2月29日(木)曇後雨
岡山‐尾道はJR山陽本線で1時間半。街の南側には川のような狭い海=尾道水道が横たわり、その向こうの向島は手を伸ばせば届きそうだ。海辺の東西に続く港町の北側は千光寺頂上展望台に至る岩山の斜面だ。港町には昭和を偲ばせるアーケード街が500m以上も長々と連なる。ユミはこのノスタルジックな坂の街をすっかり気に入った様子だ。このアーケード街で重厚な雰囲気のカフェを発見。時代物の椅子・テーブルに座って、サイホンコーヒーを飲んだ。その後に尾道ラーメンも抜け目なく食べた。
2月29日(木)曇後雨
岡山‐尾道はJR山陽本線で1時間半。街の南側には川のような狭い海=尾道水道が横たわり、その向こうの向島は手を伸ばせば届きそうだ。海辺の東西に続く港町の北側は千光寺頂上展望台に至る岩山の斜面だ。港町には昭和を偲ばせるアーケード街が500m以上も長々と連なる。ユミはこのノスタルジックな坂の街をすっかり気に入った様子だ。このアーケード街で重厚な雰囲気のカフェを発見。時代物の椅子・テーブルに座って、サイホンコーヒーを飲んだ。その後に尾道ラーメンも抜け目なく食べた。
2月28日(水)快晴
尾道は60年くらい前に一度来訪したことがあるが、記憶が定かではない。「坂の多い街」という印象だけが残っている。当時は「しまなみ海道」もなかったが、瀬戸内の島影が美しかったとの残像もない。林芙美子は少女時代にこの街で数年間暮らした。安宿に住み、行商でその日暮らしの悲惨な生活を送った。千光寺展望台に至る「文学のこみち」には、頼山陽、緒方洪庵、十返舎一九、志賀直哉、正岡子規金田一京助などの歌碑・句碑が建ち並んでいるが,情緒あふれる散歩道とは言い難い。来月には散歩道沿いに各種桜が咲くらしいが、今の時期は河津桜だけ。それでも平日にもかかわらず内外の観光客が多かった。僕は今日で79歳になった。
2月27日(火)晴
先週から我がアパートでも桃太郎体操が始まった。参加資格は「杜の街タワー」に住む65歳以上の高齢者。会場はタワーの5階大会議室。毎週火曜日の午前10時から45分間で、「ストレッチ→口と舌の運動→筋力運動」の後に1時間のティータイムと称するお喋り会。現在の参加者は20人くらい。タワーはセキュリティーが厳重なので、友達ができにくい。良い機会なので、50代のユミも参加している。タワーには350世帯が居住しているが、先月発足したタワー町内会に加盟しているのは150世帯らしい。我々20人の老人クラブは親睦と健康を目指して頑張る。
2月26日(月)曇
岡山市には岡山大学付属病院と、川崎医大総合医療センターの2つの大学病院がある。川崎医大は神奈川県川崎市とは全く無関係。大学は岡山県倉敷市にあり、大学附属病院も倉敷市。そして岡山市の総合医療センターは学校法人川崎学園が設立した民間病院。川崎医大の名前の由来は、医師・医学教育家・学校経営者の川﨑 祐宣(1904-1996)が1970年に倉敷市に設立したことによる。岡山市の総合医療センターは、2013年に新築された647床の総合病院。昨年胆管癌が見つかった僕は、古い建物の岡山大学ではなく、新築間もない川崎医大の総合医療センターに1か月に1-2回通院。尊厳死のために癌の治療はしていない。
2月25日(日)雨後曇
3‐4日前に、僕の寝室の見守りカメラが墜落。ユミが空調の排気管に、両面テープでサカサマに粘着していたので墜落は時間の問題だった。カメラを排気管の上に載せると天井と壁しか映らない。そこで段ボールを加工して楔形の土台を作って、視角を下げてカメラを固定。以前はカメラがコウモリのようぶら下がって僕を監視していたが、今度は白フクロウのように優しく僕を見守っているようだ。
2月24日(土)曇
ロシア当局は今月16日、刑務所に収監されていた反体制派の指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が死亡したと発表し、その後も遺体の引き渡しを求める母親らの要求には応じていない。ロシア反体制派のカリスマのナワリヌイを追った驚きのドキュメンタリー映画。プーチン政権にとって最大の敵と見なされた彼は不当な逮捕を繰り返され、巨大な力に追い詰められていく。そして2020年8月、彼は移動中の飛行機内で何者かに毒物を盛られ、昏睡状態に陥る。ベルリンの病院に入院し奇跡的に一命を取り留めた彼は、自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す。事件の裏に潜む勢力を驚きの手法で暴いていくナワリヌイの姿を捉え、ロシア政府の暗部に切り込んでいく。
2月23日(金)曇
キヤノンは2つの顔を持っている。キヤノンのマーケティング担当者は、サステナビリティを売りに若者や写真家をターゲットにしているが、その裏側で同社と幹部を共有するCIGS(キャノングローバル戦略研究所)は、気候変動に対する取り組みを阻止すべくその影響力を利用している。2008年に設立されたCIGSは、非営利の民間シンクタンクである。その中心的な研究員の一人は、研究主幹の杉山大志氏である。著書の「脱炭素は嘘だらけ」の内容は、「CO2ゼロは亡国の歌だ」、「気候危機はリベラルのプロパガンダ」、「バイデン米大統領はCO2を減らせない」、また「気候非常事態はリベラルエリートによって押し進められたフェイクニュースである」などと主張し、STGsに真正面から反対している。
2月22日(木)曇
ユミは毎朝コーヒーを飲むが、僕はコーヒーは滅多に飲まない。僕の朝の日課は、豆乳入りのミルクティーか黒豆茶を2杯飲んでから散歩に出かける。先週ユミがモーニングカップを買ってくれた。中国製らしく、何重にも頑丈に包装されたアマゾンの段ボール箱にカップが1個だけ入っていた。容量は従来使用していたカップの2倍だ。これまでは毎朝2杯のお茶を飲んでいたが、新しい茶碗なら1杯お茶を入れるだけで済む。しかし新しい茶碗は重い。空のまま持ち上げても重い。お茶を入れて持ち上げると、指が折れそうなほど重い。これがユミから僕への誕生日のプレゼント?来週僕は79歳になる。
2月21日(水)雨
ユミは道の駅が大好き。店内には地域の農家が育成した野菜や果物が並び、誰もが新鮮な作物をお手ごろな価格で購入できる。岡山市近郊にも道の駅はあるが、市内では見かけない。しかし似たような店のAコープが、我が家から徒歩10分の距離にあり、ユミと僕は月に数回買い物に出かける。イオンモールほど品揃えは良くないが、イチゴ、リンゴ、ミカンなど果物はお得感がある。ただ早めに入店しないと売り切れの品が多い。特に休日や平日の夕方には陳列棚が空っぽ。また我が家には車がないので、重い野菜類や果物を運ぶのは一苦労だ。
2月20日(火)晴
有名食堂を食べ歩いても食通にはなれないし、我流で20年間調理を繰り返してもシェフにはなれない。僕は下北と十和田でプロの指導で20年間「調理研究会」を続けた。その体験が何か役に立ったかと問われれば、特筆すべきことはない。しかし自分で食事を作ることで、色々の興味ある知識を得た。食べる楽しさよりも、作る喜びも知った。食とその周辺の文化を学んだ。コロナ禍の5年前から、僕はあまり調理しなくなった。先日は和食店でアナゴを食べた。僕は衛生上の理由から川魚が苦手だ。アナゴが好きと言うほどでもないが、ウナギより安心できる。
2月19日(月)雨
僕は小学生のころには毎日遊ぶことに夢中で、台所仕事を手伝ったことはなかった。だが12歳で上京すると自炊生活。NHKの調理教本「今日の料理」や「主婦の友」などを参考に食事を作った。帰省すると母と祖母から郷土料理を習ったが、来客や友人には不評だった。医師になり3年目、父が発病、故郷にUターンして開業医生活。町医者稼業が板についたころ、クリニックの栄養士・調理師や友人やプロの料理人たちと毎週1度の「調理研究会」を立ち上げた。院内の厨房を利用して、和食、フレンチ、イタリアン、ロシア、トルコ、中華、アジア・エスニックを5年間毎週研鑽。32歳で十和田市でクリニック開設後には「調理研究会」を再開し、さらに15年間腕を磨いた。55歳で豪州移転後は、シドニーでも、ケアンズでも、暇を見つけては地元大学・高校主催の「調理教室」に通った。和食の講師もやらされた。
2月18日(日)快晴
親友のM氏は十和田市の出身。クリスチャン一家で、福山と広島のカトリック系高校で歴史の教師をしていた。竹林の古民家に住んで、ユミと僕が訪ねると、得意の腕を振るって手の込んだ筍料理を振舞ってくれた。ロータリークラブの同僚でもあり、一緒にネパールで井戸掘りの奉仕活動をした仲間だ。一家で十和田にやって来ると、僕の家に長期逗留。僕は、夏季にはホタテの鉄板焼きやメヌケ鯛の唐揚げ、冬季には鮭のちゃんちゃん焼きやアンコウの吊るし切りなど、豪快な料理で歓待した。しかし25年ほど前に胃癌に罹患。「神は我を見捨てた」と嘆きながら逝った。
2月17日(土)快晴
鞆の浦は福山駅からバスで30分。瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置する鞆の浦。 古くから潮待ちの港として栄え、万葉集にも詠まれている。毛利・福島時代には,城山に鞆城が築かれ,1576年には室町最後の将軍足利義昭が鞆に逃れ幕府再興を図ったが挫折。また朝鮮通信使来日の際は,鞆の福禅寺の客殿・對潮楼に宿泊し,寺からの眺望を「日東第一形勝」と称賛している。幕末の1867年,現在の岡山県六島付近で坂本龍馬ら海援隊が大洲藩から借用した「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突。両船は鞆の浦で談判を重ね、最終的に龍馬たちは紀州藩から多額の賠償金を勝ち取った。これは「いろは丸事件」と呼ばれている。僕は、今は故人のM氏と何度も鞆の浦を訪れ、仙酔島で鯛飯を食べたものだ。
2月16日(金)晴後曇
水野勝成により1622年に建設された城。五重の天守と7基の三重櫓を有す。1945年の空襲で伏見櫓、筋鉄御門(ともに、国の重要文化財)を残して焼失。現在の天守、月見櫓、御湯殿は1966年に鉄筋コンクリート構造で復興されたもの。再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され、天守最上階の回縁からは市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望む。三の丸南側はJR福山駅が東西に貫き、新幹線や山陽本線のホームからは、天守や伏見櫓が聳立する本丸跡を間近に望むことができる。夜間はライトアップされ、鉄道ファンから人気の城だ。福山には親友のM氏が住んでいたので、今回は7度目の訪問。
2月15日(木)曇
広島は全国のカキ総生産量の60%を占める日本一の牡蠣生産県。一方栄養分が豊富な岡山の海では、通常は種付けから2~3年かかるところが1年で出荷できるサイズまで育つ。この「一年物」の牡蠣は濃厚で弾力があり、加熱しても身が縮みにくいのが特長。作州ソバの牡蠣ソバには牡蠣が10個も入っていて、1200円。生牡蠣,蒸し牡蠣、焼き牡蠣、グラタン、牡蠣鍋、牡蠣飯、牡蠣アヒージョ、牡蠣のオイル漬け、牡蠣の天ぷら、牡蠣の燻製、牡蠣フライ、牡蠣のオイル漬け、牡蠣の味噌汁、牡蠣のジョン、牡蠣のチジミ、牡蠣たま丼、牡蠣の茶碗蒸し、麻婆牡蠣、牡蠣のペペロンチーノ、牡蠣の土手鍋…牡蠣料理も色々あるが、牡蠣ソバは初めてだ。