■Go!プリンセスプリキュア 第49話「決戦ディスピア!グランプリンセス誕生!」
四つのお城が解放され、追い詰められたディスピア様は御自ら侵略を始めました。最初に狙うはノーブル学園。
はるはるらも覚悟を決めて衆人環視の中、コスプレを決行。
されど絶望は留まるところを知らず。玩具は砕け、いよいよどうにもならないそんな時。
あろうことか七瀬さんが絶望の檻を破壊。級友らを叱咤激励し、プリキュアさんらと共闘を始めました。
更にはシャットさんも奮起。落ちぶれている間に、プリキュアはおろか、名もなきモブにまで置いて行かれてるじゃないか!私たちも変わるぞ、ロック!
もはやプリキュアさんにおんぶに抱っこではない。それぞれがそれぞれを励まし、立ち上がり、そして絶望に向かって殴りかかる…!
あまりの勢いにディスピア様もたじろぎますが、あちらさんも後には引けません。
忠臣クローズを取り込んで、何だかよく分からない巨大化とかなされました。
そのあまりの強さに、春野さんらもとうとう地に伏す。嗚呼、夢を守れなかった。。
だけどそこに。再び怒れる群衆が襲い掛かる。
助けに来たはずの春野さんらを助けるべく、学園の生徒も理事長も。シャットさんも謎生き物も。王子様も先生も。
皆が手を取り、絶望に向かって拳を振り上げる。戦おう。私たちも。もう守ってもらったり、応援したりするだけじゃない。
皆の攻撃に背中を押され、春野さんらはディスピア様に向かって駆けていく。
夢を守るプリンセスから、夢を導くプリンセスへ。絶望から守るのではなく、皆で絶望に立ち向かう。
そしてとうとうグランプリンセス様に変態なされました。
…グランプリンセスって、称号ではなく二段変身だったのか。
いやまぁ言われてみればそうに決まってるのかもだけど、虚を突かれた気分。
一同みんなの夢を乗せ、グランプリンセス様の最後の大技により、ディスピア様は消滅なされました。
後には言葉一つを残して。
ディスピア様:
「忘れるな。絶望は…」
これに春野さんは一声、凛と答えた。
春野さん:
「ごきげんよう」
まるで再び会うことを前提としたようなこの決め台詞。
絶望はいずれまたやってくる。でもそれを恐れはしない。
早くも次回予告では不穏な影も見えましたが、まずはこれにて終戦。次回はいよいよ最終回です。
「NS1」の冒頭で涙したのはもう3年以上も前。
あの時、勇ましく戦うプリキュアさんらを見て、逆に絶望した気持ちは今でも思い出します。
プリキュアさんは強い。とても強い。
観覧車の上に勢ぞろいし、颯爽と駆けていく姿はとても頼もしく、応援する声にも力が入る。
でも。
あまりにも強くて頼もしい故に、残酷なほど思い知らされてしまう。結局のところ、私らは応援しているだけだ。
「普通の女の子」のはずの彼女らは、あんなにも強い。それなのに自分は…。
当時は「誰でもプリキュアになれる」が回答でした。ここでいう「プリキュア」とは、文字通りのコスプレ娘のことではないのでしょうけど、描写や実際の感覚としては、やっぱり特別感がある。エコーさんも「NS3」では随分と偉ぶっていらっしゃいましたし。
そこから時代が流れ。正真正銘、ただの民間人たる七瀬さんや学生が反撃に出るこの展開は、非常に熱い。
度重なる悪夢テロにも心折られることなく、むしろ奮い立たせ、何度も失敗したのちの、とうとうの絶望の檻破壊。
プリキュアに変身するでもなく。謎生物や王子や敵幹部らとも対等に肩を並べ、一民間人としての反撃です。
民衆の反撃自体は、「フレッシュ」や「ドキドキ」でも行われていたこと。
ですがグランプリンセスの定義が「夢を導くこと(一方的に守るのではなく)」だったように、今作ではより強くテーマに推されていた。
春野さんらが「夢を守らなきゃ」と叫べば叫ぶほど、実はグランプリンセスから遠ざかっていたのですね。
「守る」のではなく「導く」。もしも民衆が立ち上がってくれなかったら、勝つことが出来なかった。
映画のパンプキン王国でも、国民が絶望パワーとして敵に使われたり、希望パワーとして姫君に搾取されたりと、目まぐるしく変わっていました。
ディスピア様が何度も言っていたように、夢があれば絶望もある。逆に絶望があれば夢もある。
「NS1」で絶望したあの時があったからこそ、今こうして「立ち上がりたい」と思えた。
シャットさんが立ち上がってくれたのは実に嬉しい。
トワ様の元に戻るかと思っていましたが、それ以上の復活だなぁ。
シャット:
「うるさい!!」
「ロック!きさま私を散々馬鹿にしておきながら」
「そのざまは何だ!」
「私たちが落ちぶれている間に」
「プリキュアどころか妖精も人間どももどんどん変わっていく!」
「変わるぞ!私たちも!」
「ディスピアの呪縛から抜け出すのみ!」
絶望を求めて足掻くロックに対し、この怒りの演説。
「助けてくれてありがとう」とプリキュアになびくのではなく、「なんかもういい加減にしろ」的激怒。
己の不甲斐なさへの絶望は怒りにつながり、希望に変わる。
元々ディスダーク自体、夢を否定しているようで否定していない。
ディスピア様も部下たちの夢に応えてる描写が何度もあります。
例えば、クローズの最期の願いを聞いて力を与えたり、トワイライト様付きを望んだシャットにそれを任命したり。
結果的にクローズさん(とフリーズら)はディスピア様と共に消えましたが、彼としてはおそらく本望でしょう。
「悩んだ末に飛び出す」シャット&海藤さん、「親と並び立つ」ロック&天ノ川さんと違い、春野さんとの対比で考えると、夢(絶望)に貫徹するのは必然。
仮にディスピア様が「もうよい。お前は好きに生きよ」と逃がそうとしても(カナタ王子に対し春野さんがそうだったように)、絶望に殉じたはず。
ただ、絵本「花のプリンセス」に出てきた「裏切り者の鳥」のことを思うと、何らかの和解はありそう。
次回最終回の謎の影のこともあり、まだ何か、山場が残っていそう。
感想を書くのが遅れに遅れて、あと数時間で最終回放送なのですけど、このまま楽しみに待とう。
四つのお城が解放され、追い詰められたディスピア様は御自ら侵略を始めました。最初に狙うはノーブル学園。
はるはるらも覚悟を決めて衆人環視の中、コスプレを決行。
されど絶望は留まるところを知らず。玩具は砕け、いよいよどうにもならないそんな時。
あろうことか七瀬さんが絶望の檻を破壊。級友らを叱咤激励し、プリキュアさんらと共闘を始めました。
更にはシャットさんも奮起。落ちぶれている間に、プリキュアはおろか、名もなきモブにまで置いて行かれてるじゃないか!私たちも変わるぞ、ロック!
もはやプリキュアさんにおんぶに抱っこではない。それぞれがそれぞれを励まし、立ち上がり、そして絶望に向かって殴りかかる…!
あまりの勢いにディスピア様もたじろぎますが、あちらさんも後には引けません。
忠臣クローズを取り込んで、何だかよく分からない巨大化とかなされました。
そのあまりの強さに、春野さんらもとうとう地に伏す。嗚呼、夢を守れなかった。。
だけどそこに。再び怒れる群衆が襲い掛かる。
助けに来たはずの春野さんらを助けるべく、学園の生徒も理事長も。シャットさんも謎生き物も。王子様も先生も。
皆が手を取り、絶望に向かって拳を振り上げる。戦おう。私たちも。もう守ってもらったり、応援したりするだけじゃない。
皆の攻撃に背中を押され、春野さんらはディスピア様に向かって駆けていく。
夢を守るプリンセスから、夢を導くプリンセスへ。絶望から守るのではなく、皆で絶望に立ち向かう。
そしてとうとうグランプリンセス様に変態なされました。
…グランプリンセスって、称号ではなく二段変身だったのか。
いやまぁ言われてみればそうに決まってるのかもだけど、虚を突かれた気分。
一同みんなの夢を乗せ、グランプリンセス様の最後の大技により、ディスピア様は消滅なされました。
後には言葉一つを残して。
ディスピア様:
「忘れるな。絶望は…」
これに春野さんは一声、凛と答えた。
春野さん:
「ごきげんよう」
まるで再び会うことを前提としたようなこの決め台詞。
絶望はいずれまたやってくる。でもそれを恐れはしない。
早くも次回予告では不穏な影も見えましたが、まずはこれにて終戦。次回はいよいよ最終回です。
(左画像)キャラクタースリーブ Go!プリンセスプリキュア キュアスカーレット (EN-150) (右画像)Go! プリンセスプリキュアボーカルアルバム2 Twitterアカウント:http://twitter.com/RubyGillis |
「NS1」の冒頭で涙したのはもう3年以上も前。
あの時、勇ましく戦うプリキュアさんらを見て、逆に絶望した気持ちは今でも思い出します。
プリキュアさんは強い。とても強い。
観覧車の上に勢ぞろいし、颯爽と駆けていく姿はとても頼もしく、応援する声にも力が入る。
でも。
あまりにも強くて頼もしい故に、残酷なほど思い知らされてしまう。結局のところ、私らは応援しているだけだ。
「普通の女の子」のはずの彼女らは、あんなにも強い。それなのに自分は…。
当時は「誰でもプリキュアになれる」が回答でした。ここでいう「プリキュア」とは、文字通りのコスプレ娘のことではないのでしょうけど、描写や実際の感覚としては、やっぱり特別感がある。エコーさんも「NS3」では随分と偉ぶっていらっしゃいましたし。
そこから時代が流れ。正真正銘、ただの民間人たる七瀬さんや学生が反撃に出るこの展開は、非常に熱い。
度重なる悪夢テロにも心折られることなく、むしろ奮い立たせ、何度も失敗したのちの、とうとうの絶望の檻破壊。
プリキュアに変身するでもなく。謎生物や王子や敵幹部らとも対等に肩を並べ、一民間人としての反撃です。
民衆の反撃自体は、「フレッシュ」や「ドキドキ」でも行われていたこと。
ですがグランプリンセスの定義が「夢を導くこと(一方的に守るのではなく)」だったように、今作ではより強くテーマに推されていた。
春野さんらが「夢を守らなきゃ」と叫べば叫ぶほど、実はグランプリンセスから遠ざかっていたのですね。
「守る」のではなく「導く」。もしも民衆が立ち上がってくれなかったら、勝つことが出来なかった。
映画のパンプキン王国でも、国民が絶望パワーとして敵に使われたり、希望パワーとして姫君に搾取されたりと、目まぐるしく変わっていました。
ディスピア様が何度も言っていたように、夢があれば絶望もある。逆に絶望があれば夢もある。
「NS1」で絶望したあの時があったからこそ、今こうして「立ち上がりたい」と思えた。
シャットさんが立ち上がってくれたのは実に嬉しい。
トワ様の元に戻るかと思っていましたが、それ以上の復活だなぁ。
シャット:
「うるさい!!」
「ロック!きさま私を散々馬鹿にしておきながら」
「そのざまは何だ!」
「私たちが落ちぶれている間に」
「プリキュアどころか妖精も人間どももどんどん変わっていく!」
「変わるぞ!私たちも!」
「ディスピアの呪縛から抜け出すのみ!」
絶望を求めて足掻くロックに対し、この怒りの演説。
「助けてくれてありがとう」とプリキュアになびくのではなく、「なんかもういい加減にしろ」的激怒。
己の不甲斐なさへの絶望は怒りにつながり、希望に変わる。
元々ディスダーク自体、夢を否定しているようで否定していない。
ディスピア様も部下たちの夢に応えてる描写が何度もあります。
例えば、クローズの最期の願いを聞いて力を与えたり、トワイライト様付きを望んだシャットにそれを任命したり。
結果的にクローズさん(とフリーズら)はディスピア様と共に消えましたが、彼としてはおそらく本望でしょう。
「悩んだ末に飛び出す」シャット&海藤さん、「親と並び立つ」ロック&天ノ川さんと違い、春野さんとの対比で考えると、夢(絶望)に貫徹するのは必然。
仮にディスピア様が「もうよい。お前は好きに生きよ」と逃がそうとしても(カナタ王子に対し春野さんがそうだったように)、絶望に殉じたはず。
ただ、絵本「花のプリンセス」に出てきた「裏切り者の鳥」のことを思うと、何らかの和解はありそう。
次回最終回の謎の影のこともあり、まだ何か、山場が残っていそう。
感想を書くのが遅れに遅れて、あと数時間で最終回放送なのですけど、このまま楽しみに待とう。