豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

カウント・ダウン

2001-12-31 23:08:19 | シドニー
12月31日(月) 晴時々雨

    カウント・ダウン

「あなたはミレニアムをどこで迎えたいですか?」世界中で行われた人気調査でシドニーは圧倒的に第1位でした。午後9時からシドニー湾の4箇所で30分間次々花火が打ち上げられました。花火見物には50万人が参加したそうです。シドニー湾の花火スポットは夕方から人の波。アルコールとガラス製品は持ち込み禁止です。そしてカウントダウンの瞬間にはハーバーブリッジが花火に包まれました。この仕掛花火は高さが130m以上あるんですよ。
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ダーリンハーバーの海鮮レストラン

2001-12-30 23:07:41 | 食事
12月30日(日) 快晴

   ダーリンハーバーの海鮮レストラン

シドニーは海鮮料理が安くてうまい。オーストラリアのイセエビは体調が50cmと巨大です。クルマエビや小エビも山盛りにして出されます。牡蠣やカニの種類も豊富です。ムール貝もいけます。魚は刺身や焼き魚や干物はオープンテラスのレストランではメニューにありませんから、カルパッチョかシーフードサラダがお奨めです。
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円は異なもの 

2001-12-29 23:07:07 | Weblog
12月29日(土) 快晴

  円は異なもの 

近所の留学生と知り合いになりました。彼は来月帰国するそうで、家財道具のガレージセール中。状態のいい自転車をヘルメットつきで60ドルで買いました。4ヶ月前だと1ドルは60円ですから3600円。現在は1ドルが65円なので3900円。海外生活を送っていると円安は大きな問題です。はたして円は来年も大丈夫でしょうか?
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ダーリンハーバー

2001-12-28 23:06:35 | シドニー近郊
12月28日(金) 快晴

     ダーリンハーバー

ダーリンハーバーはオリンピックを機に再開発されたウオーターフロントで、若者の人気スポットです。ここに超大級のツリーが飾られていたはずですが、既に撤去。同じ場所で大道芸人が熱演していました。今日のシドニーの気温は35度です。
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クリスマスツリー

2001-12-27 23:06:09 | Weblog
12月27日(木) 快晴

   クリスマスツリー

マーチンプレースはいわば「シドニー銀座4丁目」。労働組合の強いオーストラリアではほとんどの労働者が、12月21日から1月2日の12日間の連休です。学校も夏休みなので繁華街は人の波。日本から観光客も押し寄せています。このツリーは1月3日撤去の予定だそうです。
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夏のシドニーに原野火災はつきもの

2001-12-26 23:05:20 | Weblog
12月26日(水) 快晴
  
夏のシドニーに原野火災はつきもの

朝7時、飛行機がシドニー空港に着陸すると林野火災のために焦げ臭いにおいとスモッグが立ち込めています。気温は35度、湿度は15%、シドニー周辺の10箇所前後で林野火災が発生しています。オーストラリアは山や川があまりないので鎮火にはかなりの期間を要します。キャンベルタウンの周辺でも4ヶ所から煙があがっています。林野火災は樹木更新の自然現象なので地元ではあまり大騒ぎはしません。4ヶ月ぶりに家に戻ると4日前に嵐があったそうで、前庭の大木の大枝が折れて玄関をふさいでいます。まあ、これも自然現象ですから大騒ぎしてもみっともないですからね。
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 Bon Voyage ! オリビア

2001-12-25 23:04:40 | 海外旅行
12月25日(火) 晴     

       Bon Voyage ! オリビア

新たな乗客を乗せて、正午にオリビア号は次の世界1周航海に出航したはずです。この写真はピースボートのホームページから借用したもので、今日岸壁で見送る人たちは寒風に震えているはずです。その頃僕は新宿からバスで成田空港に向かっていました。
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丸の内のイルミネーション

2001-12-24 23:04:01 | 東京
12月24日(月) 快晴

     丸の内のイルミネーション

今日は新宿から晴海のオリビア号に出勤です。新任の医師と看護婦に医務室の業務の引継ぎです。8:00pmにやっとすべての仕事が終わりました。イルミネーションを見物しようとタクシーで有楽町に駆けつけました。しかし東京駅側からの一方通行だそうです。うろうろしているうちに9:00pm、イルミネーションが消灯されました。いいんです。僕はクリスチャンじゃありませんから。
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航海先に立たず

2001-12-23 22:27:27 | 海外旅行
12月23日(日) 快晴

 106日間世界1周航海

9月9日に晴海港を出港したオリビア号は106日間の世界1周航海を終えて、今日正午に再び晴海港に戻ります。日本はもう真冬です。僕は冬服を持っていません。Tシャツを重ね着した上からバイク用のウインドブレーカーを着て甲板へ。やっぱり寒い冠雪した富士山がくっきりと見えます。涙を流している女性もいます。僕は感傷に浸っている暇はありません。着岸したらすぐにタクシーで新宿の定宿のホテルに荷物を運び、オーストラリアへ帰国の準備をしなければ。

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   航海先に立たず

PB全体の総括

① 溺死者が1人発生したことは残念。

② 伝染病、食中毒、落水事故などが1件もなかった。

③ ニュウヨークのテロ事件のためエジプトとトルコに寄航できなかったが、代りにギリシャ、クロアチアに寄航したので良しとする。

④ 日本初のリビア観光は、カダフィ大統領とも会見できて,大成功と言えよう。

⑤ 窃盗行為、暴力行為で、2人のウクライナ船員を下船処分とした。

⑥ 3度の台風遭遇は無事に切り抜けた。

⑦ しかし台風の影響で予定していたポンペイは抜港になった。

⑧ OPの「大アマゾン探索」は不評だった。

医務室の総括

① 下船の上帰国させた患者は精神疾患の3人。

② 下船・入院の後PBに再合流した患者は4人。

③ 重篤な患者は、骨折2人、脱臼2人、消化管出血2人、TIA2人、マラリアの疑い1人、出血性子宮筋腫1人、服毒自殺1人を含む精神不穏3人。

④ 1日の平均患者数12.5人と平穏な毎日であった。

個人的総括

① 船酔いはしないし、体調は良好だった。

② 退屈はしなかった。乗客としてよりもスタッフとして乗船する方が有意義だ。

③ 船内生活は、運動不足を除くと、快適だった。

④ 100冊以上の読書ができた。

⑤ 民族、宗教、言語などに関して、密度の濃い学習が可能だった。

⑥ 104日間の出費はおおよそ15万円。

医務室の改善すべき点

① 船医は45歳以上などという奇妙な年齢制限は撤廃すべきだ。

② 医務室にパソコンが必要だ。電子カルテかレセプト・ソフトを導入すべきだ。

③ ケースワーカーを1人採用して欲しい。

④ 医務室に隣接した薬品庫が必要だ。

医療事故もなく、乗客、スタッフとの大きなもめごともなく任務を果たせたことに感謝したい。

14:00東京着岸、新宿の定宿泊。明日24日14:00より申し送り。そして25日20:30成田発、翌26日7:55シドニーに戻る予定だ。



映画:「船上のメリークリスマス」

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若者たちへの提言

2001-12-22 22:26:42 | Weblog
12月22日(土) 晴

 神戸港は2度泣く


早朝神戸に入港。甲板に出てみると身を切るような寒さです。六甲山は冠雪し、時々粉雪が舞います。
ここで200人以上の乗客が下船します。人たちが9:00am、別れを惜しむ人たちが岸壁とデッキとで手を振り合っています。しかし船はそんなに簡単に出発はしません。岸壁の人たちは1度姿を消して、昼食を済ませて、正午過ぎにまたやって来ました。今度こそ本当の別れです。

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   若者たちへの提言

7:00神戸入港。八甲山は雪化粧をしていた。180人が下船。12:00神戸出航。

戦争の根絶

① 国家を消滅する。国連に過度の期待をしない。NGOを通じて世界と手をつなぐ。

② 若者が徴兵を忌避する。

③ 愛国心を捨てる。血縁意識、郷土意識を薄める。

④ 憲法第9条を守り、世界に広める。

⑤ P4が支配している国連安全保障委員会を解体する。

⑥ 選挙では平和勢力に投票する。

民族問題

① 人種のサラダボール化、坩堝化の促進。

② 民族自決は時代遅れ、再考を要する。

③ 天皇制や王制の廃止。

④ アイヌや在日朝鮮人への差別、偏見をなくする。

宗教問題

① あらゆる宗教を廃絶する。信教の自由は認めても、宗教批判は徹底的に推進する。

② マルクス、毛沢東、ゲバラ、アインシュタインなど個人崇拝をなくする。

③ 政教分離運動への支援強化。

④ 宗教的禁忌、女性抑圧、宗教戦争への批判の強化。

⑤ 結婚式や葬式などの儀式を簡素化する。

言語問題

① エスペラントを世界共通語に指定する。

② 義務教育にエスペラントを導入する。法律、文学、ホームページ、案内板、商品の使用説明書、新聞、雑誌、字幕スーパーなどへのエスペラント併記を求める。

③ 英語、フランス語、スペイン語などの世界覇権語を極力使用しない。

環境問題

① 人口の抑制。

② 原発の廃止。

③ マイカーの規制。

④ リサイクルの徹底推進。

⑤ グルメ、ブランド志向を改める。贅沢は悪であることを認識する。

ライフスタイル

① 金銭至上主義を改め、シンプルでストレスのない生活を送る。

② 世界的視野、第三世界に通用する常識を身につける。

③ マスメディアと批判的に接する。



読書:「特捜検察」 魚住昭

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悲しみの島

2001-12-21 22:26:03 | Weblog
12月21日(金)雨

特大イセエビ

最後の晩餐だからということでもないのでしょうが、今夜のメインメニューはイセエビです。オリビア号の夕食はかなり豪華です。松坂牛のステーキやトロの刺身やキャビアも食卓に上ります。それでも1番好評だったのは懐石料理です。小笠原の母島列島を通り過ぎてから、急に寒くなってきました。

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   悲しみの島

57年の人生で、欲しいものは何でも手に入れ、やりたいことはすべてやり尽くし、行きたい所にはどこへでも行った、という思いがある。この航海で初めて訪れた地も多い。しかしそれはリタイアした僕にとって「おまけ」みたいなものだ。時空を超えて生きることはできない。夢もいつかは醒める。

航海最後の時差調整で、オリビア号も今日から日本時間だ。乗客もスタッフも本土復帰に大忙しだ。

沖縄の古代文明は3万年前の旧石器時代まで遡る。日本と同じで文字を持たなかったので、13世紀までの記録はない。

1372年、明の皇帝の使者が日本と琉球を訪れる。当時の琉球は三山時代と呼ばれ、3つの勢力が覇権を争っていたが、三山とも明の冊封進貢体制下に入る。

1429年、三山が統一され、琉球王朝が成立。

1609年、薩摩軍3000人が侵入し、幕藩制体制下に組み入れられる。首里城は10日間にわたって薩摩軍の略奪を受けた。

1624年、薩摩藩は奄美諸島を直轄領とした。しかし琉球はその後も中国の冊封進貢体制下に置かれたままだった。

1872年、琉球処分。450年に及ぶ琉球王国は滅亡した。廃藩置県により沖縄県とされる。廃藩置県は前年の版籍奉還に根拠を置くのだが、沖縄はそれまで日本の領土になったことはなく、徳川の支配下にあったわけでもない。明治政府のこの措置に琉球は反対し、中国も反発したが、政府は軍隊、警察を動員し、琉球王を東京に引き立てた。

1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で20万人の県民が死亡。米軍の統治下に置かれる。

1972年、本土復帰。沖縄県へ。

島の歴史はどこも似ている。島民が自給自足の素朴で平和な生活を送っていると、ある日突然侵略者がやってくる。略奪、殺戮、暴行の挙句、宗教、文字など新たな文明と秩序と貨幣経済を押し付ける。同時に病気も運んでくる。免疫のない島民は伝染病で人口を減らし、酒や麻薬に溺れ、貨幣の奴隷となる。島の経済的、軍事的な利点がなくなると侵略者たちは去っていく。固有の文化を破壊され、富を奪われ、経済的に自立できない島民が取り残される。



読書:「大臣」 管直人 





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 クリントンとゴアの行政改革

2001-12-20 22:25:26 | Weblog
12月20日(木) 快晴



      フェアウエル・パーティー

昨日小笠原の母島列島を通過してから急に寒くなってきました。それでも夕方から甲板には大勢の乗客が溢れています。生ビールの売れ行きも好調です。旅の記録のスライド上映が終わると、色々のグループが力強い踊りを披露します。ヨサコイソーランもあれば、アフリカンダンスもあります。踊っている人はいいけど、見ている人は寒くてたまりません。甲板の灯が消えて冬の夜空に満天の星。うっとり見とれていると花火が次々上がります。遠くの花火もいいけれど、近くの花火も怖くて、迫力があっていいものです。花火が終わると同時に暖房の効いている船室の戻りましたが、甲板では若者たちが大勢プールに飛び込んだそうです。風邪をひいても知らないよ。

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   クリントンとゴアの行政改革

12:00小笠原の母島諸島沖を通過、いよいよ日本だ。20:00より甲板でフェアウエル・パーティー。22:30から10分間花火が景気良く打ち上げられた。

日本の景気は最悪らしい。赤字国債を発行し、福祉を切り捨てて泥沼に落ち込む勢いだ。小泉内閣の行政改革はどうやら竜頭蛇尾に終わりそうだ。かつてアメリカもイギリスも経済不振と財政赤字に苦しんでいた。「小さな政府」を掲げたレーガン、サッチャーが登場し、新保守主義路線で舵取りをした。その基本方針は次の通りだ。

① 福祉政策は怠け者を多数生み出し、その結果財政は赤字になり、経済は停滞する。

② 従って福祉予算は大幅に削減する。

③ 経済の建て直しには生産強化が必要なので、所得税と法人税の減税をする。

④ 規制緩和をし、企業の自由競争を奨励する。

⑤ 行政にも市場原理を導入し、効率を優先する。

その結果、失業者が増大し、貧富の格差は拡大し、上にだけ厚い減税となり、市場は混乱し、企業のモラルは低下した。金融危機が頻発し、医療の儲け主義が蔓延し、航空産業では寡占化が進んで運賃の値上げを招いた。

これに対しクリントンとゴアの行政改革は、①官僚主義打破、②顧客優先、③管理職の大幅削減、④行政の効率主義、を4本の柱とした。4700ページあった連邦規則のうち、1600ページを廃止し、残るページも大幅に簡素化した。軍人、郵便局員を除く公務員を12%削減し、5年間で連邦予算を1080億ドル削減した。

冷戦の終結に伴い、1991年に198万人いた国防省文民を1996年には147万人に削減した。1988年に3000億ドルだった国防予算は1996年には2530億ドルに削減された。これは「平和の配当」と呼ばれる。

クリントンとゴアの改革の成功はすぐさまヨーロッパに飛び火した。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなどに次々左翼や中道左派政権が誕生した。「平和の配当」と福祉優先の行政改革が実行され、産業の構造改革、新たな雇用を生み出し、経済が上向いている。

先進国で冷戦終結後も軍事費を増大し続けているのは日本だけだ。小泉は相も変らぬ福祉切り捨て、上に厚い減税、国費による企業救済、公共工事増大というカビの生えた古い手法でこの不況を乗り切ろうとしている。



読書:「雇用不安」 野村正實

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フランスの国家語政策

2001-12-19 22:24:37 | Weblog
12月19日(水) 快晴

  ミュージカルの練習風景

今夜、70人が出演する英語ミュージカルが2回公演されました。出演者も裏方もすべて乗客です。出演者たちはアジア人、ヨーロッパ人、アフリカ人、アメリカ人の、各20人が4つのパートに分かれて3ヶ月間練習に励んできました。全く見ず知らずの若者たちが、最後を飾って完成度の高い舞台を披露してくれました。晴海を出航して以来100日を過ぎました。

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    フランスの国家語政策

フランス人は自国語であるフランス語をとても大切にする。フランス人は自国の文化が世界一と信じて、英語が喋れるのに、アメリカ人に英語で話そうとしない。このようなことをよく耳にする。多分事実であろう。従って大いに問題がある。

現在フランス本土でフランス語を母語とするのは国民の71%である。残る29%の「フランス人」は、オック語、ブルトン語、アルザスドイツ語などを母語としている。

現在ヨーロッパには50以上の書き言葉があるが、10世紀には6つしかなかった。ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、アングロサクソン語、教会スラブ語である。西ヨーロッパではラテン語だけが純粋な言語であり、フランス語もイタリア語もドイツ語も不純な方言として蔑まれていた。どの国でも支配層がラテン語を使い、庶民は俗語を使っていた。

ルネッサンスが幕をあける14世紀初頭、ダンテが庶民の使う愛の言葉として、俗語で本を書いた。教会や王室や学者たちは彼を異端者として蔑んだ。しかし上流階級しか理解できないラテン語は支配者たちにも不都合が多く、俗語の国家語化は急速に進んだ。

1635年、フランスではアカデミー辞典が発刊された。これは国家語のフランス俗語をラテン語から防衛するためにも、俗語芸術の奨励のためにも必要な措置であった。王室によるてこ入れで、フランス俗語は洗練され、パリはヨーロッパ芸術の中心となり、フランス語はヨーロッパ貴族の言葉になる勢いだった。

1789年の大革命後フランス語の国家語化は更に強化される。「言語の平等は人民の平等」と唱えられ、言語の革命として、フランス人が外国語や方言を使うことは反革命として取り締まられた。

1803年のナポレオン法典では、名前の選択の範囲が厳重に規定され、フランス名以外は違法とされた。

1871年、プロイセンにフランスが敗北し、アルザス地方が割譲される時、ドーデの有名な「最後の授業」という小説が新聞に連載され、愛国心と排外主義昂揚に一役買った。

フランスは国家語政策ではヨーロッパで1番保守的な国である。単一言語主義を取り、国家語以外の言語を使用する国民を弾圧している。その一例として、現在なおフランス本土でプルトン語を母語としている地域に、政府は原発建設地を押し付けることで、愛国心を利用して国内の反原発感情をかわそうとしている。



読書:「日本人の法意識」 川島武宣

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礼節と潔癖症

2001-12-18 22:24:12 | Weblog
12月18日(火) 晴

 指定席

1階の左舷の甲板。僕の船室のすぐ前です。何故か僕の船室には専用の非常口があり、直接甲板に出入りできます。1番手前の椅子が僕の指定席。1日数時間ここで読書をします。甲板は明るいので老眼鏡なしで本が読めるのです。出航以来本日で100冊の本を読破。

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   礼節と潔癖症

僕は15歳からギターとピアノを弾き、ヤマハとカワイの音楽教室に通い、エレクトーンとドラムと声楽もやらされた。18歳から断続的にボールダンスを習いに通っている。

二人の子供もヤマハ音楽教室に通った。10年前に妻が死んだ時に二人は、形式的な葬儀を嫌って鎮魂歌を作曲して演奏した。3年前に二男が死んだ時に、相次ぐ肉親の死に衝撃を受けたのか、長男は音楽を捨てた。以来僕も音楽から遠ざかっている。

僕がカラオケバーが嫌いなのは理屈ではない。チキン肌というか、肌が合わないというのが適切なのか、生理的拒否反応なのだ。社交ダンスとか、キャバレーも厭だ。行列だとか、行進、整列、参列、応援、コンパ、なども気持ちが悪い。僕は子供のときから潔癖症で、他人から触られるのが大の苦手なのだ。厭なものはあくまで厭で、他人と合わせるのが下手だ。自分の世界でのみ生き続けたいと望む。誰とでも踊りたいとか、皆に自分の演奏を聞いてもらいたいとか、いやいや付き合うことはしたくはない。

「私だって好きでやっているんじゃありませんよ。いやいやお付き合いしているだけですよ」と飲み会や会合を欠かさない人もいる。

バイクで襟裳岬に行ったら奇妙な一団に出会った。金ぴかのスター衣装を着た10数人の団体客が展望台で代わる代わる森真一の『襟裳岬』を歌うのだ。感極まって涙を流している人もいる。ここが済んだらバスで移動して摩周湖で、布施明の『霧の摩周湖』を歌うという。最初は面白がっていた他の観光客も、延々と続くパーフォーマンスに呆れ顔だ。かなり迷惑な企画だ。

カラオケバーで歌う人々は『北海道で歌うご一行様』とあまり変わりはない。カラオケは確かに音痴を減らし、引っ込み思案の日本人を破廉恥なほど目立ちたがり屋にした。

僕は音楽もダンスも好きだ。男と酒を飲むのは厭だが、女性と飲むのは嫌いではない。僕の執着は二律背反だ。惹かれれば惹かれるほど慎み深くありたいと望むのだ。



読書:「景気と経済政策」 小野善康

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船内の異文化交流

2001-12-17 22:23:32 | Weblog
12月17日(月) 晴

 テンダー(はしけ船)

島に大型船が着岸できる岸壁がなかったり、気象状況などで接岸できない時にはテンダーで上陸します。テンダーへの移動はかなりの危険を伴います。万一船と船の間にはさまれると死亡事故になりかねません。指を潰さないために船べりに手を乗せてはいけません。全員ライフジャケットを着用しています。落水事故に備えて救助船が控えています。

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   船内の異文化交流

オリビア号の朝食と昼食はビュッフェ形式だが、夕食はコース料理でメインディシュは肉と魚の好きなほうを選べることになっている。しかし今夜のメニューに魚は書かれていない。メインディシュには「特選・日本製最高松坂牛のステーキ」とだけあり、「牛肉の苦手な方のために魚料理もございます」と申し訳程度に添え書きがある。十和田牛が2年間の肥育後、生牛のまま松坂地方に運ばれて1ヶ月間松坂秘伝の配合飼料を与えれば、合法的になのか黙認詐欺的に松坂牛のレッテルで出荷できる。コレステロールが少なく、歯茎を丈夫にするオージービーフの本場でも最近では黒毛和牛が飼われているから、「特選・オーストラリア産松坂牛」だってあるはずだ。魚コースはサーモンステーキだった。魚を選んだのはレストランの全来客のうちで3人。僕以外は、牛肉不耐症とヒンズー教徒だったらしい。

22:00からサダコバーでJGスタッフの慰労会が開催され、眠っていた僕も電話で呼び出された。乾杯もそこそこにカラオケが始まったので逃げ出した。カラオケバーにも何度か行ったことがあるが、あの異様な雰囲気は僕の世界ではない。スポットライトを浴びてマイクで歌うのは勝手だろうが、好き者同士だけでひっそりと恥を分け合えばいいだろうに。オウムかネズミ講販社の合宿みたいに集団トランス状態になって、他の来客にまで迷惑を及ぼすことはない。自分の世界にこもって陶酔状態になるのは構わないが、それを見せ付けられるのはとにかく気色が悪い。

ピースボールという交流サッカーグループがレストランで我が物顔で大声を上げているという苦情が出ているが、マイクを使っていないだけまだ罪は軽い。

アニメとテレビゲームとカラオケは日本発の世界文化になりつつある。田舎の結婚式でも宴たけなわになると当然のように両家のカラオケ合戦が始まる。だから僕は結婚式はなるべく欠席に努めている。アニメを見ながら両家のテレビゲーム合戦という図式も近そうだ。何故かサッカーが日本でもブームとなり、Jリーグの選手名も知らない人は恥ずかしいらしい。「グローバル化」という言葉に弱い日本でも2002年にはフーリガンがたくさん生まれ、スポーツバーが幅をきかす時代になるのだろうか。バーに行かない僕には関係ないが。

異文化の理解は難しいとつくづく感じた。



読書:「疲労とつきあう」 飯島裕一

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