38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

春のじゃが芋、定植開始。

2010年02月07日 | 農と暮らしの日記
今年も、じゃが芋を植える季節がやってきた。
植え付けは種芋を用意するところから。種屋さんで20kg入りの袋を買ってきて、庭先でこんなふうに包丁で切り分け、天日干しにする。種芋は1個まるごと植えたのでは芽がたくさん出過ぎて芋が小さくなるようだ。実体験としてそうなった記憶はない。それは「種芋は切って使う」と先に頭で理解しているからで、比べてみたことはない。春作で種芋を切るのは、「芽が出過ぎて困る」というよりは、「どうせ芽が出るなら、切って種の数を増やしたほうが得」という感じ。秋作の品種「デジマ」は同じ20kg袋でも種芋が小ぶりなので数はたっぷりあり、だから切らずにまるごと使っている。写真の青いバケツは、すでに伸びている芽を掻いて捨てるためのもの。種芋1袋を切り終えると、レバニラ炒めにどーんと入れたい感じのモヤシが、じゃなくて掻いた芽が、バケツにたまっている。



日曜、朝は0度前後と冷たかったけれど、日中はぽかぽか、春の作付け日和。
朝:6時半すぎから朝ごはん。渚と真は日曜にしては珍しくバレーが休み。
午前:9時過ぎ頃から冒頭の種芋切り、準備と片付け入れて1時間ほど。10時過ぎ頃から、あちこちの畑で管理機で畝立て。明朝出荷ぶんの人参と大根を収穫して帰宅、14時前に昼ごはん。

午後:援農“Hさん”初登場で来訪、まず人参の葉の切り落とし。
その後まずはHさん、自分ち関係の草刈りしてくるというので刈り払い機を燃料満タンで貸し出し。僕が農機の使い方を人に教えるなんて、就農4年、もしかして初めてかも。その間に僕はこの春初めての小松菜と人参を播き(トンネルはあとで)、明朝出荷の葱と蕪をとって帰宅、人参と大根を終えた薫に引き渡してからHさんと合流。

午前中に準備したじゃが芋を二人で植え付け。
今日はメイクインでのべ約120mほど。余っている種芋は別の畑に植える予定。Hさん、じゃが芋は「大根みたいな種から育てると思ってた」そうで(たぶんウソだろ)、半分に切られたじゃが芋が種だと聞いて驚いていたけど、びっくりするのはこっちのほうだ。もしかすると、Hさんはシャケが切り身で海を泳いでるってことも、ちりめんじゃこがメダカの子どもだってことも知らないかもしれない。

植え付けのあとは収穫。
水菜、小松菜、大和真菜、サニーレタスなどの収穫も手伝ってもらって、日没ぎりぎり(日没してもまだ明るいけど)帰宅。18時半、あがり。Hさん、来たときは援農のつもりじゃなかったと思うけど、結局バリバリ働いてもらった、ありがとう。またどうぞ。



今日は管理機(手押しの小型耕耘機)に泣かされた。
畝立てに行こうとした朝、エンジンがなかなかかからず、やっとかかって軽トラに載せ、現地に着いてさあ始動と思ったら今度はロータリのギアが入らない。どこがどう悪いんだか、正常なときのメカニズムを見てないから手のつけようがない。早々にあきらめてご近所の農家さんに助けを求め、快く貸し出してくださった。

のだが、それは「二輪」の管理機。
バイクみたいな「前後二輪」じゃなくて「左右二輪」。これが難しい難しい。一輪のほうが不安定なように思えるかもしれないけど逆。ぜんぜん思ったほうに走ってくれない。ま、だけど、畝はなんとか(不格好だけど)立ったし、こんなタイプの管理機も一応扱えるようになったし、怪我の功名みたいな面もあったかな。ありがとうございました。

これとは違うけど、こんな話をちょうど今晩、渚にしたら。
僕のたとえ話は、「泥棒も警察に捕まったら、それはダメなことじゃなくて、刑務所で仕事を教えてもらったりして、今度は泥棒しなくてもお金を稼げるようになるから、捕まるのは、いいことなんよ」みたいな。そしたら渚、「いいことなのに、泥棒はなんで逃げるん?」。……。たしかに。僕のたとえが何か間違ってるようだ。



週明けすぐの雨予報はとりあえず消え、火曜からの様子。
それでも一週間ずっと雨模様だと、当面の畑しごとは遅れるし、その後ずっと晴れ続きでもない限り畑はさらにしばらくトラクタも使えない。そうこうしているうちに春の周期的な雨となれば(もうなっている様相でもあるが)、春作は大いに遅れそう。
コメント (2)
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