ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎の空

2007年07月02日 | 気にかかる
             サボテン
          昨日の花の葉?です
    左にある茎の先に昨日の地味花が咲いている

「漢字塾」で祇園祭の「祇」の字が間違っていると先生は仰います。元々は「祗」で「示すへん」が正しい。それを言いつずけて4年、今年になってやっと交通局と朝日新聞が「祗園」と正しく書くようになったそうです。でも先生が毎日曜日に漢字について書いておられる「京都新聞」が未だに「祇園」と間違ったままだと苦笑しておられました。これからはボチボチと「祗園」に変わっていくでしょうというお話でした。これから「祗園祭り」の記事を見る事が多くなりますから、「祗」か「祇」か気をつけて見たいと思います。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

昨日の「市報あまがさき」にこんな記事が載っていました。「あま自慢」と言うコーナーです。

『「光の色の標準は尼崎の空の色から」 尼崎の空の色から、日本の光の色の標準が決まったことをご存知ですか。晴天や曇天など空からの光(昼光)は、最も身近な光であり、園色の世界標準が国際照明委員会(CIE)によって定められました。しかし、その基礎となる昼光の測定は、アメリカやイギリスなどの一部の都市でしか行われておらず、その何れもが日本の本州より高緯度にあったため、「果たして日本でもその標準が使用できるのか?」ということが問題となりました。

其処で、昭和39年ごろから、若王寺(なこうじ:地名)にあった通産省電気試験所大阪支所(現在の産業技術総合研究所関西センター尼崎事業所)が、尼崎の空の観測を始めました。当時から、色の分野の研究で日本の中心的な役割を果たしていた同試験所が観測した結果、尼崎の昼光はほぼ世界基準と同じでした。そのため、昭和48年に世界標準がそのままJIS規格(日本工業規格)に採用され、蛍光灯などの照明の色を決める際に使用されるようになりました。日本で始めて光の色の標準を検証した尼崎の空。晴れた日に空を見上げるのが、少し嬉しくなりませんか』

知らなかった。尼崎といえば「公害の町」と言うイメージで「空が標準の明るさ」何て考えても見なかった。

昭和39年といえば、私はもう尼崎市民で、その上、市民を二人増産していた。今では神戸市民で居た23年の2培、尼崎市民で居る。尼崎に来た頃、尼崎に住んでいると言いにくかった。旅先で「どちらから?」と聞かれれば「兵庫県から」「高校野球の甲子園の隣から」とか言っていた。事実当時は金木犀が花をつけなかった。まだまだ空気が悪かったのだろう。昭和40年ごろから花をつけ始め、今は其処だけオレンジ色と思うぐらい、びっしりと花をつける。それだけ空気が良くなっている証拠。でも今年は花は見られないだろう、植木屋もどき氏がばっさりと切ってしまったから・・・。

尼崎は良い市になっていきます。白井市長を見てください、市民はしっかりと見ていて、「この人なら」と間違いなく選ぶ目を持っております。市長ご自身も市民の信頼と期待に支えられて、どんどん実力をつけていかれます。お話を聞く度に「上手になられた!」と感心いたします。「立て板に水」間違いや、よどむ事無く自分の考えをしっかりと述べられます。これは嘘偽り、ごまかしが無いからだと思います。早いもので再選されてから7ヶ月が過ぎました。残りの歳月でジリジリと好転する市であることを期待しております。

ただね。一つ疑問、新聞報道によれば、赤字財政と言いながら、市長初め役所の、議員さんの給与が近郊の市より高いのは何故?

コメント
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