温室の中でセルトレイに播いてある、ピーマンか唐辛子の苗。
発芽がだいたい揃ってきたので、草取りをした。床土のベースに畑の土を使っているから、どうしても育苗中に草が出てしまう。これ以上放っておくといつの間にか苗より草のほうが大きくなり、ポットに移植する時に困る。この段階ならまだ根もさほど張っていないから、写真のように割り箸でつまんでやれば周りの土を動かすことなく簡単に抜ける。
*
水曜、野菜セットの出荷のない曜日。ほぼ終日の晴天。
朝は冷え込んで3~4℃くらいだったが、注意報の出ていた「霜」は降りなかったようす。
朝:6時過ぎからごはん。8時過ぎに市街に出て保育園納品、スーパー出荷。
午前:市街に出たついでに種屋さんで少し買い物。
そのまま駅近くでも用事があるのだけれど営業開始まで時間があったので、とりあえず目的地の駐車場に軽トラを停め、そこから最寄りの郵便局まで種やら何やらの代金振り込みをしに、歩くことにした。
出発はJR伊予西条駅あたりから。
駅の西側を裏のほうへ入って北ノ丁へ。和菓子の森川屋さんのある大町四つ辻を超えてサニーマートの手前、大町郵便局で振り込み完了。再び四つ辻にも戻り、旧国道に入ると西町。僕の母校である大町小学校を横目に見て、仲町小川。この旧道は途中新しい国道11号線に取って変わられつつ再び飯岡で旧道になる。だから、頭の中ではどうしても道際の用水路は山側の飯岡からこちら下手の大町方面へと流れている意識があるから、きょう歩いていて水が大町から飯岡のほう(というか福武のほう)へ流れているのを見てびっくりした。飯岡と大町とは隣同士の小学校区だけれど水系が異なり、ひとつながりの旧道でも用水路の流れ方が逆になる。
仲町小川からは清水町へ入り、駅の南方を歩いて再び北ノ丁へ。
駅前を歩いて本来の目的地に着いたら営業開始を10分も過ぎていた。急いで用事を済ませ、10時頃に帰宅。温室内で冒頭の苗の草取り、昼ごはん。
午後:12時半頃から、春に向けてどんどん種を播くので、混み合ってきた温室の整理。
14時頃から明日出荷ぶんの収穫。16時戻り、調製、一部の荷作り。18時半あがり。
*
大地震による福島の原発事故の影響が周辺県の野菜に広がり、さらに東京の水道水へ。
自分がその場で暮らしているとしたらどう行動すべきなのか、それを科学的に判断しようと材料を集めようとしても、日頃からの基礎知識がないから前に進まない。対岸の火事と済ませるわけにはいかないけれど、そうこうする間にもパソコンが電気を食っているのはよくわかる。ラジオからも情報が欲しいけれど、明朝の新聞では遅いかと言われれば否である。浮足立つことなく普段通りの暮らしを淡々としようとすれば、僕の毎日は彼の地からどんどん離れていく。
発芽がだいたい揃ってきたので、草取りをした。床土のベースに畑の土を使っているから、どうしても育苗中に草が出てしまう。これ以上放っておくといつの間にか苗より草のほうが大きくなり、ポットに移植する時に困る。この段階ならまだ根もさほど張っていないから、写真のように割り箸でつまんでやれば周りの土を動かすことなく簡単に抜ける。
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水曜、野菜セットの出荷のない曜日。ほぼ終日の晴天。
朝は冷え込んで3~4℃くらいだったが、注意報の出ていた「霜」は降りなかったようす。
朝:6時過ぎからごはん。8時過ぎに市街に出て保育園納品、スーパー出荷。
午前:市街に出たついでに種屋さんで少し買い物。
そのまま駅近くでも用事があるのだけれど営業開始まで時間があったので、とりあえず目的地の駐車場に軽トラを停め、そこから最寄りの郵便局まで種やら何やらの代金振り込みをしに、歩くことにした。
出発はJR伊予西条駅あたりから。
駅の西側を裏のほうへ入って北ノ丁へ。和菓子の森川屋さんのある大町四つ辻を超えてサニーマートの手前、大町郵便局で振り込み完了。再び四つ辻にも戻り、旧国道に入ると西町。僕の母校である大町小学校を横目に見て、仲町小川。この旧道は途中新しい国道11号線に取って変わられつつ再び飯岡で旧道になる。だから、頭の中ではどうしても道際の用水路は山側の飯岡からこちら下手の大町方面へと流れている意識があるから、きょう歩いていて水が大町から飯岡のほう(というか福武のほう)へ流れているのを見てびっくりした。飯岡と大町とは隣同士の小学校区だけれど水系が異なり、ひとつながりの旧道でも用水路の流れ方が逆になる。
仲町小川からは清水町へ入り、駅の南方を歩いて再び北ノ丁へ。
駅前を歩いて本来の目的地に着いたら営業開始を10分も過ぎていた。急いで用事を済ませ、10時頃に帰宅。温室内で冒頭の苗の草取り、昼ごはん。
午後:12時半頃から、春に向けてどんどん種を播くので、混み合ってきた温室の整理。
14時頃から明日出荷ぶんの収穫。16時戻り、調製、一部の荷作り。18時半あがり。
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大地震による福島の原発事故の影響が周辺県の野菜に広がり、さらに東京の水道水へ。
自分がその場で暮らしているとしたらどう行動すべきなのか、それを科学的に判断しようと材料を集めようとしても、日頃からの基礎知識がないから前に進まない。対岸の火事と済ませるわけにはいかないけれど、そうこうする間にもパソコンが電気を食っているのはよくわかる。ラジオからも情報が欲しいけれど、明朝の新聞では遅いかと言われれば否である。浮足立つことなく普段通りの暮らしを淡々としようとすれば、僕の毎日は彼の地からどんどん離れていく。