ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

家で家族を看護する人

2007年07月16日 | 気にかかる
           ゼラニューム(八重)
         一番華やかなゼラニューム
       四季咲き その時々で微妙に色が違う

台風が行きすぎやっとホットしたら、今度は地震。雨で地盤が緩んでいるから、道路が大変な様子。電車の脱線もありましたね。これは阪神大震災でも無かった事です。報道を見ていて「阪神淡路大震災」がいかに酷かったかを再認識します。

地震を研究しておられる方が言っておられました。阪神大震災から関西に大地震が起きないのがおかしいって。今丁度、和歌山にかけて活動期のはずなんだって。私達素人からすれば、アレだけのエネルギーを使ったんだから、もう来ないだろう。エネルギーを蓄えるまで時間が掛かると思っていたんですが。嫌な事聞いてしまったな~って感じです。

昨日久し振りで知人と立ち話。お姑さんを家で見ておられるので「お義母さんはいかが?」「ほとんど寝たっきり。でも食欲はある」「オムツ?」「部屋にポータブルは置いてあるけれど、ベットから下りるのが大変らしい。便のほうは気持ちが悪いらしいから、ポータブルでしています」「床ずれは?」「時々赤くなる事はあるけれど向きを変えているので・・・」「介護保険は?」「要介2なんよ。手続きは義兄さんが皆してくれたの」「お風呂?」「本人が嫌がるから入れてない」

先ず「介護保険ではヘルパーの資格があっても同居家族には使えない」は如何いう事?同居家族が世話するなら介護保険料から支払いたくないという事?他人又は家族でも別居のヘルパーとしてでなければ認めないという事?同居している方が大変なのに介護保険の対象外なんておかしいよ。私の500円より酷いんじゃない?

20数年前の自分の時を思い出した。介護保険も何も無い時代、家で介護をしている私に世話料としてもらったのが月500円。義姉が誰かに聞いてきて「500円でもオムツが買える」と言ったので、私は民生委員に手続きを取った。介護保険が始まる頃は1万円ぐらいに増えていた。

保険所だったかから一度家に来られたことがある、「お宅は来なくても大丈夫のようですね。私も妊娠してますので来れなくなるし・・・」と言ったきり後は4年間一度も誰も来なかった。

その時、私はまだ40代だったから、どうにか頑張れた。でも彼女はもう60代、老々介護である。体力的にも大変だと思う。3人兄弟で息子達(長男、三男)は時々来るが、その妻は一切来ないと言う。ただ彼女の長男の嫁が「芦屋は近いから、お義母さん来てくださいよ」と声をかけてくれる。行くことは無いけれど、私の事を気遣ってくれる人がいると思うだけで心が和むと言っていた。後は友人に話すこと、愚痴を聞いてもらう事で慰められる。経験者の私は心の底から理解する事が出来る。周りの優しさがどんなに慰めになるか。

要介護2で週に5回ヘルパーさんに来てもらうか、3回来てもらう、又は2回だけ来てもらう、後は自分で看る、それぐらいの選択はあっても良いのではないか。その場合、家で世話している人に対しても回数に応じて支払って上げられないか。

介護はいつか終わりが来る、その時にご褒美として使えるのではないか。看護の期間の束縛と辛さはお金に替えられないが、誰かが背負わなければならない仕事なのだから。看てくれる人に感謝の気持ちを表せる保険であって欲しい。

お金目的のヘルパーさんに当ると事務的で情のかけらも無いと、又看てもらう方も使わなければソンとばかりの人もいるとも聞く。どちらも相手を思いやり、感謝の心を持って接して欲しい。





コメント (2)
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