■Go!プリンセスプリキュア 第50話(最終回)「はるかなる夢へ!Go!プリンセスプリキュア!」
前回。ディスピア様を屠ることに成功しました。さらば絶望。
最後に何か言ってた気もしますが、聞き取れなかったので気にすまい。
血濡れた拳を高く掲げるプリンセスの姿に、民衆共の勝鬨の声が呼応します。
が、戦勝の宴はすぐに中断。空気を読まずに、即座にクローズさんが襲ってきました。
絶望は何度でも蘇る。ディスピア様の遺志を継ぎ、クローズさんは颯爽と空を舞う。
最初の頃はいかにも雑魚っぽい初期幹部だったのに、ここまで出世なされたか。
プリンセスどもも勿論すぐに迎撃に入ります。
グランプリンセスの名の元に、理不尽な暴力が絶望に襲い掛かる…!
しかしクローズさんはへこたれません。この圧倒的な絶望の中、それでも絶望しないのです。
絶望の権化のはずなのに絶望しないというのも変な話ですが、絶望を信じているからこそ絶望していて、だからこそ絶望せずに立ち向かって、でもそれこそが絶望で、良く分からん!!
夢と絶望は対。
グランプリンセスとディスダークも対。
春野さんが絶対に夢を捨てないように、クローズさんもまた絶望を諦めない。
絶望があったからこそ、夢も成長できた。
夢があったからこそ、絶望も成長した。
一介の幹部に過ぎなかったクローズさんが、立派な首領になられたように。
名もなきモブでお馴染みだった春野さんが、立派なプリンセスになれたように。
不毛の殴り合いの末、両者ともに気が付きました。
自分が諦めないように、こいつも絶対諦めない。
だからといって共存できる相手ではない。が、殲滅もまた不可能。
悟りと共に双方が拳をおろし、戦いは終わりました。
おろした拳で握手はしない。敵は、敵だ。
でも「なくすことはできない」ことはお互いに認めた。
だから笑顔で両者はしばしの別れを告げる。
はるはる:
「ごきげんよう」
勝利宣言としては微妙なこの決め台詞は、こういう展開のためだったんだなぁ。。
こうして戦いは終わりました。一時的に。
絶望はなくならない。今の自分たちの生活も関係も、いずれ変わっていく。
でも同じように、希望や夢もなくならず引き継がれていくのです。
未来のどこかで絶望が再びやってきも、きっとその時代の人たちが立ち向かってくれるはず。
終わらない戦いであることを受け入れ、未来の希望を信じ、ひとまずは春野さんらの物語はおしまい。めでたしめでたし。
【今年のプリキュアさん】
キャラクターとしてはスカーレットさんが好きでした。
正直もうどうにもならない時、彼女の専用EDは実に励みになった。
「どの過去も生きる力に。私の炎、誰も消せない」と口ずさんで散歩したあの日が、今となっては懐かしい…。
あえて残念なところを挙げるなら、トワイライト様時代の力が直接は使われなかったこと。
「絶望が成長になる」ことや専用EDの歌詞を考えると、期待していたのだけどなぁ。
こう、トワイライト能力でディスピア様に一矢報いて、「あなたが教えてくれた力ですよ、お義母様」とやるような、そんな感じで。
【今年のプリキュアさん2】
これまでのプリキュアシリーズで徹底的に敵視されてきた「絶望」。
単純に排除するのではなく「絶望があるからこそ成長する」と向き合ったのは、新世代プリキュアらしい一歩だったと思います。
今までのシリーズでいうと「スイート」さんが思い浮かびますが、意味合いとしてはかなり違うと思う。
たとえば「子供の頃に親が死んだ。悲しい(絶望だ)。しかし弟妹を守るために奮闘して成長した。今は幸せだ」といったとき。
「親が死んだ」ことは「悲しい」ですが、「悲しみがあったから幸せがある」わけではない。
「悲しみは悲しみとして胸に抱えて、同じ悲しみを持っている皆と共有・連帯して笑顔になろう」です。
悲しいことがないならないで、笑顔にはなれる(それが叶うなら、その方がずっと良い)。
今作の場合「親が死んで絶望したが、その絶望を乗り越えるために努力したおかげで成長できた」です。
これは「親が死んだから成長できた。ありがとう」ではなく、「絶望したから成長できた。だからその「絶望」の感情に感謝」。
もしも悲劇や失敗に直面しても、絶望しなかったならば成長はない。
回想で春野さんの失敗シーンが怒涛の如く流れましたが、失敗に対し絶望せず「まぁしょうがないよねー」と流していたら、成長はない。
一つ一つで落ち込んで絶望し、問題意識を持ったからこそ、乗り越えようと努力できた。
OPやEDの歌詞が「失敗したり逃げたことがある」ような内容が見られたのも、このテーマの為だったんだろうな。
絶望するような悲劇そのものは勿論回避したい。絶望したくないし、絶望に負けたくない。
だからこそ回避しようとして成長するし、だからこそ絶望にも感謝する。
相容れないからこそ、存在を認める。この奇妙な関係。
【今年のプリキュアさん3】
グランプリンセスになれなかった理由が、「夢を守るのではなく、導くのがグランプリンセスだから」なのは面白かった。
これまでのプリキュアさんらがやってきた「絶対に守って見せる」⇒「ミラクルライトで応援」の構図ではない。
「絶対に守って見せる」⇒「それを見て民衆が蜂起」の構図。(あえて比較するならフレッシュのラビリンスでの最終決戦)
完全決着をつけないまま、次世代に託す…というのも良かった。
絶望がくると分かっているのに、抜本的対処はせず、次も乗り越えらえると信じて待つ。
目標を達成すべく努力はするけれど、同時に、完璧な達成が無理であることも受け入れる。現実にはこのバランスが難しい。。
メタ的にいえば、「「プリキュア」だけでは世の絶望はなくせない」。そりゃそうです。
「スマイル」や「ハピネス」で特に扱われていたように、所詮はアニメ。限界はある。
でも「プリキュア」を見て夢を抱いた子たちが、また次の世代へと繋げていけば、夢は限りなく実現していくはず。
【今年のプリキュアさん4】
これまでやってきたことをまとめつつ、新しい一歩を踏み出したような、そんな1年でした。
EDの「勇気試す今日はきっと 明日変えるためにあるから」は胸に刻みたい。
前作でも使われていた「勇気」ワードは、個人的に「根性」とかよりも好き。
「根性」には「じっと耐える」みたいなニュアンスを感じるけど、「勇気」には前向きなイメージを感じます。
学生時代に運動をやってたころ、よく仲間内で言ってた。「これから100メートルダッシュ20本行く。1分後には苦しんでるだろうけど、勇気を出して始めよう」みたいな。
今でも会議室のドア開けるときとか、思い出しますね。5分後には会社来なきゃよかったと思ってるだろうけど、勇気出して中に入ろう…。
怖いこともあるし、絶望もある。夢や目標には終わりはないし、完全解決もできない。
はるはるさんも言っていたように、「絶望しない」のはかなり厳しい。
ですが将来の絶望に怯えて立ち止まるのではなく、自分が絶望の感情を持てることに感謝して、その絶望を変えるために勇気を出して踏み出したいです。
前回。ディスピア様を屠ることに成功しました。さらば絶望。
最後に何か言ってた気もしますが、聞き取れなかったので気にすまい。
血濡れた拳を高く掲げるプリンセスの姿に、民衆共の勝鬨の声が呼応します。
が、戦勝の宴はすぐに中断。空気を読まずに、即座にクローズさんが襲ってきました。
絶望は何度でも蘇る。ディスピア様の遺志を継ぎ、クローズさんは颯爽と空を舞う。
最初の頃はいかにも雑魚っぽい初期幹部だったのに、ここまで出世なされたか。
プリンセスどもも勿論すぐに迎撃に入ります。
グランプリンセスの名の元に、理不尽な暴力が絶望に襲い掛かる…!
しかしクローズさんはへこたれません。この圧倒的な絶望の中、それでも絶望しないのです。
絶望の権化のはずなのに絶望しないというのも変な話ですが、絶望を信じているからこそ絶望していて、だからこそ絶望せずに立ち向かって、でもそれこそが絶望で、良く分からん!!
夢と絶望は対。
グランプリンセスとディスダークも対。
春野さんが絶対に夢を捨てないように、クローズさんもまた絶望を諦めない。
絶望があったからこそ、夢も成長できた。
夢があったからこそ、絶望も成長した。
一介の幹部に過ぎなかったクローズさんが、立派な首領になられたように。
名もなきモブでお馴染みだった春野さんが、立派なプリンセスになれたように。
不毛の殴り合いの末、両者ともに気が付きました。
自分が諦めないように、こいつも絶対諦めない。
だからといって共存できる相手ではない。が、殲滅もまた不可能。
悟りと共に双方が拳をおろし、戦いは終わりました。
おろした拳で握手はしない。敵は、敵だ。
でも「なくすことはできない」ことはお互いに認めた。
だから笑顔で両者はしばしの別れを告げる。
はるはる:
「ごきげんよう」
勝利宣言としては微妙なこの決め台詞は、こういう展開のためだったんだなぁ。。
こうして戦いは終わりました。一時的に。
絶望はなくならない。今の自分たちの生活も関係も、いずれ変わっていく。
でも同じように、希望や夢もなくならず引き継がれていくのです。
未来のどこかで絶望が再びやってきも、きっとその時代の人たちが立ち向かってくれるはず。
終わらない戦いであることを受け入れ、未来の希望を信じ、ひとまずは春野さんらの物語はおしまい。めでたしめでたし。
(左画像)映画Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!(Blu-ray特装版) (右画像)Go! プリンセスプリキュアボーカルアルバム2 Twitterアカウント:http://twitter.com/RubyGillis |
【今年のプリキュアさん】
キャラクターとしてはスカーレットさんが好きでした。
正直もうどうにもならない時、彼女の専用EDは実に励みになった。
「どの過去も生きる力に。私の炎、誰も消せない」と口ずさんで散歩したあの日が、今となっては懐かしい…。
あえて残念なところを挙げるなら、トワイライト様時代の力が直接は使われなかったこと。
「絶望が成長になる」ことや専用EDの歌詞を考えると、期待していたのだけどなぁ。
こう、トワイライト能力でディスピア様に一矢報いて、「あなたが教えてくれた力ですよ、お義母様」とやるような、そんな感じで。
【今年のプリキュアさん2】
これまでのプリキュアシリーズで徹底的に敵視されてきた「絶望」。
単純に排除するのではなく「絶望があるからこそ成長する」と向き合ったのは、新世代プリキュアらしい一歩だったと思います。
今までのシリーズでいうと「スイート」さんが思い浮かびますが、意味合いとしてはかなり違うと思う。
たとえば「子供の頃に親が死んだ。悲しい(絶望だ)。しかし弟妹を守るために奮闘して成長した。今は幸せだ」といったとき。
「親が死んだ」ことは「悲しい」ですが、「悲しみがあったから幸せがある」わけではない。
「悲しみは悲しみとして胸に抱えて、同じ悲しみを持っている皆と共有・連帯して笑顔になろう」です。
悲しいことがないならないで、笑顔にはなれる(それが叶うなら、その方がずっと良い)。
今作の場合「親が死んで絶望したが、その絶望を乗り越えるために努力したおかげで成長できた」です。
これは「親が死んだから成長できた。ありがとう」ではなく、「絶望したから成長できた。だからその「絶望」の感情に感謝」。
もしも悲劇や失敗に直面しても、絶望しなかったならば成長はない。
回想で春野さんの失敗シーンが怒涛の如く流れましたが、失敗に対し絶望せず「まぁしょうがないよねー」と流していたら、成長はない。
一つ一つで落ち込んで絶望し、問題意識を持ったからこそ、乗り越えようと努力できた。
OPやEDの歌詞が「失敗したり逃げたことがある」ような内容が見られたのも、このテーマの為だったんだろうな。
絶望するような悲劇そのものは勿論回避したい。絶望したくないし、絶望に負けたくない。
だからこそ回避しようとして成長するし、だからこそ絶望にも感謝する。
相容れないからこそ、存在を認める。この奇妙な関係。
【今年のプリキュアさん3】
グランプリンセスになれなかった理由が、「夢を守るのではなく、導くのがグランプリンセスだから」なのは面白かった。
これまでのプリキュアさんらがやってきた「絶対に守って見せる」⇒「ミラクルライトで応援」の構図ではない。
「絶対に守って見せる」⇒「それを見て民衆が蜂起」の構図。(あえて比較するならフレッシュのラビリンスでの最終決戦)
完全決着をつけないまま、次世代に託す…というのも良かった。
絶望がくると分かっているのに、抜本的対処はせず、次も乗り越えらえると信じて待つ。
目標を達成すべく努力はするけれど、同時に、完璧な達成が無理であることも受け入れる。現実にはこのバランスが難しい。。
メタ的にいえば、「「プリキュア」だけでは世の絶望はなくせない」。そりゃそうです。
「スマイル」や「ハピネス」で特に扱われていたように、所詮はアニメ。限界はある。
でも「プリキュア」を見て夢を抱いた子たちが、また次の世代へと繋げていけば、夢は限りなく実現していくはず。
【今年のプリキュアさん4】
これまでやってきたことをまとめつつ、新しい一歩を踏み出したような、そんな1年でした。
EDの「勇気試す今日はきっと 明日変えるためにあるから」は胸に刻みたい。
前作でも使われていた「勇気」ワードは、個人的に「根性」とかよりも好き。
「根性」には「じっと耐える」みたいなニュアンスを感じるけど、「勇気」には前向きなイメージを感じます。
学生時代に運動をやってたころ、よく仲間内で言ってた。「これから100メートルダッシュ20本行く。1分後には苦しんでるだろうけど、勇気を出して始めよう」みたいな。
今でも会議室のドア開けるときとか、思い出しますね。5分後には会社来なきゃよかったと思ってるだろうけど、勇気出して中に入ろう…。
怖いこともあるし、絶望もある。夢や目標には終わりはないし、完全解決もできない。
はるはるさんも言っていたように、「絶望しない」のはかなり厳しい。
ですが将来の絶望に怯えて立ち止まるのではなく、自分が絶望の感情を持てることに感謝して、その絶望を変えるために勇気を出して踏み出したいです。