豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

遅すぎた革命

2001-12-02 22:14:02 | Weblog
12月2日(日) 晴

ヤシの実割り講習会

恒例のフルーツ・パーティーの前座に、島の自然保護運動家を講師にヤシの実割り講習会。ヤシの実割りを覚えて何の得があるんだ?と言うのは愚問です。もしもお中元にヤシの実をもらったら必ず役に立ちます。それに、万一無人島に漂流した時にヤシの実割りを知らないと生き延びることはできません。

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    遅すぎた革命

「戦争と搾取のない世界。自由・平等・愛で支えられた世界」というのが無政府主義の目標だ。国家が消滅すれば軍隊が消滅し、戦争と搾取はなくなる。国境がなくなれば人種の坩堝化が進み、不自由と不平等がなくなる。

30年前に無政府主義集団「しらかば」は日本と沖縄での武装蜂起を目指した。フィリピンからバナナを日本に運び、ベトナムにインスタントラーメンを運んでいたイエロウベアー号が、1000人の傭兵と1万丁のAK銃を積んで日本の1万人の武装勢力と合流するはずだった。8000人が革命の大義のために殉死し、僕の人生も27歳で終わりのはずだった。その後の30年の人生は付録みたいなものだ。

世の中は変わった。先進国の革命が後進国人民の蜂起につながる構造はない。白兵戦による先進国でのクーデターの可能性さえほとんど考えられない。ニューヨークのテロ事件のように市民の受難なしに都市ゲリラ戦やクーデターは想定不可能だ。

フィリッピンのマルコス政権の崩壊、ルーマニアのチャウシェウスク政権の崩壊など、ドラマチックな革命劇をその後もTVで見てきた。しかしこれはCIA公認、コミンテルン公認の政治芝居だ。

1989年のベルリンの壁の崩壊は、人民勢力による国境の撤廃を想定させるものであった。暗黒時代のヨーロッパにルネッサンスの到来を感じさせた。かすかに無政府主義の香りがした。しかし東ドイツは西ドイツに飲み込まれただけで終わった。天安門事件は平和革命は甘くはないことをまざまざと見せ付けた。その後のユーゴスラビアの内戦は、時代が50年以上も逆転したような印象であった。

西ヨーロッパで国境を廃止し、通貨を統合する壮大な実験が行われようとしている。日米は世界制覇の新たなライバル出現に、あれこれケチをつけるであろう。東欧諸国やイスラム圏は対抗姿勢を強めるであろう。そして何より問題なことは、世界の救済への速度よりも、世界の破滅への速度が圧倒的に速いことだ。



読書:「中欧の分裂と統合」 林忠
コメント
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