)の空白の時として、あの世を「空」として仏は説いた。


コメント
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