豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

スリーマイル島で原発事故

1979-04-25 01:22:18 | 政治・経済

むつ政経文科新聞 第19号 昭和54年(1979年)425日発行

 

「ニュース」スリーマイル島で原発事故

 

328日、私たちが最も恐れていた事故が米ペンシルバニア州スリーマイル島原子力発電所で起こった。事故の第一報は「たいしたことではない」だったが、事実が次々と明るみに出るにつれて米関係者もようやく事の重大さに気付き、その波紋は瞬く間に世界に広まった。原子力体制が米国に全面的に従属している日本にもそのショックは大きく、泥縄式に対応を余儀なくされている。

事故の詳細は日を追って明らかにされてはいるが、依然不明な部分が多いため今月号ではあまり触れないでおきたい。事故発生から3週間にもなるのに不明な点が多いというのは原発以外の事故では考えられないが、これは実は原発のもっとも恐ろしいところなのだ。事故の核心をつかむためには原子炉の炉心まで立ち入ることが肝要だが、内部は強い放射能で汚染され、人間は近付くことはできない。放射能の半減期を考えると人間が入れるようになるまでには10年や20年の時期では足りず、今のところ原子炉全体をコンクリート詰めにし、廃棄処分にするとの見方が強い。そのまま放置すれば、多数の燃料棒がいつ核反応を引き起こすか分からないからである。

(人災説)このように大きな事故になったのは運転員の誤操作だと言われる。また事故を起こした原発は、安全系統に問題があるということで当局から警告を受けていたという。しかし、逆説的にいえばこれらは重要視する問題ではない。あまりにも“ありふれている”からである。日本でも大事故につながりかねない小事故や故障が頻繁に起きている。ただそれが多くは秘密裏に処理され、私たちに教えられないだけである。原発を推進する側は誤操作イコール人災と言う。しかし人間は機械ではないから誤る可能性は認められ、それを計算に入れなければならない。そうかといって機械による完全自動化は可能かというとこれも不可能だ。スイッチを入れるのは人間である。また機械に頼ると、万一故障になれば人間はどうすることもできず、ますます危険になろう。

(日本のショック)事故が起きてから2日後、日本の原子力安全委員会の吹田委員長が「日本ではほとんど起こり得ない」との談話を発表した。411日、米原子力規制委員会は同国内のすべての加圧水型炉について「緊急に安全性の見直しを行う必要がある」と言明し、具体的なメーカー名も公表した。ここで明らかにされたのが関西電力を中心に8基運転されている炉のメーカー、ウエスッチングハウス社である。8基のうち7基は現在定期点検中でストップしていた。14日、政府は残りの1基、大飯一号炉も停止させることに決めた。これには吹田委員長も同席したが、安全をチェックする立場の長としては、先の談話は軽率のそしりは免れない。残念なことは、政府や政府お抱えの学者がこのように米国主導で動くことである。今回の事故の可能性もウエスッチングハウス社炉の欠陥も、日本の原発慎重派の学者は以前から指摘していたものであった。原子力開発の三原則は「自主・民主・公開」である。 

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「対岸の火事」か「他山の石」か

1979-04-24 23:52:36 | 下北

むつ政経文科新聞 第19号 昭和54年(1979年)425日発行

 

「論説」:「対岸の火事」か「他山の石」か

 

米ペンシルバニア州スリーマイル島で328日に発生した原子力発電所の大事故は、その状況が刻々と明るみになるにつれて全世界の原発を保有する国の心胆を寒からしめた。国益という美名のもとに原発を強圧的に推進してきた各国の政府は安全性の弁明にこれ努めるとともに再点検を余儀なくされ、原発慎重派・反対派は現在稼働中の原発には安全性が確証されるまで操業ストップ、計画段階のものには計画そのものの見直しを政府・企業者側に迫った。これら異常とも思える反響の大きさ、素早さは世界的規模で神話化されて来た原発の安全性が、無残な形で否定されたことに起因している。

日本は今や米国に次ぐ世界第二の原発大国である。現在総発電量の11%が原子力によって賄われ、昭和63年度にはこの比率が20%まで高められる計画である。私たちはこの状況をどのようにとらえたら良いのであろうか。

原発の事故は不気味である。想像を超えた不気味さがある。その第一は事故によって環境にばらまかれた放射能という猛毒が無色透明、無臭で私たち人間の五感では感知できないことである。第二は放射能から発せられる放射線は凄まじい透過力を有することである。厚さ12センチのスチール製の原子炉の壁、更に厚さ1.2mのコンクリート製の格納容器の壁をガンマー線が突き抜けていた。第三は毒が長寿命なことである。ことに原発事故で最も恐ろしい毒物とされるストロンチウム90は半減期が30年で、人体では骨に集中して蓄積し、白血病や骨癌をもたらす。今度の事故でもこのストロンチウム90やセシウム137、ヨウ素31など危険な核種が検出された。

原発の賛否を巡る論争には現在二律背反するものがあるかに見受けられる。それは意図的に喧伝される近い将来の電力危機、エネルギー危機、ひいては国民経済の破綻を招くのだから原発は必要なのだという論と、一度事故が起こればその規模からして社会的、経済的に大問題であるとする論である。私たちは後者を終始主張してきた。米国の事故を対岸の火事と軽視するか、他山の石とするか今一度“推進派”に問いたいものだ。(むつ政経文科新聞 編集責任者 桝田礼三)

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内科歓迎会

1979-04-24 08:03:17 | 十和田
4月1日より十和田私立病院の内科長に就任。
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タケシの入学記念写真

1979-04-08 18:02:15 | 十和田
タケシの三本木小学校入学記念写真。
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タケシ小学校入学

1979-04-07 17:58:54 | 十和田
タケシ三本木小学校に入学。1年5組。
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十和田・四月馬鹿

1979-04-01 20:41:17 | Weblog
  十和田・四月馬鹿
         1979. 4. 1

 十和田市は冬期間も太陽が輝き、降雪量も少なく、三本木原台地にある街なので洪水や津波や山堋れなどの天災と無縁の土地である。街は碁盤の目のように区画整理され、道路も広く、経済的にも豊かで美しい街である。「緑と太陽の街」が十和田市のキャッチフレーズで、恐らく青森県で最も気候温暖な土地であろう。しかし、この街にはうそ寒い風が吹いている。

 この街は情報が早い。東京でボウリング場がはやっているとか、ビリヤードが再びブームを迎えているとか、新しい業種としてレンタルビデオ店が注目されている、などと雑誌に載る頃には既に数軒の同種の店が開店をしている。ボウリングもビリヤードもどうやら一過性のブームで終りそうだという情報が流れて来る頃には、揃って姿を消している。 
 ボクが来年北里大学の隣接地に病院建設を予定しているというウワサはとっくに抜け目のない十和田の市民に知れ渡っている。毎日沢山の業者が市立中央病院にボクを訪ねて来る。薬屋や機械屋や土建屋や車屋や、葬儀社までがやって来る。いつも多忙を理由に面会を拒絶しているが、そんなことで彼等はあきらめない。患者を装ってやって来たり、市会議員やロータリークラブの会員を伴って強引に面会を求めて来る。

夕方徒歩で帰宅の途中、三番街付近の路上で顔見知りの市の職員やプロパーが待ち構えている。「路上の立話は何なので」などと腕を取られて近くのバーに引っ張り込まれると、その店には偶然、地元の配管業者や電気工事屋が居合わせている。仕方なく名刺を受け取って、1~2杯つき合って「夕食時間だから」と帰ろうとすると、「十和田のうまい店を先生に是非紹介したい」と数人に囲まれて近くの料亭に連れ込まれると、そこには既に豪華なお膳が準備されている。

先日も夕方大阪屋に連れ込まれた。重症患者がいることを口実にして無理やり押しつけられたタクシー券を持って何とか店の外に逃げ出した。タクシーを呼ぼうと近所の小さなバーに入ったら「あら、桝田先生いらっしゃい」とカウンターのママに挨拶された。ボクは十和田のバーに入ったのは初めてのことだし、ママと面識もない。それほど若くはない女の子がビールを運んで来てボクの隣のシートに腰を降ろした。「ママさんはどういう人なの?」「街の人は歯が臭くて、目臭くて、ケツ臭え女だと言うけど、本当は良い人よ」「ケツクッセ?それは何ですか?ママさんは歯槽膿漏と結膜炎と痔瘻のある人なの?」「あら、先生って小馬鹿臭いこと言うのね。十和田の方言で“ハンカ臭え”って馬鹿っていうこと。“メ臭い”って醜いっていうこと。“ケツ臭え”というのはケチっていうことなの」「そうなんだ…」、「あたし、この店に来て、まだ1ケ月足らずなの。あたし生れも育ちも東京だけど、ツラツケのない女じゃないわ。このお店は良いお店だけど、ちょっと便所かまりがしてね」クサイ女は苦手だ。ボクは再び大急ぎでその店を逃げ出した。
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