豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

たそがれの親戚

2003-01-31 14:56:50 | Weblog
1月31日(金)

  たそがれの親戚

日本では兄とは車で2時間の距離にいたのに、もう10年くらいも会ったことがない。米国の姉とは時々会ったりもした。二戸には両親の墓があるので、時々顔を出す。土地柄、親戚付き合いや冠婚葬祭の序列にうるさくて窮屈な思いもしたが、それも卒業だ。親戚や、特に兄や姉の子供たちが訪ねて来たら歓待する。しかし、もう面倒なことは御免だ。
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妻の兄弟

2003-01-30 14:42:55 | Weblog
1月30日(木)

  妻の兄弟

妻は男3人、女3人の6人兄弟の末っ子だ。兄弟はいずれも豊かな暮らし振りではないが、かと言って生活に困窮しているわけでもない。妻の死から12年、もうほとんど付き合いはない。1年に1,2度挨拶状を書く程度だ。
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母方の親戚

2003-01-29 14:38:02 | Weblog
1月29日(水)

  母方の親戚

母方で現在多少なりとも付き合いがあるのは、母の兄の長男と、母の弟の2人だけだ。母の実家は代々の呉服屋だったが現在は没落している。そんな関係もあって、母の死後付き合いは次第に疎遠になってきている。もはや縁が切れた状態と言っても良い。
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父の兄弟

2003-01-28 14:31:12 | Weblog
1月28日(火)

   父の兄弟

父は男ばかりの5人兄弟の2番目だった。長兄の死去後、父は家父長として一族に君臨した。長兄には2人の息子がいて、上は県職員、下は医師だったが2人とも既に引退の身だ。父のすぐ下の弟は90歳を超え、今なお健在。その下の2人は既に鬼籍に入っている。つまり父方の親戚と呼べるのは、伯父と2人のいとこだ。3人とも父の実家の岩手県二戸市に住んでいる。暮らしぶりは悪くはない。
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タンゴ

2003-01-27 14:18:10 | 海外旅行
1月27日(月)快晴

   タンゴ

ブエノスアイレス入港。夜出航。夕方の慌ただしい合間に乗客たちはタンゴを見ながら食事のできるレストランに殺到した。

ラテンダンスはマンボ、チャチャチャ、ルンバ、サンバ、サルサなどをやった。タンゴはラテンではなく、モダンダンスに属する。自分のフィーリングに合うようにアレンジできるので、僕の得意な踊りだった。
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下北の兄

2003-01-26 13:25:43 | Weblog
1月26日(日)

  下北の兄

むつ市で内科医を開業し23年目の現役。60歳。2男、2女の4人の子持ち。うち3人は歯科医。2人の娘は結婚したが、末娘の夫はインド人。元来が保守的な人間なので、4人の子供とその家族と共存していけるかどうかが問題。
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バージニアの姉

2003-01-25 13:17:37 | Weblog
1月25日(土)

    バージニアの姉

姉は70歳。米国在住33年。病理学博士の称号を持っているが結婚を機に引退し専業主婦に徹した。夫も病理学医で米国の医大で教授として長年勤務していたが3年前肺癌で他界。2児の母。次男は小児科医で、同級生の女医と結婚し孫も1人いる。しかし長男が自閉症であることが悩み。

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僕の兄弟

2003-01-24 12:55:41 | Weblog
1月24日(金)

  僕の兄弟

僕はもともと5人兄弟だったらしい。上から女・男・男・男・女の三男坊だ。長男は1歳で丹毒で死したから会ったこともない。妹は18歳で自殺。医師一族の中で医学部進学の重圧が自殺の原因だったらしく、父は生涯末娘の死に苦しんでいたようです。
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ハッピーな国民性

2003-01-23 12:36:51 | Weblog
1月23日(木)快晴

   ハッピーな国民性

豪州人とブラジル人は、自分たちこそ世界でもっとも幸せな国民だと考えている。過去を悔やまず、未来を単純に信じている、のかな?僕も過去を悔やまないが、未来には期待していない。だけど僕もいい加減いい年だから、この航海中に過去を振り向く努力をしてみたいと思う。
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リオのキリスト

2003-01-22 12:30:21 | 海外旅行
1月22日(水)快晴

  リオのキリスト

リオデジャネイロ着。1日ツアーに参加し、市内観光。猛烈に暑い。言葉が全く通じないのには参った。
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舞台女優

2003-01-21 12:25:22 | Weblog
1月21日(火)

  舞台女優

マキは高校の同級生だった。早稲田に進学し、劇団「こだま」で田中真紀子や久米宏と一緒に活動した。社青同開放派のシンパだった。波乱怒涛の時代を経て、1972年僕たちは下北に移住した。2児の母となり、家庭は彼女に安逸を与えもしたが、常に不安と不満にもさいなまされていた。それでも最期まで我を貫き、好きなように生き続けた。
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放浪息子

2003-01-20 12:15:14 | Weblog
1月20日(月)

  放浪

長男は12歳で家を出て中高一貫教育の学校の寮に入った。卒業後医学部への進学を拒否し、東京でフリーターを数年経験。1995年頃渡米し、2001年ボストン大学の心理学科を卒業。今年米国で30歳のはずだ。あまり会うことはないので詳細は不明だ。他人に迷惑をかけず、好きな事をやっているのだからまあいいのだろう。
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次男の死

2003-01-19 02:58:14 | Weblog
1月19日(日)

   次男の死

とても無念だ。24歳の死はいささか可哀想だ。しかし僕は彼と15年間一緒に過ごした。ともに走り、泳ぎ、山に登り、スキーをした。英語と数学を毎晩教えた。彼が長生きできないことを予感したので、2度の海外旅行を体験させた。妻の死が先であったことが良かったのか、悪かったのかは判らない。
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妻の死

2003-01-18 02:45:01 | Weblog
1月18日(土)

   妻の死

妻は46歳で逝った。27歳で長男を、29歳で次男を出産。次男が全寮制の函館ラサール高校に入学した時、彼女は44歳だった。翌年母が他界、彼女は生きることを止めた。「老醜」、人が死ぬと、死んだときの記憶が残された者に残る。彼女は美しいままで死にたいと望んだ。癌になったことを幸せだと信じていた。
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大往生

2003-01-17 02:34:28 | Weblog
1月17日(金)

   大往生

父も母も81歳で死去。戦中、戦後の混乱期はともかく2人とも恵まれた戦後を堪能したであろう。うまいものを食べて、かなり贅沢な生活をしたと思う。十分長生きもした。僕たちにとっても、当人にとっても幸運だったことは、倒れてから息を引き取る期間が短かったことだ。父は死ぬ1週間前まで患者を診ていた。
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