不眠への処方箋
それは突然やって来た。小学校の6年間を下北で過ごしたボクは12才で上京した。急激な環境の変化、方言のコンプレックス、東京モンに負けてたまるかという自負心などで,ボクの心は緊張の連続であった。東京に着いた3日目から,不眠はボクに取りついて離れなくなった。当時ボクが住んていた巣鴨の家はゴキブリ、ドブネズミ、ヤモリの巣窟であった。都会の夜に君臨する闇の帝王達も,田舎者のボクにとっては恐怖であった。ポールアンカの甘いメロディーが響いて来る蒸し暑い夏の夜、いつかは体力を消耗して死ぬのであろうと,ボクは考えていた。
3年後高校に入る頃には,ボクは下町言葉もマスターし,死の恐怖からも解放されていた。ボクは何故眠れないのかを考えた。多分,未知の世界,心の安まる世界を見つけ出すまで眠れないのであろうと考えた。高校1年は60年安保の年であった。街頭デモの奇妙な悲壮感と連帯感が,ボクに未知の世界を暗示した。しかし条約自然成立のー瞬,仲間みんなが国会周辺で大声で泣き出したのを見て,異質感を覚えた。ボクはサルトルと露文学に酔っていた。本を読み,ギターでプレスリーのナンバーを弾き,絵を描いて明け方までを過した。そしてボクは画家として生きて行くことに決めた。
しかし3年後ボクは医学部に入っていた。全国の学園にはインターン闘争の嵐が荒れ狂っていた。ボクは自治会の役員になった。連日の深夜に及ぶ会議は苦痛ではなかった。湿り気の多い学生会館の地下室に寝泊りすることが多くなった。不節制のため肋間神経痛になり、不眠症はいよいよ昂進した。明け方にいつも夢にうなされた。友人の裏切り,
頑迷な教授や両親,級友の罵声に目を醒すと,ビッショリ冷汗をかいていた。こんな時にビートルズが「あるがままに生きよう」と語りかけて来た。ボクは悟りの境地に達した思いをした。不眠と闘うことはやめよう。そしてとても気楽になった。以来ボクは人生を楽観的に眺めるようになった。
大学を卒業すると間もなく結婚した。ボクは巣鴨の家を出て,駒込駅前の下駄ばきマンションの5階に新居を構えた。階下にピンクサロンがあり、深夜までネオンと嬌声が絶えなかった。妻の寝顔を見ながら,東京で暮らすべきか,下北へ戻るべきかを考えた。排気ガスのため開放できない窓ガラスを通して,車のクラクションと都電のレールのきしむ音が絶え間なく響く。-瞬の静寂を狙いすましたかのように,貨物車輛がひときわ長い警笛を響かせて,真暗な駒込駅を通り過ぎて行った。
父の突然の病気のため,ボク達夫婦は下北に呼び戻された。父の病気はそれ程重いのであろうかという疑問を抱きながらも-年が過ぎ,下北に居つくことになった。大通りから少し引っ込んだ場所に小さな家を建てて住んだ。ヤマガラやツグミが訪れる閑静な住まいだったが,大通りに信号機ができると,昼夜の別なく沢山の車が家の前を通り過ぎるようになった。ボクは東京をなつかしんで,ボブディランやピンクフロイドを聴きながら眠くなるのを待った。大学病院と違って深夜でも患者がやって来た。やっと眠りについたとたん、看護婦から電話があり、30分後に患者が来ると告げられた。眠って待てれば良いのだが,苛々読書をしながら待つこと60分。「いつもは良く眠れるのに,今夜に限って眠れない。どうにかして欲しい」と患者はうらやましいことを言う。つまらない理由でボクの束の間の安らぎを奪うな。ボクは螢の飛びかう川筋を家に向かいながら,まあいいさ、とつぶやいた。ボクは-生安眠できぬ運命を待った人間なのだから。
5年前,ボクは妻と2人の子供とともに,緑と太陽と風の街,十和田市へ引越した。半年間市内を物色して,北里大学の草地に囲まれた,ひばりケ丘に住居を構えた。ヒバリ、カッコウ,ホトトギス,アカハラなどの鳴き声以外に物音一つない絶好の安眠環境である。防音にも十分気を配って家を建てた。市立病院に勤務し,休日には登山やスキーをして、夜はYMOを聴きながら,眠くなるまで肩の凝らない読書をする毎日だった。比較的平穏な日々だったが,重症の入院患者がいたりすると不眠が続いた。友人に勧められて寝酒をやってみた。しかし少量では神経が昂って,大量だと翌朝は地獄の苦しみであった。やはり不眠には早起きが最良の薬なのだ。どんなに眠くても6時前に起きて運動をする。明け方に目が醒めたら,再び眠ろうと無駄な努力をしないで,顔を洗って読書や散歩をする。これしかない。
2年前にボクは十和田で開業した。ついでに町内会長も引き受けた。去年の7月のことだ。朝6時,チャイムの音に起こされて玄関に行ってみると,町内会の役員が首を揃えていた。午前2時に町内で火事があり、階下からの出火に2階から飛び降りたSさんは重傷。消防車や救急車のサイレンが鳴り響き,明け方まで町内中騒然としていたそうだ。ボクは家族と共に庭に出て驚いた。隣の家が跡かたもなく焼け落ちていた。ボクは不機嫌に黙り込んで朝食を食べた。妻や子供達はマイペースの安眠族だから良い。だけどボクの高貴な不眠不撓不屈の精神は立つ瀬がないではないか。話はこれでおしまい。 以来1年間ボクは不眠に悩まされることはない。
(青森県医師会報より転載)