穴にハマったアリスたち

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夢の舞台と、せめてそうすれば

2012年07月10日 | 王様の耳はロバの耳
中途半端になった気がするので、昨日の続きで「進捗管理」について思ったことを書いてみる。

進捗の管理は大事です。逆の視点でいえば、自分の進捗を報告することも大事です。
この点に異議のある人はそんなにはいないはず。
会社の新人さんに最初に教育される項目の一つだとも思う。

でも現実に則して考えると、微妙に意味がないように思えます。

話を簡単にするため、単純な事務作業を例に考えてみます。
仮に「月曜から金曜までの間に、5個の棚の整理をする」タスクを、可愛い新人さんに与えたとしましょう。
可愛い新人さんは大変に可愛く頑張りましたが、お気の毒なことに達成できなかったとする。さて、どうなるか。

(1)

「できませんでした。ごめんなさい」

この報告を納期である金曜日にしてきたとしたらどうなるか。
激怒ですよ、激怒。
何故もっと早く言わなかったのかと。

…ここまでは良い。
おそらく誰もが最初に教えられるし、教えることだと思う。
無理なら早めに言えと。

問題は、では早めに言ったら解決するのかという点。

(2)

「できそうにありません。ごめんなさい」

これを月曜日に言ってきたとします。
仕事を言いつけたその日の内に、己の力量と作業量を見切り、早々にアラームをあげました。
潔いです。危機管理の意識が充実してます。

しかし貴方はきっとこう言うでしょう。

「いいからやれよ」「いきなり諦めるな」と。

これは至極もっともです。
どう考えても不可能な作業を与えていたのならともかく、それで給金を得ている以上、一定ライン以上の仕事はしてもらわないと困るのです。
できないからできません。とか、いきなり言ってくるようでは、仕事が成立しませんし成長もありません。

(3)

では火曜や木曜に悲鳴をあげたらOKなのか。

…別にそんなことはないですね。
金曜では手遅れだが、木曜なら間に合うなんて根拠はないし、月曜に諦めるのは根性無しだが火曜なら妥当なんて理屈もありません。
そして何より「任せた仕事は完遂してもらわないと雇ってる意味がない」のです。

理想論を言えば、いざという時の補佐用に常に余剰人員をキープしておいたり、凄まじく余裕のある納期を設定すべきなんでしょう。
ですが、そんなことはできはしない。
というかそんな余裕が持てるのなら、そもそも新人を雇ったりせず、既存の社員で利益分配します。そっちの方がありがたいもの。

(結論)

進捗を管理する意味はない。
「調子はどう?」と聞いて、その結果どんな返事が来ようと、「そうか、仕事は甘くないんだからとにかく頑張れ」以上の答えはできないのだから。
なんだこれ。

無論、例外はある。
「棚を整理した結果、不要書類が出たのだけどどういう手続きで破棄すればよいのか分からない」といった、単純に知らないことが原因で出来ない要素は、報告を受けることで対処できる。
あるいは「棚は5個と聞いていたが、隠し棚があって実際は10個だった」のような、「確かにそれはどうしようもないな!」なケース。
指揮形態が乱れていて、複数のラインから仕事が集中してるような場合も、現状を上に認識させることは意味はある。

ですが、根本の実力不足や、他の要因による遅れ(天候による遅延だとか)は聞いたところでどうしようもない。
いいからやれ。そして根性と誠意を見せるんだ。
結果、納期ぎりぎりにいよいよどうしようもなくなって、他の忙しい人員を無理に引っ張ってきて、夜を徹して緊急作業をする展開になる。
大変にブラックです。しかし単純に考えれば考えるほど、他に手はない。困ったことに。

(結論2)

と、そのような結論が導き出せるのですが。
欠落している要素は、勝利条件をどこに設定するのか?だと思う。

仕事を完遂することを至上命題とすると、確かにどん詰まりになるのだけど、そこを動かせるのなら話は変わります。
客にしろ上司にしろ、仕事を完遂するといった哲学的妄執にとり憑かれているのではなく、要は己の用を足せればよいのです。

例えば「私の実力では金曜までに4棚しかできない」「金曜が納期ということだが、これは月曜朝までに仕上がっていれば良いという意味か?」といった調整は、現実には十分あり得ます。
実際問題として月曜に準備できていればよいのなら、金曜に拘る理由はないのだから。

あるいは「5棚全部を完遂するのは無理だが、4棚を完了することはできる。もしくは5棚全てを進捗率80%に持っていくことはできる。どちらの方がマシか」とか。
これも十分にあり得そうな提案です。

更には「今週は玉砕覚悟で残業するから来週は代休をくれ」でもいいし、「この仕事を放棄した場合のペナルティを教えてくれ」でもいい。

そういった報告なら、管理のしようがあります。
まぁもちろん、「いかなる調整も許されない至上命題である。戦って、死ね」という指示が飛ぶ可能性もあるにはありますが。

(結論3)

ですが(結論2)で書いたことは、進捗を放棄してるとも言えます。
そもそも「納期に間に合わせる」前提が捨て去られてるから。
「進捗管理とは、破綻した進捗を管理するのものである」と言ってしまえばそれまでですが。

またどれだけ上手くやりくりしたとしても、結局は最後は、何らかの形で仕事を成し遂げないといけません。
(当然ですが、「仕事を放棄することによるペナルティを支払う」という形での完了も可。とにかく何でもいいから終わらせないとはいけない)
「上手いこと言いくるめて納期を来週の月曜に延ばしたけど、結局間に合わなかった」「よし、更に上手いこと調整して延ばしてみよう」といったことを繰り返しても、先がありません。
どこかで根性論に頼って、己の身一つで戦う覚悟を決めないといけない瞬間は、どうしてもやってくる。

といったわけで、「納期を達成するために」進捗を管理するマネージャーは、単なる管理ごっこがしたいだけじゃなかろうか。
知ったところでどうしようもないのに、報告受けてもしょうがないじゃないか。

もちろん逆に「納期を達成するために」進捗を報告する作業者も、何かがズレてる。
大丈夫、どれだけ危機的状況を訴えようと、誰も助けになんて来れないから。そんなことに期待して、報告しても虚しいだけだ。

で、ここの発想が噛み合ってないと、指示する側からは「最近の若者はすぐに音を上げる」と不満が出て、指示される側からは「無理難題を押し付けられる」となるんじゃなかろうか。
まず「納期を達成する」という発想を捨てよう。そこは主眼じゃない。

(蛇足)

「進捗率○%です」みたいな報告をしてくる人はいる。
どれほどの意味があるかというと、それはそれで疑問です。
その「○%」の根拠は何だと。

もしも正確に「○%」を弾き出せるのなら、何で報告に来てるのか分かりません。
だって完璧に状況を把握できているのだから、「問題なしです」か「投了します」の二択しかないでしょう。
そして後者は聞いたところで意味がないのです。既に上に書いた理由で。

逆に正確に見積もれていない場合。
「80%だと思っていたら、見込み違いで50%でした。ピンチです」みたいなのは、もはや数字の信頼性が失われているのだから、何の意味も持っていません。
再計算した50%を信じる理由はないのだから、そんな数字を計算する暇があったら、手を動かせと。だって意味のない数字遊びなんだから。

強いて言えば、追加要員や追加の日数を得るための説得材料にはなるかもしれません。
相手が「で、その○%の分母や分子の妥当性はなんだ」と聞いてこないタイプならば。

(もっとも世の中はったりは大事なので、何がしかの辻褄あわせのための数字を出すこと自体には、意味はあるとは思います。
相手は相手で、適当に仕事を切り上げたいので、信頼性はないことは承知で、とりあえず話に乗っかることも、ままありますし。
だからこそ、「正確な意味はないが、とりあえず管理ごっこのために進捗管理してる」感が強まるのですけれど)

(また、こういった「その妥当性はなんだ」という哲学的問いを避けるために、最初に勝利条件を定義するのは大事なのだと思う…けどまた話が長くなりそうなので、やめてみる)
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白紙の未来と予定調和

2012年07月10日 | 王様の耳はロバの耳
ちょっと仕事が一段落したので、仕事中に思ってたことを書いてみる。

よく仕事をしていて「計画を立てて管理すべし」と言われる。
なるほど。
しかし本質的に無意味だと思うし、ただの管理ごっこのように思えます。

というわけで、「夏休みの宿題」を例に考えてみる。
夏休み(便宜上40日とします)に、算数の宿題(120ページあるとする)を計画的にやり遂げるにはどうすればいいか。

(1)
毎年夏休み終了間際にバタバタと修羅場を迎えていたとあるお子さん、今年こそは楽に終わらせようと計画を立ててみた。

「40日で120ページなのだから、毎日コツコツと3ページやろう」。

…論外ですね。確実に破綻します。

「毎日コツコツ」というのは一見堅実ですが、言い換えると一日たりとも休むことができない超リスキー策。
現実には体調の悪い時や、遊びに行きたい日だってあるわけで、「毎日コツコツ」なんて計画を立てた時点で、崩壊は目に見えています。
定時退社を徹底すると、確実に残業する羽目になるのとほぼ同じ理屈。

(2)
そこで多少の余裕をみると、こうなる。

「40日の内、10日は勉強できないだろう。だから30日で120ページとして、毎日4ページやろう」。

…さっきよりはマシですが、やっぱりこれも破綻すると思われます。

「毎日均等に作業する」ことが前提になっていますが、実際にはページによって難易度の差があります。
さくさく進んでいたと思ったら、急に難しくなったりとか。

厄介なことに、実際にやってみるまで難易度はなかなか分からない。
「1ページ当たりの問題数が多い」といった単純なことなら事前調査も可能だけど、やってみて初めて分かることは多いです。

取れる対策は二つ。納期に余裕を持たせるか、一日あたりのノルマを増やして難度が低い内にページを稼ぐか。
この場合前者は採用できないので(夏休みは伸びてくれない!)、前もって一日のペースを上げるしかありません。

(3)

「40日の内、10日は勉強できないだろう。だから30日で120ページとして、毎日4ページやろう」。
「さらに、いつ難易度が上がって進みが遅くなるか分からないから、1ページ余計にやって、毎日5ページは解くようにしよう」

…まだ発想が抜けてます。

この計画を支える大前提は、「宿題は算数が120ページ」。
ですがこれが全てである保証がありません。
問題集を進めていたら、「続きは別の問題集参照」とか酷いことが書いてあるかもしれません。
あるいは「実は理科の自由研究もしなきゃいけなかった」とか。

追加や割り込みで別のタスクが発生したり、当初予期していなかった作業が増えるのはよくあること。
これらを想定していないと、やっぱり計画は破綻します。
とはいえ、計画段階では具体的には予期できないのだから、取れる対処法は限られてます。
納期に余裕を持たせるか、前倒しで作業を進めるか。
前者が不可なんだから後者しかない。

(4)

「40日の内、10日は勉強できないだろう。だから30日で120ページとして、毎日4ページやろう」。
「さらに、いつ難易度が上がって進みが遅くなるか分からないから、1ページ余計にやって、毎日5ページは解くようにしよう」
「万が一、他にも宿題あると困るな。毎日6ページは頑張るか」

…これで120ページ/6ページ=20日で完了する計画が立ちました。夏休み40日の内、半分でいける計算です。

計画を立てたのなら、次は実践です。
そしていざ取りかかろうとして、はたと気づくのです。
そもそも1日に6ページもできるのか?

経験上、6ページくらいなら楽勝だと分かっている場合は問題なし。
次の(5)に進みましょう。
だけどそうではない場合。この計画が現実に達成可能な代物かどうかを判断する必要があります。

それを測るには、やってみるのが一番単純です。
夏休み初日、全力を尽くして問題集に取り組み、何ページできるか確認しましょう。
この時点で4ページとか5ページしかできなかったとしたら、即座に絶望し、助けを求めよう。
ここで「40日で120ページだから、3ページ以上できれば余裕」なんて考えるようじゃ論外なんです。
「やばい、全力出したのに5ページしか進まなかった。これは間に合わない」と考えないと。

(5)

「40日の内、10日は勉強できないだろう。だから30日で120ページとして、毎日4ページやろう」。
「さらに、いつ難易度が上がって進みが遅くなるか分からないから、1ページ余計にやって、毎日5ページは解くようにしよう」
「万が一、他にも宿題あると困るな。毎日6ページは頑張るか」
「初日から全力で取りかかって、実際の進捗具合も確認しよう」

ここまで長々と計画を立ててみました。

…が、肝心なことを忘れてはいけない。
途中の目論見で用いた「余裕を見て1ページ余分にやろう」だのといった計算には、たいした妥当性はありません。
「10日くらいは勉強できない日があるだろうから」とか、もっともらしく考慮してますが、なんで「余裕を見て20日」ではなく「10日」なのかに根拠はないんです。

ではどうするか。
適当な予測がブレても影響を少なくするには、前倒しで作業しておけばいい。
どれくらい前倒せばいいのかを測る方法はないので(だから前倒そうとしているんだ)、「可能な限り」という曖昧な表現になりますが。

(4)までで考えたように「一日6ページ」と計画を立てたのなら、少なくとも6ページは何があろうと成し遂げる必要があります。
きつかろうが、遊びに行きたかろうが、とにかくやるしかない。
これらの要素により「どうしても勉強できない」日があることは織り込み済みの計画ですが、その織り込み方に確証があるわけではないので、安易に妥協したら破綻します。血反吐を吐きながら机に向かいましょう。

(結論)

上記のロジックをまとめると、こういうことになる。

「何があるか分からないので、とにかく最初から全力で最大限の分量を推し進めよう」

もはや計画を立てる意味がありません。
計画を立てようとした結果、「いいからとにかく頑張れ」に陥る不思議。
元々「締め切り間際にバタバタしたくないから」が理由だったことも考えると、もはや何のために計画を立てるのか分かりません。
強いて言えば(4)、「40日で120ページだから、3ページ以上できれば余裕」と考える人に対し、「それじゃ絶対に間に合わない」と説明できるくらい。

上記が奇妙な結論になる理由は単純で、「個々人の作業をどうやるか」の視点で計画を考えているから。
「複数人の作業をまとめた全体視点からの計画」なら、不可思議感は薄れます。
例えば「生徒の学力は、1年間で○○のレベルにしたい」「そのためには夏休みに算数を120ページやらせよう」「夏休み開始前に問題集を配らないといけないから、業者には○日までに発注しないといけない」とか、そういう計画は立てることに意味がありそうです。

現実には、算数の宿題のように個人で机に向かえば進む作業ばかりではない(そうでない方が多い)ですし、「やらなければいけない作業項目は何か」「それぞれにかかる日数を積み上げるとどうなるか」を視覚化する意味はあります。
前もって必要な場所や材料が確保できるタイミングを抑えるとか、発注量や予算の組み立てだとかも。
あるいは「絶対に無理だ」と判断する役には立つ。

でもそれらはいわば消去法で確定していく代物であって、ほとんど考える余地がない。
現実には始めから大枠は決まっていますから、単純な穴埋め作業をするだけ。
計画を立てると言うか、方針や備忘録を作成するといった方が近い。

そして一番厄介でブレうる「個々の作業項目をどう達成するか」については、計画のしようがない。
要は、「発表会場を確保してなかった」みたいな論外を防ぐことはできても、「発表物をいかにして作成するか」に無力なんです。
「夏休みに120ページの宿題をさせる」という計画は立てられても、「実際に120ページをどう達成するか」は個人の根性に任せるしかない。

といったわけで、微妙に茶番のような気がしてならないです。「計画を立てる」という行為には。
(これと併せて進捗管理も茶番だと思うのだけど、長くなるのでやめておく)


(蛇足)

上の例では「納期を延ばせない」想定で書いていますが、実際には延ばせます。
というか、「苦労して宿題やるくらいなら、新学期に怒られた方がマシだ」の選択肢がある。
(仕事の場でも、それほど間違った選択肢ではない)

また「120ページ」という当初の目標も調整できることがある。
例えばスピーチの締め切りのような場合、本当なら100時間かけて準備したかったけど、時間の都合で80時間で体裁を整えた…とか珍しい話ではない。

これらも考慮すると、ますます個人の計画が意味不明なものになります。
真剣に立てようとすると過酷なスケジュールにならざるを得ず、かといって破りたければ破る選択肢もあり、とか管理の面でいえば何の意味が…。
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