今、テレビでクロアチアのドゥブロブニクを写しているのですが、赤い屋根瓦の美しい街に、点々と残る銃弾の後。そして、新しい屋根瓦の家々は、爆弾で壊された家という説明がありました。
戦争と言うのは、まさに人類の愚行に他なりません。そしてそれを始めるのは、対話を切って武力に移行したからでしょう。自分が相手より強いと思うからか、自暴自棄か、追い詰められての思考放棄か…。
少なくとも、相手より強ければ安心、という神話はないと思ってよいでしょう。確かに軍事強国アメリカは、本土をやられたのは9・11だけ。ですが、何万人の若者の生命を戦争で失っていることでしょうか。
武力の信奉者は、解決を武力に求めます。その結果、若い人の生命を失わせます。増して戦争に行かないだろう年齢の人間は、無責任な武力による解決を持ち出していいのだろうか…と思っています。勇ましい短慮な若者を諌めてこそ、高齢者の言葉ではないかしらと。
どんな無法者が隣に居ようと、それを煽るような愚かな真似はすまい。ねばりづよく対話を重ねていくしかない。それこそ無謀な戦争で痛い目に合った日本という国が、世界に呼びかけていくことではないでしょうか。
2011年、皆さまと考えていきたいと願います。戦争のない世界にするために、貧富の差を少しでも減らせるようにと祈りつつ。
「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
珠
コメントをありがとうございました。
憲法9条がある限り、自衛隊の海外派遣での戦闘行為は出来ないでしょう。
ただ、日本の若者を戦闘行為を禁じておいて、危険地帯で、まるで軍隊のような治安行為をさせるのは、彼らの命を考えると、非常に問題だと思っています。
災害救援などの人道支援に限るべきでしょう。
憲法9条こそ、そのギリギリの歯止めだと思っています。