つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

あぁ~ぁとため息

2013-09-01 | Weblog
年収ン~千万ある人は、
増税されても暮らし向きにさほど影響はないのだろう。
年収百ン~十万、はたまた、五百万未満では生活も四苦八苦、
預貯金どころか保険、年金に掛ける金もままならない。今日明日食べる生命維持食料と、
あーでもないこーでもないと取られる税金に翻弄される。
子供を産むのにも金がかかる。後で返ってくるといっても、なら最初から取らなければもっと産みやすいだろうに・・。
いやいやそれではどうのこうのとまた理屈を述べられる。
人が減れば国勢にも影響するものを、取りも直さず、単民族、絶滅民族となりつつある。
死んでいくのにはさらに金がかかる。本人は死んでいくからいいとしても、あとに残された家族は大変だ。
葬式やら墓やらで
ん~百万円、そんな時、罰当たりにも天涯孤独であればなどとふしだらを思うも、情けないものである。
あぁ~生きていくのは難しい、苦しいものだとつくづく思う。
長生きは、健康であって金があればこそのことである。
まぁ、それもこれも自分の生き様にあってのことであるから仕方ないに至るのであるが・・。

国の借金、疾うに千兆を超えたとあった。
それにかかわる政に治める者たちは、年収ン~千万、まぁ金持ちであるのに、
誰一人、自らの給与一年間でもいらないという人はいない。金持ちは金持ちなりに金がかかるのだと最もを言う。
とても裕福な生活であろうがために、付き合いも大変として・・。
自分は粗末にして、民が少しでもと配分を分けあう男気のある指導者たるはいない。
自分の懐はさておいて、金がないからと増税を言う。
自給800円程度で生活する民が大勢いるが、とてもそんな生活知るようにも知れないだろう。
階級が違うのだから、豊かになりたければ偉くなりなさいというものであろうか。
とかく、親のありがたいレールに敷かれた道を行くものは言う。

肉体を維持するのは、金持ちも貧乏も同じである。
金に任せて美味しいものばかり食べては害となる。たくさん食べても害となる。
食べなくても害となる。ほどほど適量、裕福も貧困も無い。

生きていれば生きるほど悲しいことに出遭い、不条理を感じ、
悔しさと寂しさと涙ながらの日々を過ごす。
あの人も死んだ、この人も、あの友、この友、親が子がと親しいものが死んでいく悲しみに出遭う。

金持ちはケチで、金があればあるほど吝嗇に走る。
自分の金儲けには首を突っ込みたがるが、儲けとかかわりなければ出し惜しみこの上ない。
だから金がたまる。
とっても儲かるというのは、悪いことをしていなければ儲からないものである。
極端な言い方であるが、人の為にというのは奉仕以外にない。
人の心に投げかけるものがあって、持ちつ持たれつが生まれていくものである。
布施をするというのは、見返りを求めて行っては何の徳も無いものである。

世の中、道理を見てわかるように、たまるものは腐る。
滞る、止まる、動かないとするものは腐敗してしまうのである。
一時悪臭を放ち周りを損ねながら、やがて無くなる。
全体的に時間は進むために、過程として動かないでいるものと、積極的に動くものとの違いで
害と益に分かれる。そうしてみんなゼロという元に戻っていくが、過程に徳が積まれたか否かは残る。
そこに、あの時はまだできなかったが、今はできるようになっているという違いがあり、それは後世にまで残っていく。
それが進化という巡りいく螺旋である。だから、努力はいつか必ず報われていく。
エネルギーという質、進化である。努力がなければその逆、退化となる。それは、天国と地獄というふうにあらわされる。

物は使われて役目を果たし、使われないでしまわれていては、諸々に害となって現れてしまう。
金も御足といわれるように、すぐに使われて役に立つ。人の為に使えばまた入ってくる。それも、
きれいなかたちで好ましくというふに。
これは、道理が円運動であるためで、
片時も止まることのない動きであるためである。
この道理に沿うもの、転じて
よくしたものとなる。
だから、けち、吝嗇は後よろしくない果を必ずもたらす。それも、損得に関われば殊更である。
金は人が作った便宜上のもの、だから、こと人に使って効を成す。
人の為に役に立たない使い方は、人を苦しめるだけとなる。使い方を誤れば命を落とす怖いものとなるもの。
積まれてよいのは徳だけである。
金があるのに人の為に使わず、ただ利欲の為に使っていては痛い目に遭う。それは、今生でなくとも死後と来世に出くわす。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする