ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

理想の人

2007年07月10日 | 新聞から
              ゆ り
           去年から我家の住人
            一寸強い色だが
           良く見ると可愛い花

昨日の親娘3人の記事が出ていた。見出しは「母娘3人はねられ死亡」と・・・。これっておかしいと思いませんか?「はねられ」と言う言葉は受身ですよね。死にたくないのに事故にあったという感じを受けます。甲子園口の勤務明けの駅員さんが帰宅する電車を待っていて「飛び降りるのを目撃した」と言っているのですから。こんな書き方をすると、運転手さんの心を傷つけます。年齢は知りませんが、若ければ若いほど、お気の毒だと思います。記事にする時、もっと関係者の立場にも配慮して欲しい。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「理想の人」と言うテーマに「ヘルパーにとなった母を尊敬」と言う高校生の女の子の文章が載っていました。

『20年近く専業主婦だった母が、2年前にヘルパーの資格を取った。私がその理由を訊ねると「ヘルパーの資格があれば、将来おじいちゃんやおばあちゃんの世話もできるやろ」母ははさらりと答えた。私はそれを聞いて、心から母は凄いと思った。ぜいたくも言わずに、ずっと私や弟、父の面倒を見てくれた母が、今度は自分の両親のほか、多くのお年寄りの世話をしようと言うのだ。そんな母から、仕事場で出会うお年寄りの中には、自分の子供から邪険にされる人もいるという話を聞いて、悲しい気持ちになった。そうした親子の多くは、子供がちいさなころに、充分なふれあいが無かったのだという。「子供は親の背中を見て育つ」というが、本当にそのとおりだと思う。「最近の若い者は」と言う前に、今の大人は本当に私達に良い背中を見せてくれているのか考えてほしい。「こんな親になりたい」と思える背中を見せてくれる母は、私が一番尊敬する大人だ』

確かに18歳の高校生がこの様に考えるのはある面立派だと思う。しかし私の孫がこう言ったと仮定すれば、もう少し言葉を付け加えたい。

人の世話は「ヘルパーの資格」が無くてもできることを知ってもらいたい「ヘルパーの資格」は世話する事を職業にして、お金を得る為の資格ではないだろうか。お世話をお金で買う方が気兼ねないと思う人もいる。介護保険制度が施行されて生まれた職業で、ギブ&テイクの関係で良い事だと思うけれど、「ヘルパーの資格」は無くても人の世話は出来ると言う事を母親が言い添えるべきだったと思う。

『ずっと私や弟や父の面倒を見てくれた母』家族の面倒を見ることに専念できたのは、父親が家族のために一生懸命働いているからだという事も付け加えて欲しかった。

『自分の子供から邪険にされる親子は、小さいところに充分なふれあいが無かった』筆者は両親がそろい、父が収入を得て、母が家に居て子供たちと充分のふれあいが楽しめた。しかし、母が働く母子家庭だったら如何だろうか、母は子供と触れ合う時間は極端に少ないと思う。でも子供は自分の置かれている状態は良く理解していると思う。たまに淋しさに負けて道を外す子も居るが。

人間は自分の経験でしか物が言えないから、筆者の母親が自分の感想として娘に伝えたのだと思うが、大人に成って、物事には一つの答えだけではなく色んなケースがあることを知ってもらうより仕方が無いかな~。

『若い人に良い背中を見せているか考えてほしい』今の私を筆者が見れば「遊んでばかりいるおばあさん」と写るかもしれない。でも私はお役目を済ませた後の今のゆとりだと知って欲しいな~。
コメント (5)
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