ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

介護保険

2007年07月11日 | 新聞から
              ぎぼし
      びわの木の根元に年々仲間を増やしている
           主人の母の植えた花
        花も良いけど斑入りの葉っぱも良い
           大好きな一品です

昨日介護保険のヘルパーについて書きましたが、[産経」に三日に亘って「在宅サービス 見えにくい不正」と特集しておりました。

我家の新聞は「産経新聞」です。50年以上読み続けた「朝日新聞」ですが、主人がもう読みたくないと言うので半年前に変えました。色んな新聞の販売勧誘にも屈せず、読み続けた「朝日新聞」ですが、私も本当に読みたい記事がなくなりました。「毎日新聞」も考えたのですが「朝日」とちょぼちょぼ、発行数日本一の「読売新聞」は阪神ファンとしては読みずらい、と言うわけで「産経新聞」に自分から電話をして、「先ず半年」と契約し、一年の更新をしたばかりです。

19年度の介護保険料決定通知を見て驚きました。私に少し収入があったのが原因とはいえ、この一年、主人と同額の査定です。県・市民税、健康保険までは上がるかな~と思っていましたが「介護保険料」まで上がるとは思いがけない事です。掛け金に相当する分だけのサービスが受けられるというなら文句は言いません。しかし査定によっては受けられない可能性もある「介護保険」です。勝手に上げて、天引きするとはどういう事でしょうか。

これも全ての人に平等にと言う考えが根底にあるのだと思います。これは納得できません。普通「保険」と言うのは「掛け金の分保証」ではないのですか?国の保険だからといって、これでは掛けてはいるが自分で出来るだけ頑張ろうとしている人に負んぶに抱っこで、裏道を知っている人だけが得をする制度の様な気がします。

「介護保険」が始まってもう何年になりますかしら。まだまだ他人事と思っておりましたが、考えて、知っておく必要があるなと思うようになりました。聞けば、自分の財産もある人でも、安い保険施設に入れて、一人っきりで施設に入れてあげたい人が入れない等、矛盾している話。一寸は体調を崩したが、元気になった後も引き続きヘルパーさんに来てもらって本人は楽している等、保険の無駄使い。

身内に、子供が5人居るが、元気な内は一人でと頑張っている人がいます。所が近頃「風呂掃除」が辛くなったのでヘルパーさんを頼もうとしたが許可が下りない。
市内に娘が一人住んでいますから、そちらに頼めという事かしらと私に話していました。許可の下り易い申請の仕方があるのかも知れませんね。こうなると悪知恵の競争のようですね。

記事を読んでいますと、私の聞いた話などかわいいもので、もっとえげつないことがあるようです。本人も違法と知っていて、でもヘルパー派遣事務所も儲かるから黙認している。ヘルパーさんも知ってはいても、言うと仕事を回してもらえないので黙っていると言う構図が出来上がっているようです。

「介護保険」は誰のものか? その仕事に従事する人を養う為のものか? 心から困っている人を助けたいと思っている方には申し訳ないが、傷の浅い内に考え直して欲しい制度です。資金が足りないといっては保険料を値上げされては堪ったものではありません。抜け道を知ったずるい人が得をする制度なんておかしいです。

義務(支払い)を果たして権利(世話を受ける)を貰える制度では無い様です。

今、私の家で「介護保険」が必要になったとして、何処に、どの様に言って頼みに行けばいいのかも知らない暢気な自分に一寸呆れている。
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理想の人

2007年07月10日 | 新聞から
              ゆ り
           去年から我家の住人
            一寸強い色だが
           良く見ると可愛い花

昨日の親娘3人の記事が出ていた。見出しは「母娘3人はねられ死亡」と・・・。これっておかしいと思いませんか?「はねられ」と言う言葉は受身ですよね。死にたくないのに事故にあったという感じを受けます。甲子園口の勤務明けの駅員さんが帰宅する電車を待っていて「飛び降りるのを目撃した」と言っているのですから。こんな書き方をすると、運転手さんの心を傷つけます。年齢は知りませんが、若ければ若いほど、お気の毒だと思います。記事にする時、もっと関係者の立場にも配慮して欲しい。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「理想の人」と言うテーマに「ヘルパーにとなった母を尊敬」と言う高校生の女の子の文章が載っていました。

『20年近く専業主婦だった母が、2年前にヘルパーの資格を取った。私がその理由を訊ねると「ヘルパーの資格があれば、将来おじいちゃんやおばあちゃんの世話もできるやろ」母ははさらりと答えた。私はそれを聞いて、心から母は凄いと思った。ぜいたくも言わずに、ずっと私や弟、父の面倒を見てくれた母が、今度は自分の両親のほか、多くのお年寄りの世話をしようと言うのだ。そんな母から、仕事場で出会うお年寄りの中には、自分の子供から邪険にされる人もいるという話を聞いて、悲しい気持ちになった。そうした親子の多くは、子供がちいさなころに、充分なふれあいが無かったのだという。「子供は親の背中を見て育つ」というが、本当にそのとおりだと思う。「最近の若い者は」と言う前に、今の大人は本当に私達に良い背中を見せてくれているのか考えてほしい。「こんな親になりたい」と思える背中を見せてくれる母は、私が一番尊敬する大人だ』

確かに18歳の高校生がこの様に考えるのはある面立派だと思う。しかし私の孫がこう言ったと仮定すれば、もう少し言葉を付け加えたい。

人の世話は「ヘルパーの資格」が無くてもできることを知ってもらいたい「ヘルパーの資格」は世話する事を職業にして、お金を得る為の資格ではないだろうか。お世話をお金で買う方が気兼ねないと思う人もいる。介護保険制度が施行されて生まれた職業で、ギブ&テイクの関係で良い事だと思うけれど、「ヘルパーの資格」は無くても人の世話は出来ると言う事を母親が言い添えるべきだったと思う。

『ずっと私や弟や父の面倒を見てくれた母』家族の面倒を見ることに専念できたのは、父親が家族のために一生懸命働いているからだという事も付け加えて欲しかった。

『自分の子供から邪険にされる親子は、小さいところに充分なふれあいが無かった』筆者は両親がそろい、父が収入を得て、母が家に居て子供たちと充分のふれあいが楽しめた。しかし、母が働く母子家庭だったら如何だろうか、母は子供と触れ合う時間は極端に少ないと思う。でも子供は自分の置かれている状態は良く理解していると思う。たまに淋しさに負けて道を外す子も居るが。

人間は自分の経験でしか物が言えないから、筆者の母親が自分の感想として娘に伝えたのだと思うが、大人に成って、物事には一つの答えだけではなく色んなケースがあることを知ってもらうより仕方が無いかな~。

『若い人に良い背中を見せているか考えてほしい』今の私を筆者が見れば「遊んでばかりいるおばあさん」と写るかもしれない。でも私はお役目を済ませた後の今のゆとりだと知って欲しいな~。
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自殺や無理心中

2007年07月09日 | ラジオから
            百合 マルコポーロ
        カサブランカにも負けない人気種で
           我家の新入りさんです
     花びらのひらひらが可愛らしい、優しい花色です

梅雨空のようにジメジメしたお話が多いです。目に付くのは親の無理心中で子供の命をが失われることです。あろうことか、高校、中学まで大きくなっている子供の命を奪うと、その理由が「残していくと苦労をするから・・・」苦労をするのと親から命を奪われるのとどちらが子供にいいと思われますか?兄弟三人助け合います、親は無くとも子は育ちます。まして50才にもなりながら働きもせず、自分の親から生活費を貰っていたという、だめ親父なんか居なくたって、子供たちの母が育てます。

子供の未来を奪った上に、自分は死に損なって、その上に生活を助けてくれた実母を一人ぼっちにしようとした。若い子供は如何にかして生きていきます、しかし年老いた親はどう生きれば良いのですか。何か間違っていませんか、私は親の立場から、悲しいというより無念です。

今日は今日とて、若い母親がおさない姉妹を道ずれにJRに飛び込みました。死のうというにはそれは深い事情があるのでしょう。理由がわからないのですが、一般的なことを言いますと、相談できる親は居なかったのでしょうか?心を開いて語り合う人が居なかったのでしょうか。

命を懸けて生んだ二人の姉妹、その命を親だからといって奪うことが許されるのでしょうか。「命あってのものだね」と言います。両親揃った子より苦しい人生かもしれません。でも今は施設に入れば高校卒業まで国が見てくれるようです。高校を卒業する年になれば、一人で生きていけます。真面目に生きてさえ居れば、今度は自分の力で幸せを掴むことも出来ます。

3歳と1歳の女の子は何の為に生まれてきたのでしょう。子供の日々は淋しいかもしれない、でも大人に成ったとき幸せが迎いに来てくれるかもしれない。その全てを断ち切る道ずれにしないで欲しい。子供には子供の運命がある。母と心中するのがその子の運命だというのだろうか。余りにも悲しすぎる。

何だか近頃鉄道に飛び込む人が増えている。先月の26日の東京からの帰りもそうだけれど、5日に京都に行った時も往きは阪急の宝塚線で、復路はJR線で人身事故のため列車が遅れておりますと車内案内があった。又3日の夜、唱歌の学校の皆で歌う会からの須磨方面に帰る友人は、やはり人身事故のため止められた電車で1時間待って、バスが無くなりタクシーで帰ったと言っていた。

自殺の方法にも流行?があるのだろうか。もしかしたら、肉親が危篤で駆けつける人も居るかも知れない、息のあるうちに会えないかも知れない。自分の行為が何千人の人の大切な時間を奪うという事は念頭に無いのだろうか。

それと如何して、自分の住んでいるところから離れた所で飛び込むのだろう。6月26日の弁護士さんも大阪の人が立花駅(尼崎市)で、今日の親子三人も神戸の人が甲子園口(西ノ宮)だった。死を選ぶ人の心理ってそういうものなんだろうか?
知っている人の居ない場所を選ぶのか?

甲子園口駅にしても立花駅にしても快速、新快速は通過する。今日の親子三人も、運転手の人は「時速100キロで通過しようとしたとき、駅の中ほどから一人の手を引き、一人を抱えて降りるのが見えた。救急用ブレーキをかけたが間に合わなかったと言っていた。この運転手さんは何も悪くないのに、これからの彼の人生に、心にも大きな傷を残すことになる。止めて欲しい!
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茂庵  (2)

2007年07月08日 | 一寸そこまで
             グロリオサ
           この変わった花形と
       くっきりしたツートンカラーが魅力
       今年はことのほか良く咲いています

お茶室には、先客が一人居られました。「茂庵」が開かれるのは、月一度だけですので、ご近所のその方は毎月楽しんでおられるそうです。

予約も要らない、初心者の方でも、茶道の心得がなくとも「お茶しょう~」の感覚で良いようです。お手前をなさるのが昨日説明しました谷川さんの流れを汲む方。手伝いをされるのが、谷川さんのお茶の先生。故に説明はこの方が主になさいました。

さすがお二人とも着物が良くお似合いです。先生のお着物は全体にナデシコが散っておりました。はんなりとしてとてもお似合いでした。谷川さんの方はやはりナデシコと蜻蛉が飛んでおりました。此方は蜻蛉とナデシコが飛び模様に描かれておりまして、キリットした感じです。帯は先生が繭色に近い色、谷川さんはブルーグレイ。模様はお太鼓の部分を見せていただくのを忘れましたが、前面は目立った模様がありませんでしたので、私の想像では同色の織り模様かな?

お茶室ですが、掛け軸は、右に木の枝、中央にカワセミ(先日のいのうえかおるさんの鳥、カワセミだと思った)の飛ぶ姿がそっくりでした。お花は友禅菊?

お道具ですが「水差し」が小樽のクリスタル。「棗」が元から棗と言う品では無く、その器の蓋に後から鳳凰を一対金で描いた品物、「茶杓」は鼈甲、蓋置は七夕に因んで星(所が★では無く角が6っつ出ているのはなぜ?)だそうです。

5人目の客の私の前に茶碗が置かれました。「ラッキーですよ」の「???」手に取る。「ベネチアンガラスです」綺麗! 6人のお客様ですから夫々違った茶碗が出てきます。今日一番のお茶碗に当ったようです。イタリアで買ってこられたようですが、本当は何に使われる物だったのでしょうか。お茶は多目でした。とても2口3口で飲み干せる量ではありません。7口ぐらいでやっとでした。2服目も頂きましたが、今度はシンプルな横長の花かごを思わせる乳白色の茶碗でした。

お茶菓子ですが柴野源水と言う小さなお菓子屋さんの「くずやき」市松模様のガラスの四角皿に載っておりました。「葛餅」よりしっかりしていまして、初めて頂く感覚でした。もう一品はお干菓子でかまくらの「鳩サブレ」で有名なお店のものでやはり1cmくらいの鳩が、塗に「カラスウリ」を金箔で描いたお皿に載って出てきました。

お茶の心得なんて無いのですが、やはり日本人ですね。心が落ち着きます。何時もはこんな優雅な生活の外で暮らしておりますが、今更習いたいとも(少しはその気もあり?)思いませんが、たまにはこんな雰囲気の中に身を置くのもいいものだな~と思いました。心豊かな一日でした。

ご近所の「京都アートゾーン神楽岡の青木野枝展」を一寸のぞきました。素的な空間に今売り出し中のノエさんの作品が並んでいました。

時間も遅くなったのでタクシーで京都駅までと言いましたら、このあたりはタクシーは無いからとご親切に電話で呼んでくださいました。

この運転手さんがお話好きで、さすが観光京都の運転手さん、道々「竜馬が襲われた場所」「高瀬舟の通った高瀬川」(観光用に川に荷を満載した船が浮かべてあった。さすが京都!)「金平糖やさん」その他もろもろ通過地点で説明してくださった。皆で{へ~」「ほ~」と新しい知識を喜んだ。

新快速に乗れば1時間足らずで帰宅。京都も近くなりました。
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茂庵

2007年07月07日 | 一寸そこまで
             ルリマツリ
       何方に頂いたかどんどん茂ります
      何ともいわれないくすんだ藤色が素的!

今日は七夕さん、曇りのち雨の予報に心配しましたが、嬉しい事に暑いぐらいのいいお天気でした。今夕は織姫と彦星のデートは如何だったのでしょうか?此処からはたとえ快晴の空でも天の川を見ることは出来ません。6年前、孫と二人旅で行ったグランドキャニオンの宿の夜、食事をしてコテージに帰る時、足元も見えないくらいの漆黒の夜、天上にはミルクウエィの名が示すとおり、乳白色の帯が流れていた。日本では屋久島でも見たが、さて今夜は無事会えただろうか?

07-07-07:今日なんです。見事に07が並びましたね。たまちゃんからのメールで気がつきました。

一昨日に続き、今日も京都へ行ってきました。今日は友人5人と「茂庵のお茶席」に行ってきました。普通のお部屋でお茶を頂く事はありますが、「にじり口」から入るお茶席は始めての経験です。

先ずランチを済ませてからと言うことで、田舎席(お茶席)をもう少し登った所にある「喫茶 茂庵」でランチすることにしました。ここまで上ってくる道はうっそうとした木々の間の小道を登ってきました。

「茂庵」は木造二階建て。引き戸をあければ小さな靴脱ぎがあり、直ぐの階段を登り二階にある。屋根の棟木もそのままの、趣のある空間が広がる。京都市内を眼下に納める席は窓に沿ってあり、二人ずれの好む席のようだ。私達は5人ゆえ反対側に椅子一つ追加して座った。「月替わり定食」(豚肉とジャガイモの冷しゃぶサラダ風とライ麦パン、パンプキンスープ)を食後のお茶は「柚子茶」を頼んだ。

こんな辺鄙な所にも人は集まる。若い人が多いのは「ネット」のお陰のようだ。注文を見ていると「定番ランチ」(ピタパン三度とスープ、豆のマリネ)を注文する人が多いようだった。

ランチのお味は可もなく不可もなし。「冷しゃぶ」の豚肉がもう少し小さい方が良いのと、量が一寸多すぎる。若者向きだな~と感じた。若い人が多いのも頷ける。一組だけ5.6才の男の子を連れた家族連れが居たが、きっと定番のランチのサンドを食べたのだろうな~?

サンドの内容は3種類から選べる「ミンチとカレーの野菜炒め」「トマトとモッツアレチーズ」「なすズッキーニとベーコン」から選ぶのだが、子供は「ミンチ」かな?それとも親子三人、三種類分け合って食べたんかな?

卓上には「シモツケ草」が浮かべてある可愛い演出。一寸した心遣いが嬉しい。

水のグラスが軽い。販売している値を見て吃驚、1個3千円である。壊さないでよかった!部屋の中央の台にはグラスの他にも色々と小物が並べられ若い人の気を引いていた。どれもこれも品よく購買欲をそそるが、それなりに高い。

そういえば庭の蹲にも「アジサイ」が浮かべてあったっけ。あちこちに竹で蓋をした井戸があった。そのあたりにお茶室が点在していたのであろうか。

「茂庵」は大正時代、事業に成功した八瀬大原出身の谷川茂次郎という方がこの地、神楽岡(吉田山)に茶室8席(現在は、そのうちの田舎席と静閑亭のみ)と月見台、森の茶苑を建て、「裏千家」を強力に後援した。

現在は「藪の内流」。藪の内流は武士の作法だそうで、大小脇差は茶室の外に置くが、小刀は左に差す為、他の流儀と違って「袱紗」を右に挟む。又作法も他は膝上で、静に手前をするが「藪の内」は膝の外で動作を行う為、所作が大きく美しく見えるとの事です。
                          続く・・・
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川柳 「郵便」

2007年07月06日 | 新聞から
            ミソハギ
      お盆に仏様に供える花だそうですが
        今月中に咲ききりそうです

市内の大井戸公園のバラ園を連休前後に楽しんで、花の無い時期にブログに載せるので撮り貯めしようと思い5月の終わりに行きました。所が、メインのバラのコーナーには一輪もありません。剪定されてしまって居ました。「エッ!もう刈り込んでしまったの?」案外早いのに驚きました。

所がです。先週、大井戸公園の側を通ってジムに行きました時、バラ園にはバラが満開なのです。我が目を疑いました。魔法を使ったんじゃない?と半信半疑です。だらだらと咲かさないで、思い切って剪定すると、1ヶ月一寸で又咲くんですね。毎年繰り返されている事なんでしょうが、一度っきりしか見に行かないので解らなかったのです。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

           おおさか川柳  「郵便」

     あなたと 酔いたくて 銘酒のゆうパック

本を読む楽しみと、何にでも興味が持てる楽しみに、お酒を嗜む楽しみを加えるとしたら、これほどの楽しい人生は無いかもしれないとこの頃思う。「飲めません」とお断りする前に、一寸口をつけてみようかな~。新しい楽しみが増えるかも知れない。

     六月は 配当月で ポスト待つ

今は転宅されたご近所の家で、郵便やさんが郵便受けに入りきらない郵便物を、何回にも分けて入れて居るのを見て、あれだけあれば良いな~と思った事もありました。

     喪中葉書 他人行儀な 顔で来る

私には一寸解り難い句なんですが・・・。シークレット・ラブとか?下世話な解釈ですみません。  以上が入選作と言うのでしょうか。

     メールより 心が通う かもめーる

私も本当に手紙を書かなくなりました。はがきを書くにしてもついついパソコンで打ち込んでしまいます。ですからだんだん字も忘れ、文字そのものも下手になってしまいます。

     富士山の 山頂からと 子のハガキ

富士山の山頂に小さな郵便局があります。其処から私は自分宛に記念にとハガキを出しました。登る合目ごとに焼印を押してもらった杖とが、私の富士登山の証明です。

     余ってる 年賀葉書は クイズ用

過っては私もそうしていました。でも今は少し勿体無いかも知れませんが、書き損じたハガキと一緒に、5円を足して、新しいハガキに変えてもらっています。
     
     筆跡で わかる名前の ないハガキ

毎年一人や二人名無しのごんべいさんが居ます。昔は文通をしていたので文字も覚えていましたが、今は普段もメールだったりしますから、筆跡なんて忘れていますから、解らずじまいと言う事もままあります。

     珍しい 切手で届く 友の便

珍しい切手で届いたお便りは本当に嬉しいものです。私もなるべく珍しい切手は買おうと思うのですが、10枚綴りくらいのをもう少し回数多く発行していただければ良いのにと思います。1シートの数が多すぎます。切手にも季節感があるので多すぎると何年も寝かせなければなりません。

     郵便物 手書きの便り 先ずは読む

手書きと言うよりも、先ずダイレクトメールをより分けますね。保険会社のものは、即くずかごいき。それだからかどうか、他の会社名の封筒に同封されることが多くなりました。

     クロネコや 飛脚と競う ユーパック

この頃は余り送ることがなくなりましたし、郵便局が近いこともあって、ユーパックを利用することが多いです。

短い言葉に纏められるのに何時も感心。
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写真展

2007年07月05日 | 一寸そこまで
              ふうらん
            日本のランです
         土ではなく水苔で育てます
      頂いた時より2倍ぐらいになっていますが
           成長は遅いようです

京都に行ってきました。京都市美術館(別館)で「第69回 京都写真サロン」があり、いのうえかおるさんが出品しておられるという事で行きました。いのうえさんとは先日の遍路オフ会で始めてお会いし、帰りはJR芦屋までご一緒しました。
遍路のブログを読ませていただき、すっかり仲間意識が芽生え、写真には興味もありますし、彼女がどんな写真を撮られるのか見たい気持ちもあり、行ってきました。

沢山の方が写真を趣味にしておられるのだな~。こんなアングルも良いな~とか参考になりました。やはり「賞」や「奨励賞」を取っておられる人の作品はやっぱり良いな~と感じました。

井上さんは歩き遍路の区切り打ちを一人でこなした方です。まだお若い方で、ご主人も三人の子供さんも理解があるので、年一回6回の区切り打ちで結願されました。お見受けしたところ、しっかりはしておられるが、静かな方のようにお見受けしました。しかしお一人で歩き遍路を結願したという事は、見かけとだいぶ違うかな~と思って、写真にはきっとその点が映し出されているに違いないと思いました。

「飛翔」と言う作品は、鳥が(名前を知らない)体を一直線に伸ばして飛んでいるものです。いたってシンプル。やっぱり男っぽい人なんだな~と言う私の感じは当っている様です。

全ての写真にいえることは「撮影場所」を明記していただきたかったな~と言う事です。そうしますと、見るほうの楽しみも増えるわけです。

写真を見に行く前に、腹ごしらえに「天ぷらそば」を食べに「岡北」に行きました。お気に入りの店なんです。主人が「かやく御飯」を食べたいというのですが、無かったので「卵丼」1/2人前と言うのを一つとり、二人で半分っこしました。これも美味しかったです。修学旅行の学生さんも来ていましたし、お客さんも相変わらず次々入ってきます。皆さん美味しい店は良く知っておられます。

近頃はお寺巡りの時は月曜日に京都に来ることが多くて「鍵善」の「くずきり」を長い間食べていませんでした。今日は木曜日なのでバスを「祇園」で下りて「鍵善」に行きました。此処も相変わらず次々とお客様が入ってきます。

その前に、もう一軒「京都クラフト」と言う京都の地場産業のものを置いているお店に行きました。このお店も大好きで必ず立ち寄ります。今月は祗園さん関係の図柄の団扇や扇子、ハンカチなどがメインでした。此処で以前に買った「スポーツタオル」が好評でしたので探しました。以前のと違うのですが、とても気に入ったのがあったので、プレゼントに買いました。自分の分も欲しかったのですが、それが最後の一点だったので我慢することにしました。スポーツタオルと言うよりもマフラーにより近づいている気がしました。

ジムで使うガーゼのタオルも買う予定でした。「タオル専門店」はあるのですが、其処のは色使いがはっきりしすぎていますので、これまたお気に入りの「井沢屋」で優しい柄(カンザシ、兎)を二枚買いました。

今日は「天麩羅ソバ」「卵丼」「くずきり」とおいしいものを頂いて大満足でした。う~ん体重が・・・。今になって少し後悔、後の祭りよ!

お買い物も良い物が見つかって良かったです。こんなにささやかな事に満足して、幸せな気持ちになれる私です。


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佐賀のがばいばあちゃん

2007年07月04日 | 読みました
           レックスベゴニア
       葉を鑑賞する為のベゴニアです
        花は咲いても小さな花です

今朝随分迷った。「フラの教室」に出ようかどうしようかと。どういうわけか水曜日には行けない日が2ヶ月も続き、10回ほど抜けてしまったからだ。覚えられなくとも良い、ハワイアンを聞いて、習っている居る時が楽しければ良い。と思っていたのではないの?と自問自答。「今日出なければ、もう行けなくなるよ」と自分に言い聞かせて、重い足を引きずって教室に向かった。

始まるまでどきどきしていた。先生が来られて私を見て「あら!」と言う顔をされた。「今日久し振りの方も居られるようなので基本の形をやって見ましょう」基本形から今まで習った曲までおさらいをしてくださった。最後の方の曲は勿論私は初めてでした。習ったところは案外覚えていました。嬉しい事にちゃんと付いていけたのです。

「アレはフラ体操です」と言われ様とも、やっぱり楽しい。これからも休む事があっても良いじゃないの、楽しみましょうと思いました。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

      佐賀のがばいばあちゃん   島田洋七

「徹子の部屋」でこの本のことを知りました。随分前(2003年)と思っていましたら4年もたっていました。その時から読みたいと思っていました。私と同じテレビを見て読みたいと思われた方が多くて、元の出版会社に問い合わせが殺到したそうですが、その時はもう完売していました。その後は徳間書房が文庫本で出してくれることになったそうです。

唱歌の学校のはったさんの息子さんが「面白いから読んで見たら」と置いていかれたという話を聞いて、お願いして貸していただきました。

『貧乏には暗い貧乏と明るい貧乏がある。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのとは違うから、心配せんでよか。自信をもちなさい。うちは、先祖代々貧乏だから』と貧乏だからと沈むのではなく、工夫をしてその日を切り抜けていく知恵が一杯の本です。

「なるほど」「そうだそうだ」と言う言葉が一杯ありましたが、その中でも私が心引かれたのは「人にきづかれないのが本当の優しさ、本当の親切」本当にそうだと思います。「私がしてあげたのよ」とした事を周りに知らしめるのは、親切ではなく、自己満足だという事だと思います。

洋七さんが中学3年の修学旅行の時、部活(野球)の一人が修学旅行に行かないという。キャプテンだった洋七さんは理由を訊ねる、お母さんが病気になって修学旅行の積立金を使った為と知る。皆で揃って行きたいと思ったので、部員に計って皆でアルバイトをして、修学旅行の資金をためて、その子に手渡した。受け取らないというのを無理に渡すと彼は「預かっておく」と受け取ってくれた。

でも修学旅行のとき彼は来なかった。皆は怒った。皆がバイトしたお金を使い込んだのだろうと彼を責めた。彼はいった「修学旅行は初めから行かないつもりだった。あのお金は、これ買った。後輩に残そうと思って」其処には真新しいキャッチャーミットとバット、それにボールが3ケースがあった。

その時ばあちゃんの言葉を思い出した。自分は彼に頼まれたわけでもないのに勝手にバイトして、金を押し付けて、旅行に来なかったと怒って、彼への優しさなんて無い。自分達が満足したいが為だけに、彼に親切を押し売りしていたのだ。

年を取ると自分では気付か無い内に「親切の押し売り」するようです。気をつけたい。

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みんなで歌う音楽会

2007年07月03日 | 今日この頃
            アガパンサス
        すっくと立ち上がって咲く花
       花形や色が涼しさを運んでくる

「気功」の先生が言われました。「梅雨は雨は降るしジトジトするので嫌いな方が多いです。でもこういう時期は自分の身体の変化、しんどいとか、古傷が痛むとか、今の自分の健康状態がわかる時期なんです。雨は悪いものを流してくれると言う作用があります。悪いものが流れた後には新しいものが入る余地が出来ます。雨降りを嫌わないで新しい身体になるんだと思ってください」

「親子で歌い継ぎたい日本の歌百選」の会が午前と午後に分かれて、午前は唱歌、童謡(56曲)午後は唱歌、童謡に叙情歌、流行歌(44曲)を歌います。勿論、午前午後と行ってもいいのですが、100曲歌うのは体力的に無理です。

えらいものですね。童謡唱歌が14曲あったのですが、皆歌詞を見なくても歌えるんです。集団疎開先でささき先生が毎晩アコーディオンを弾きながら教えてくださった歌だからです。楽譜なんてありませんでした。先生の口移しです。64年前に習った歌を私の脳は覚えているのです。

抒情歌は私達が音楽会の時で選んで歌った歌が多かったので此方も歌詞を覚えている。「私達は良い歌を選曲していたことになるね~」と自画自賛しつつ歌った。

流行歌ともなれば、今風の中島みゆきの「時代」やスマップの「世界に一つだけの花」(テンポが微妙に違うんです)を除いてはバッチリこれも歌えます。「川の流れのように」はお得意曲です。

「高校三年生」の時は昭和38年高校3年生だった人がステージに上がった。7.8人居たでしょうか。私達と10歳の年齢差である。若いな~。一人ノリノリの人が居て、ステージに上がるときは杖を突いておられたが、歌うときは杖を置いて体を揺すって実に楽しげに歌われた。歌って良いな!と思った瞬間。

最高齢91歳の方が来ておられた。お元気である。もし私が20年後その年まで生きていたとして、皆で歌うために出てくる気力があるだろうか。91歳まで趣味を楽しめるなんて羨ましい限りだ。

最後に「故郷」(唱歌の学校の校歌)「仰げば尊し」「今日の日はさようなら」「蛍の光」を歌ったが、「今日の日はさようなら」以外は皆さん歌詞を見なくても歌えるようだ。それだけ年齢層が高いということでしょう。

「仰げば尊し」こんな良い歌を何故卒業式に歌わなくなったのだろう。如何して目の敵のように退けるのだろう。「惜しいな~」と思う。

「蛍の光」を歌うとき起立して、イギリス式に腕を組んで歌おうということになった。それからが大変だ。先生が見本を見せてくださったが、中々出来ないのである。両手を横に広げて自分のお腹の位置には左右の隣の人の握手した手が来る状態にしなければならないのである。ガヤガヤと大騒ぎしてどうにか出来上がった。言い換えればラインダンスの手の組み方だと思います。

何はともあれ400人近い人が一同に会して歌うのです。こんなに気持ちの良いとはありません。それも歌の好きな人たちばかりです。ニコニコ笑顔が400個集まりました。

会場が嫌に暑いのです。扇子の花が咲き乱れています。校長先生が会館のほうに冷房をもっと効かせてといわれると、その返事が「400人近い人が歌うので「一酸化炭素」の排出量が多いんだそうです。だから「酸素」を加える状態にするんだそうです。そうしますと「冷房」が効かなくなるんですって。「皆さん酸欠になるか、涼しくなるかのどちらを選びますか?」勿論暑い方を選びましたよ。
                         (430回)





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尼崎の空

2007年07月02日 | 気にかかる
             サボテン
          昨日の花の葉?です
    左にある茎の先に昨日の地味花が咲いている

「漢字塾」で祇園祭の「祇」の字が間違っていると先生は仰います。元々は「祗」で「示すへん」が正しい。それを言いつずけて4年、今年になってやっと交通局と朝日新聞が「祗園」と正しく書くようになったそうです。でも先生が毎日曜日に漢字について書いておられる「京都新聞」が未だに「祇園」と間違ったままだと苦笑しておられました。これからはボチボチと「祗園」に変わっていくでしょうというお話でした。これから「祗園祭り」の記事を見る事が多くなりますから、「祗」か「祇」か気をつけて見たいと思います。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

昨日の「市報あまがさき」にこんな記事が載っていました。「あま自慢」と言うコーナーです。

『「光の色の標準は尼崎の空の色から」 尼崎の空の色から、日本の光の色の標準が決まったことをご存知ですか。晴天や曇天など空からの光(昼光)は、最も身近な光であり、園色の世界標準が国際照明委員会(CIE)によって定められました。しかし、その基礎となる昼光の測定は、アメリカやイギリスなどの一部の都市でしか行われておらず、その何れもが日本の本州より高緯度にあったため、「果たして日本でもその標準が使用できるのか?」ということが問題となりました。

其処で、昭和39年ごろから、若王寺(なこうじ:地名)にあった通産省電気試験所大阪支所(現在の産業技術総合研究所関西センター尼崎事業所)が、尼崎の空の観測を始めました。当時から、色の分野の研究で日本の中心的な役割を果たしていた同試験所が観測した結果、尼崎の昼光はほぼ世界基準と同じでした。そのため、昭和48年に世界標準がそのままJIS規格(日本工業規格)に採用され、蛍光灯などの照明の色を決める際に使用されるようになりました。日本で始めて光の色の標準を検証した尼崎の空。晴れた日に空を見上げるのが、少し嬉しくなりませんか』

知らなかった。尼崎といえば「公害の町」と言うイメージで「空が標準の明るさ」何て考えても見なかった。

昭和39年といえば、私はもう尼崎市民で、その上、市民を二人増産していた。今では神戸市民で居た23年の2培、尼崎市民で居る。尼崎に来た頃、尼崎に住んでいると言いにくかった。旅先で「どちらから?」と聞かれれば「兵庫県から」「高校野球の甲子園の隣から」とか言っていた。事実当時は金木犀が花をつけなかった。まだまだ空気が悪かったのだろう。昭和40年ごろから花をつけ始め、今は其処だけオレンジ色と思うぐらい、びっしりと花をつける。それだけ空気が良くなっている証拠。でも今年は花は見られないだろう、植木屋もどき氏がばっさりと切ってしまったから・・・。

尼崎は良い市になっていきます。白井市長を見てください、市民はしっかりと見ていて、「この人なら」と間違いなく選ぶ目を持っております。市長ご自身も市民の信頼と期待に支えられて、どんどん実力をつけていかれます。お話を聞く度に「上手になられた!」と感心いたします。「立て板に水」間違いや、よどむ事無く自分の考えをしっかりと述べられます。これは嘘偽り、ごまかしが無いからだと思います。早いもので再選されてから7ヶ月が過ぎました。残りの歳月でジリジリと好転する市であることを期待しております。

ただね。一つ疑問、新聞報道によれば、赤字財政と言いながら、市長初め役所の、議員さんの給与が近郊の市より高いのは何故?

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