以下は、長行釈
総名を釈す。
貪等の六は随煩悩の根本であることを明らかにする。
「論に曰く、此の貪等の六は、性是れ根本煩悩に摂めらるるが故に、煩悩という名を得。」
第一が、「煩悩」の名についての説明。(煩悩の名を弁ず。)
第二が、煩悩の心所の体と業を説明する。貪等の六の根本煩悩についての説明。(体・業釈)
第三は、諸門分別。(諸門を広く弁じ、此の六義を明かす。)
ここはその初である。貪欲・瞋恚・愚癡・慢・疑・悪見の六は、性)(体)が根本煩悩に摂眼られるから、煩悩という名がつけられているのである、と。
「論。曰至得煩惱名 述曰。此釋總名。謂貪等六是隨煩惱之根本故。雖復亦得名隨煩惱而根本攝。非唯等流性。得煩惱名不名隨煩惱。雜集第七説。諸煩惱皆隨煩惱。有隨煩惱而非煩惱。由此即顯根本名煩惱。亦得名隨。亦隨他生故。忿等但名隨不名煩惱。非根本故。」(『述記』第六末・初左。大正43・443c)
(「述して曰く。此は、総名を釈す。謂く貪等の六は随煩悩の根本なるが故に。復た亦た随煩悩と名づくることを得と雖も、而れども、根本に摂して唯だ等流性のみに非ず。煩悩の名を得す。随煩悩と名づけず。雑集第七に説く。諸の煩悩は皆な随煩悩なり、有るは随煩悩にして煩悩に非ずといえり。此に由って即ち根本をば煩悩と名づくることも、亦た随と名づくるを得ることを顕す。亦た他に随って生ずるが故に、忿等は但だ随と名づけ、煩悩とは名づけず、根本に非ざるが故に。」)
貪・瞋・癡は三毒の煩悩といわれています。煩悩の中で一番根本に成る煩悩であるということですね。そしてですね、「諸の煩悩が生ずるのは必ず癡に由るが故に」と押さえられていますから、根本煩悩の中でも、癡が一番深いということになりましょうか。貪は貪りですから、心のうち深くに根差して起こってくるものでしょうし、瞋は内なる怒りが外に向かって爆発するものなのでしょう、この貪・瞋を生起させる知的な煩悩が無明といわれる癡なのでしょう。
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