ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

自殺や無理心中

2007年07月09日 | ラジオから
            百合 マルコポーロ
        カサブランカにも負けない人気種で
           我家の新入りさんです
     花びらのひらひらが可愛らしい、優しい花色です

梅雨空のようにジメジメしたお話が多いです。目に付くのは親の無理心中で子供の命をが失われることです。あろうことか、高校、中学まで大きくなっている子供の命を奪うと、その理由が「残していくと苦労をするから・・・」苦労をするのと親から命を奪われるのとどちらが子供にいいと思われますか?兄弟三人助け合います、親は無くとも子は育ちます。まして50才にもなりながら働きもせず、自分の親から生活費を貰っていたという、だめ親父なんか居なくたって、子供たちの母が育てます。

子供の未来を奪った上に、自分は死に損なって、その上に生活を助けてくれた実母を一人ぼっちにしようとした。若い子供は如何にかして生きていきます、しかし年老いた親はどう生きれば良いのですか。何か間違っていませんか、私は親の立場から、悲しいというより無念です。

今日は今日とて、若い母親がおさない姉妹を道ずれにJRに飛び込みました。死のうというにはそれは深い事情があるのでしょう。理由がわからないのですが、一般的なことを言いますと、相談できる親は居なかったのでしょうか?心を開いて語り合う人が居なかったのでしょうか。

命を懸けて生んだ二人の姉妹、その命を親だからといって奪うことが許されるのでしょうか。「命あってのものだね」と言います。両親揃った子より苦しい人生かもしれません。でも今は施設に入れば高校卒業まで国が見てくれるようです。高校を卒業する年になれば、一人で生きていけます。真面目に生きてさえ居れば、今度は自分の力で幸せを掴むことも出来ます。

3歳と1歳の女の子は何の為に生まれてきたのでしょう。子供の日々は淋しいかもしれない、でも大人に成ったとき幸せが迎いに来てくれるかもしれない。その全てを断ち切る道ずれにしないで欲しい。子供には子供の運命がある。母と心中するのがその子の運命だというのだろうか。余りにも悲しすぎる。

何だか近頃鉄道に飛び込む人が増えている。先月の26日の東京からの帰りもそうだけれど、5日に京都に行った時も往きは阪急の宝塚線で、復路はJR線で人身事故のため列車が遅れておりますと車内案内があった。又3日の夜、唱歌の学校の皆で歌う会からの須磨方面に帰る友人は、やはり人身事故のため止められた電車で1時間待って、バスが無くなりタクシーで帰ったと言っていた。

自殺の方法にも流行?があるのだろうか。もしかしたら、肉親が危篤で駆けつける人も居るかも知れない、息のあるうちに会えないかも知れない。自分の行為が何千人の人の大切な時間を奪うという事は念頭に無いのだろうか。

それと如何して、自分の住んでいるところから離れた所で飛び込むのだろう。6月26日の弁護士さんも大阪の人が立花駅(尼崎市)で、今日の親子三人も神戸の人が甲子園口(西ノ宮)だった。死を選ぶ人の心理ってそういうものなんだろうか?
知っている人の居ない場所を選ぶのか?

甲子園口駅にしても立花駅にしても快速、新快速は通過する。今日の親子三人も、運転手の人は「時速100キロで通過しようとしたとき、駅の中ほどから一人の手を引き、一人を抱えて降りるのが見えた。救急用ブレーキをかけたが間に合わなかったと言っていた。この運転手さんは何も悪くないのに、これからの彼の人生に、心にも大きな傷を残すことになる。止めて欲しい!
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2 コメント

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Unknown (いっさ)
2007-07-10 18:26:39
本当に本当に、命を絶つには相当の事情があるとしても、・・・私の弟は鉄道勤務です。事故の時にはそのあと食事も喉を通らないといいます。とれほど迷惑がかかるのか費用もかかるのか、分かっていないとおもいます。山の遭難も鉄道での自殺もそのほかでも随分と人に迷惑をかけることになります。考えるゆとりが無いから死を選ぶのでしょうが・・一日100人ちかくのひとが命を絶っていることは本当に大きな問題だと思います。
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Unknown (ちっち)
2007-07-10 22:03:17
いっささん
母が入院中、山に近かった為、自殺者が運ばれてきました。母親の「XXちゃん、死なないで~」と言う悲痛な叫び声は今でも私の心に沈んでいます。もっと生きていたいと思っても、病のために死ぬ人も居る。やはり一人殻に閉じ籠らず、色んな人とお話すべきですね。そうすると死ぬほど辛かったことが、そうでなかったことに気付いたりするかもしれません。
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