豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

 警告

2002-06-30 15:32:50 | 海外旅行
6月30日(日)晴

   警告

ユミが危い。彼女は分かっていない。

読書:「メコンのほとりで」名越健郎
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ユミが危ない

2002-06-29 15:32:19 | 海外旅行
6月29日(土)曇

    ユミが危ない

10:00無料シャトルバスでシティーへ。パブで繁華街を散歩したが内戦の傷跡は見当たらない。チキンとポテトとギネスビールの昼食。ギネスビールはイカ墨のソフトクリームのような変な味だった。

ユミに電話。2週間ほど前に空き巣に入られて、パソコン2台を盗まれたそうだ。日本円も少しなくなったが時計や宝石などは手をつけられていないとのこと。裏口から侵入したというから近所のチンピラの犯行だろう。組織の仕業ではなさそうだ。犯人は日中誰もいなくなることを知っている。こそ泥も家人とばったり鉢合わせをすれば、強盗に早変わりする。ユミは平気だと言っているが、再発防止の対策が必要だ。

第1に大至急セキュリティー装置を設置すること。
第2に火災・盗難保険に加入すること。
第3に安全な借家を探すこと。可能なら引越しすること。
第4に安全が確認されるまで友人に滞在してもらうか、ホテル住まいをすること。

以上を指示。

18:00ベルファスト出港。

読書:「神仏習合」義江彰夫

映画:「ブレイブ・ハート」

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イギリスの医療費無料は本当だった

2002-06-28 15:31:39 | 海外旅行
6月28日(金)晴 

   イギリスの医療費無料は本当だった

10:00ベルファスト入港。13:00救急車に鼻出血の患者を乗せてメーター病院へ。僕とN遠藤が付き添った。N武田は眼科受信の患者に同行した。人口40万人のベルファストには、市民病院、王立病院、メーター病院の3つの病院がある。メーター病院は市の北部のあまり治安の良くない地域にある。救急室にも「当院はあらゆる立場の患者を診察します。暴力や脅迫はお断り」との掲示があった。ボスミン・ガーゼを抜いたが、鼻出血は止まっていた。「good job!」と耳鼻科医から褒められた。血液検査も異常なし。最初は入院の予定だったが、帰宅していいとのこと。それでは困るのだ。仕事に復帰すれば再出血の可能性が濃厚だ。しかしボスミン・ガーゼなしで飛行機に乗せるのも不安が残る。次の寄港地まで乗船させて経過を観察するしかなさそうだ。
医療費も救急車代も無料だった。16:00帰船。N武田の眼科のほうも、電話による日本語通訳サービスも含めて、医療費はすべて無料だったそうだ。

読書:「日本教育小史」山住正巳

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ボスミンガーゼ

2002-06-27 00:00:00 | 医療業務
6月27日(木)曇のち晴 

   ボスミンガーゼ

今日も船は大揺れだが、船酔いの患者は来ない。21:30鼻出血のI氏(54歳女)。アムステルダムから乗船したロシア語の通訳だ。慣れない仕事、少ない休憩時間、緊張と寝不足で血圧が240以上に上昇している。ボスミン・ガーゼを鼻腔に挿入し、止血剤を点注。

読書:「国際金融入門」岩田規久男
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荒れる北海

2002-06-26 15:30:13 | 海外旅行
6月26日(水)晴

    荒れる北海

北海が荒れている。午前中転倒したり、壁にぶつかって怪我をした患者が数名やって来た。午後になるとますます船は揺れて、患者も全く来なくなった。

読書:「金融システムの未来」堀内昭義

映画:「ボクサー」

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ラブミーテンダー

2002-06-25 15:29:43 | 海外旅行
6月25日(火)晴     ラブミーテンダー

午前休診、午後は平常とおり診療。逆にすべきだった。15:00オリビア号は北極圏に入った。17:00スワルテッセン・フィヨルドにある氷河に到着。今日もテンダーボートでのフィヨルド遊覧があった。1人30ドルで400人が参加。ウクライナ側は2日間で16000ドル以上の収入だ。アルコールの売り上げが少ない分をテンダーボートで取り返したようなものだ。僕は夕食までの2時間を甲板のバーのネプチューンで、N遠藤と氷河を眺めながらバドワイザーの生ビールを飲んで過ごした。

読書:「自動車の社会的費用」宇沢弘文

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北の国から

2002-06-24 15:28:57 | 海外旅行
6月24日(月)晴時々雨 

   北の国から

2:00よりオリビア号はフィヨルドに船首を向けた。8:00ガイランゲル・フィヨルドの小さな港町の沖で投錨。フィヨルド・クルーズのため今日は休診だ。
9:00-14:00乗客500人がテンダーボートで上陸。1人10ドル。ウクライナ側の収入になる。400人以上の参加者があったらしい。僕とN遠藤は指詰め事故に備えて船内待機。N武田は身障者や老人に付き添って上陸した。陸での自由時間は45分間。こんな所で上陸する意味が良く理解できない。それよりもテンダーボートで更にフィヨルド内部に進むのが良かろうに。奥に進むほど両岸は狭くかつ高くなり、雄大さも増すはずだ。それでも初めてフィヨルドを見る乗客たちは大いに感激していた。「ガイランゲルに牧師は要らない。フィヨルドが神の言葉を語るから(ビヨルソン)」笑いながら、泣きながら抱き合っている人々。今航海の目玉は、タワー・ブリッジとフィヨルドだ。夕方PB責任者の中原が甲板で生ビールを飲みながら幾筋もの滝を見上げていた。今日は涙ぐんではいなかった。
17:00船内の美容室へ。ウクライナ人の女性美容師が15分足らずはさみを振るい、10ドル。カットしすぎたのか襟足が寒い。しまった!カリブ海に入ってから散髪すべきであった。後悔先にたたず。
夕食後は「北の国から」お涙頂戴映画。舞台はもちろん富良野。ユミのお気に入りの地で、バイクやジープで何度も訪れた。こちらの物語のほうがもっと涙を誘おうってものだ。
今朝は2:00にはもう明るくなっていた。そして23:30現在太陽は北西に輝いている。オリビア号は北上を続け、明日には北極圏に入る。多分明日は完全な白夜であろう。

読書:「社会科学入門」高島善哉

映画:「北の国から・初恋」
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 男はつらいよ

2002-06-23 15:28:15 | 教養?
6月23日(日)曇 

   男はつらいよ

フーテンの寅さんの「男はつらいよ・奮闘編」のマドンナ役は津軽娘の花子。彼女はユミの故郷の深浦町の驫木の生まれだ。名勝千畳敷も登場。十和田の23年間の生活では邦画を見れる映画館はなかった。
4年前の寅年の元旦、僕はユミを連れて柴又の帝釈天に初詣に行った。あの頃が僕たちの幸せの絶頂だった。
夫婦や恋人同士で船旅はすべきではない。次第に相手の欠点だけが目立つようになり、破局に至る可能性が強い。結婚は恋を変質させる。一緒に暮らすことは恋を堕落させる。永遠の恋なんて映画や小説の世界のことだ。恋の情熱を5年間維持することは至難の技だし、ましてや10年間となると奇跡に近い。
高校の同級だった妻とは25年間一緒に暮らした。11年前に妻が胃癌で急死した。僕は生きていてもつまらないので自殺も考えたが、子供がいるので思いとどまった。間もなくユミに出会った。彼女は僕より22歳年下で、息子とあまり年が違わない。彼女の母と僕もほとんど同じ年齢だ。彼女に愛されるのは1年間で十分だと僕は思った。しかし既に11年が経過した。
1年前から彼女は僕に冷たくなった。僕は年をとり過ぎた。彼女はまだ十分若い。未練がないと言えば嘘になる。しかしもう彼女を自由にしてやらなければならない。1年限りのつもりが10年間も愛してくれて、僕は彼女に感謝するだけだ。10年間僕は彼女に色々のものを与え、色々のことを教え、色々の所に連れて行き、色々の体験をした。もちろん僕もユミから多くのものをを授かった。だけどもう僕が彼女にできることはほとんど何もない。彼女はもう僕なしでも平気だ。愛がないのに一緒にいることは不幸なことだ。僕は潔癖症の人間だ。僕たちはもう恋人同士ではない。彼女はもう1度やり直そうと無意味な努力をしている。それは一層不幸を大きくするだけのことだ。僕がそばにいると彼女はそれに気づかない。だから昨年の夏に僕は4ヶ月間オーストラリアを離れて、ピースボートに乗った。再びユミのもとに戻って4ヶ月間一緒に暮らしたが、僕は窒息しそうだった。彼女の心は既に僕から離れているのだ。しかし僕と一緒に暮らしたいと言う。そしてまた僕はオーストラリアを飛び出した。
僕は自分を不幸だとは思っていない。彼女を恨んでもいない。むしろ感謝している。尊敬している。だからこそ僕はユミと離れて暮らしたいのだ。

読書:「火山の話」中村一明

映画:「男はつらいよ・奮闘編」

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 ムンクの「叫び」

2002-06-22 15:27:27 | 海外旅行
6月22日(土)快晴後雨 

   ムンクの「叫び」

8:00オスロ入港。

N遠藤とオスロ駅、質素な王宮を見学の後、国立美術館で世紀末派の重鎮、ムンクの絵30枚を見た。土日は博物館と美術館の入場は無料になるのだそうだ。
「私は2人の友人といっしょに道を歩いていた。ちょうど太陽がまさに沈みかけようとしており、空の色は赤く染まっていた。私は、風のそよぎの吹き過ぎるのを感じた。私は死んだように疲れ果てて、じっと立っていた。青いフィヨールドと町の上に、火と血の舌が這い回った。友人たちは先に行ってしまい、私だけが後に残っていた。その時、何とも知れぬ恐怖に震えながら、私は自然の大きな叫びを聞いた。」
「芸術は自然の対立物である。芸術作品は、人間の内部からのみ生まれ出るものであって、それはとりもなおさず、人間の神経、心臓、頭脳、眼を通して現われて来た形象にほかならない。芸術とは、結晶への人間の衝動なのである。」
「私の揺りかごを見守っていたのは、病気と狂気と死の黒い天使の群れだった。彼らはずっとその後も私の生活につきまとって離れなかった。」
昼食にすし屋に入ろうとしたら土日は夕方しか営業をしていない。北欧の生魚の味を賞味したかったが残念。北欧で魚料理屋チェーンの展開には少々不安が残る。
国会議事堂の隣のオープンテラスへ。2人前で7000円のシーフードの昼食は100点満点の43点。その根拠は、3000円なら100点だからだ。従って6000円なら50点、7000円なら43点なのだ。

18:00オスロ出港。

読書:「中国の数学」薮内清

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再び日本の中等教育について   

2002-06-21 15:26:18 | 教養?
6月21日(金)快晴

   再び日本の中等教育について   

再び日本の中等教育について

日本では15-22歳の70%は働かない。そして65歳以上の男の50%以上が働いている。これは異常だ。高等教育の学資は親が与えるべきではない。自己調達するか、奨学金を受けることだ。働いて学資をためた後に大学に行くか、学資ローンで借りて社会に出てから自力で返済すべきだ。これが学問の機会の均等というものだ。能力のある者は奨学金を受ければよい。さらに大学はすべて2年制の短大にする。こうすれば学資は半分で済むし、経済労働人口は増加する。そしてアミューズメントパーク化した大学が真に学問の場となる。大学の教養課程は廃止し、2年間で学士とし、教養は大学院に回せばよい。
教育はcultivate、個人の持っている資質を耕すことだ。現在の日本の教育は型にはまった従順な国民を作り上げることに主眼が置かれている。いつの間にか日本は教育後進国になってしまった。
本日ネプチューン・バーではハイネッケンの生ビールを4ドルで提供する。屋台波平ではおでん。22:30-24:3レセプションの会計担当の関口(女、26歳)の誕生祝のために1席設けた。医務室の3人(桝田、遠藤、武田)とレセプションの3人(関口、小笠原、辻)が参加。22:00の日没とともに気温が下がり、甲板には冷たい海風が吹いていた。よく冷えたハイネッケンは胃にこたえた。飲む先から酔いが覚めていく感じだった。

読書:「ディズニーランドという聖地」能登路雅子
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老人と海

2002-06-20 15:25:08 | 海外旅行
6月20日(木)雨 

   老人と海

N遠藤と市内見物。1時間の運河クルーズの後旧市街地の飾り窓を見学。この国では売春も麻薬も安楽死も合法だ。他人に迷惑をかけているのではないから、国家権力による取締りや処罰は不要なのだ。
昼食はケバーブ。ハイネッケン・ビールを注文したが「酒はない」との返事。アラブ人に豚肉と酒を注文するほうに無理があるのか。イスラム法によって豚肉と酒の摂取を国家権力や宗教的権威で取り締まり、処罰するのがいいのか?女性差別にどのような言い訳をするのか?
雨の中徒歩でアンネ・フランクの家へ行ったが、長い行列ができていたので内部の見学はパス。オランダはダイヤモンドの国だ。それを取り仕切るのはユダヤ人。国家権力や宗教的権威による民族浄化と差別。性的嗜好を正常と異常とに分けての差別と迫害。生は神が与えたもので、神のみが終わらせることができるのか?酒とタバコと麻薬は国家権力が禁止すべきか?徒歩40分、レンブラント広場へ行ったが絵を見ている時間はない。中華街で麻薬中毒者たちを見ながら船へ戻った。
18:00アムステルダム出港。シンガポールで下船したPBとJGの最高権力者の高田(43歳)が再び乗船してきた。オリビア号には30数名のJGスタッフが乗っているが、正社員は本山隊長1人だけで、残る全員は契約スタッフだ。今航海で契約期間の切れるスタッフの再契約のための面接が、高田の乗船の目的の1つらしい。
20:00高田がキャビンに訪ねてきて1時間の面接。僕は次の第38回航海に乗船することにしていたが、第39回航海の船医もまだ決定していないとのこと。39回も連続となると7ヶ月以上海上生活が続くことになる。39回は無理だが、40回は乗船してもいいと答えておいた。長期的には60歳までは船医を続ける意思はある。世界数周ならまだいいが、10周以上となると節度がないと思うからだ。しかし成り行き次第で節度なく10周以上乗るかもしれない。11周くらい乗って「はっきり覚えていないけど世界を10周以上しています」と言えるのも格好いいかもしれない。

読書:「新宗教の風土」小沢浩、「老人と海」ヘミングウエー

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岩を買う

2002-06-19 15:24:35 | 海外旅行
6月19日(水)快晴

     岩を買う

17:30アムステルダム入港。節約家で着実で堅実で忍耐強いオランダ人。ダッチ・アカウントつまり割り勘。オランダの国土の4分の1は海面下にある。100年計画の北海沿岸部の埋め立てと堤防の強化のために国民全体で節約に励む。防水税もある。
1600年初頭に堤防の大決壊があり、数万人が溺死した。以来オランダは国を挙げて節約に励み、堤防の基礎となる1個最低20トンの岩石を何100万個も外国から買い続けた。無数の風車が滲み出る海水を汲み上げて来た。
第2次大戦では自ら堤防を決壊し、国土を水浸しにすることにより、ナチスの戦車隊の侵入を防いだ。
国土と堤防は制御できると信じていた矢先の1953年2月、北海の突風による大決壊、大洪水で2000人が溺死。2020年を目標に、不滅の堤防と国土を築く作業が今なお続けられている。
「外出するときには靴を磨いてください。汚い靴では道路が汚れます」という冗談が真顔で通用するほど清潔で美しいアムステルダムは、1970年以降麻薬患者の流入で見る影もなくなった。


読書:「ヨーロッパの心」犬養道子

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韓国のためのチップ

2002-06-18 15:24:01 | 海外旅行
6月18日(火)雨のち晴

   韓国のためのチップ

サッカーの好きな乗客は早朝から港の近くのホテルへ、世界サッカーの決勝リーグをTV観戦するために出かけた。日韓とも決勝リーグ進出を果たしたのだと言う。ナショナリズムに不寛容な僕には関係のないことだ。今朝の試合で日本は敗退。ベスト8入りはできなかったそうだ。
午前中は雨が降り続いていたので、タクシーで大英博物館へ行き、主に古代エジプトの遺品とパルテノンの彫刻とを見学した。博物館内のレストランで紅茶とサンドイッチで昼食。紅茶は薄く、水は臭く、パンもまずかった。昼食後も展示物を眺めて時を忘れ、帰りのタクシーがなかなか拾えず、少々あせった。往復ともタクシーはオースチン。運転手は僕を韓国人だと思ったらしく「ベスト8入りおめでとう!」と言っていた。僕には関係のないことだが、チップを弾んでおいた。
17:30ロンドン出航。20:00タワー・ブリッジ通過。この著名なタワーブリッジが跳ね橋であることは誰でも知っている。しかしこの橋は1年に数回しか上がらないのだ。そして我がオリビア号がこの橋を通過した最大の船なのだ。夕日に照らされる中、船上と陸上との歓声に包まれながら、オリビア号はゆっくりとタワーブリッジを2度通過した。クルーズ・ディレクターの中原(24歳)も涙ぐんでいた。健気である。


読書:「大英博物館」
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五里霧中のロンドン

2002-06-17 15:23:19 | 海外旅行
6月17日(月)快晴

    五里霧中のロンドン

8:00ロンドン、ウエスト・インディア・ドック着岸。モノレールと地下鉄を乗り継いで、ピカデリーサーカスへ。ロンドンにはシドニーと同名の街や通りや公園や教会が多い。セント・ジェームス教会はプロテスタントのお国柄から、絵や彫刻がほとんどなくて殺風景な印象だ。本場のポテトアンドチップスはオーストラリアに劣る。バッキンガム宮殿、ウエストミンスター寺院、ロンドン橋、ロンドン塔、タワーブリッジを見て回った。最後のタワーブリッジは明日のイベントもあるのでタワー内部と機械室も見学した。
日本人の多くは知らない土地に行くと「海が東だから目的地はこっちだな」などと目標を定める。ランドマークを中心に考えるより、そのほうが自然なようだ。日本が島国だからであろうか。だからニューヨークはとても分かりやすいが、ロンドンでは迷子になる。テームズ川の周辺をうろうろしている乗客にたくさん出会った。
ロンドンは1980年以来の訪問になる。22年前のあの街での記憶は失われたままだ。しかし心臓のあたりにかすかな痛みを感じる。今は亡き左翼のヒットマンたちが僕を追い続けていた。左翼はいつもきれい事を並べ立てる。名誉にひどくこだわる。都合の悪い過去を清算し、都合の良い歴史を作り上げる。彼らにとって僕は不都合な生き証人だった。だがそれだけであろうか?彼らは僕の資金を狙っていた。僕の著作を自分たちの著作にしたがっていたのだと思う。


読書:「岸信介」原彬久

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沈没した日本の中等教育

2002-06-16 15:22:42 | 海外旅行
6月16日(日)曇

   沈没した日本の中等教育

イギリスの中等教育に触れたついでに、日本の中等教育の問題点について少し述べておこう。その改善については日を改めて論ずる。
日本の中等教育制度の誤りは、国際機関の要職や多国籍企業に人材を送れないことを見てもはっきりしている。これは中等教育に限らず、教育制度の目的をきちんと定めずに、いたずらに教育の機会均等をうたう誤りから出発している。人間は各人それぞれ違った資質を有する。能力差もある。一様な教育は人間を型にはめるだけだ。国家が学校差をなくして、教育機会の均等を図ることは聞こえはいいが、多くの弊害を生む。第1に塾や予備校などの教育の闇市場を生み出す。第2に教育程度が一様に高くなり、教育期間が長くなる。不要な勉強をさせられ、教育の効率も低下する。第3に能力の無い者や勉強の嫌いな者の人生の3分の1の期間を「劣等生」に追いやる。何も勉強がすべてではないのだ。皆が大学に進む必要はない。18歳から22歳は大学より仕事のほうが大事だ。普通教育よりも実業教育のほうを重視すべきだ。現在の日本の予備校化した高校教育は全くの無駄だ。高校の専門科目のレベルを大学2年生程度に措定する。「学問とは知識を詰め込むことではなく、方法をまなぶことなのだ」。図書館や辞書やパソコンを利用し、研究調査し、レポートを作成し、プレゼンテーションの技術を身につけなければ世界に通用しない。そうすれば日本の若者たちも少しは大人っぽくなり、社会が見えるようになるであろう。

読書:「イギリス美術」高橋裕子
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