9月29日(木)雨後曇
僕の専門分野は臨床病理。日本では馴染みのない分野だが、いわば内科系医師の裁判官で、3つの任務がある。内科診断が正しいか、治療が適切か、集中治療室(ICU)での処置が適切かを判定する。ピースボートではレントゲンや血液検査ができない。積んでいる薬品や医療材料にも制限がある。それでも限られた条件下で可能な限り正しい診断を下し、適切な治療が求められるのだ。ジムで1時間運動をした直後の僕の血圧は正常だ。
9月29日(木)雨後曇
僕の専門分野は臨床病理。日本では馴染みのない分野だが、いわば内科系医師の裁判官で、3つの任務がある。内科診断が正しいか、治療が適切か、集中治療室(ICU)での処置が適切かを判定する。ピースボートではレントゲンや血液検査ができない。積んでいる薬品や医療材料にも制限がある。それでも限られた条件下で可能な限り正しい診断を下し、適切な治療が求められるのだ。ジムで1時間運動をした直後の僕の血圧は正常だ。
9月28日(水)快晴
2人の患者を陸の病院に連れて行かないといけない。1人は骨折患者でギプスを外すため。もう1人は肺炎の疑いの患者で、念のために胸部レントゲンの撮影。午前7時リスボン港到着と同時に、セルフィーと僕は2人の患者を連れて夜明けの岸壁に降りた。今日の最高気温は32度の予想だが、最低気温は15度と肌寒い。セルフィーは制服から解放されてはしゃいでいる。岸壁で予約していたタクシーを探していると、ポルトガルの太陽が昇り始めた。
9月27日(火)曇
日本を出てから40日を経過。日本で算数のできないおバカな人間が薬を発注したらしく、1カ月目あたりから船内クリニックの点滴や薬品の品切れが続出。バルセロナで現地の薬を山のように仕入れた。日本と異なる薬品名、容量、包装方法で作業は難航。それでも頭脳明晰なインドネシア人看護師セルフィーの活躍で検品作業も順調に済んだ。だが船に積み込んだ荷物を再度おバカなラテン系が数えるので作業はいつまでも終わらない。
9月26日(月)曇
直子さんはニヒルな女性なので主役にぴったり。彼女と僕はいつものようにセルフで準備した食卓に向かい合って座っている。僕はマスクをかけ「風邪をひいたらマスクをかけましょう」という紙を持つ。直子さんがここで3枚フラッシュ撮影をして注目を集める。次に僕が舞踏会のマスクをかけ、2枚の追加フラッシュ撮影。それが済んだら僕たちは小道具をしまって、何事もなかったかのように食事を開始する。
9月24日(土)快晴
午前10時マルセイユに入港。僕の自由時間は午後1時‐5時の4時間。仲良しグループ4人でタクシーに乗り港から丘の上のノートルダム寺院にまっしぐら。徒歩で繁華街のオールド・ポートに下り、週末マーケットを覗いて面白グッズなどを購入。カフェで一休みの後パン屋で数種類のパンを購入。船に持って帰るつもりだったが、一口味見をしたのが良くなかった。パン屋の店先で全部食べて素手で船に戻った。
9月23日(金)快晴
船内で悪質な風邪が蔓延している。肺炎、気管支炎で船を降りて陸上の病院に収容された乗客が3人もいる。クリニックには「咳の出る方はマスクをしましょう」という張り紙が張られている。寄港地で乗客がマスク姿で歩いているのを見てイタリア人がぎょっとしている。看護師2人は診療中にマスクをしている。遅ればせながら僕もピサでマスクを購入した。
9月22日(木)快晴
不潔な場所や混雑する店や乗り物は苦手だ。人混みは敬遠するし、混んだ店で食事はしない。満員の電車やバスには乗らないし、3人以上でタクシーには乗らない。港でインドネシア乗組員がローマ観光のクシー運賃の交渉中だ。頭の良い人種で中高で英語を学び、大学で日本語を学び流暢に話す。僕は大学でドイツ語、ラテン語、フランス語を学んだが、うまく話せない。それとは無関係に僕は値引き交渉はやらない。
9月21日(水)快晴
ローマは世界一の観光地。外港のチビタベッキアには巨大観光船がずらりと係留している。9万トン級の旅客船と並ぶとピースボートはいかにもチビだ。僕は日本だけでも25病院を所有。総ベッド数1万床以上で1000人以上の医師が働く。僕は今回の乗船準備のために過去1年間で3か月間の臨床実習をした。ピースボートは2020年に新造船を計画しているが、X線は是非搭載して欲しい。
9月20日(火)曇
5年前に買ったニューバランスのつま先のゴムがはがれてトレッドミルでの運動が危険になってきたのでサントリーニ島の靴屋で新しいスニーカーを購入。僕はブランドには無知なので靴屋の主人に勧められるまま店頭で1番高い靴(17,000円)を買った。確かニューバランスも同じくらいだった。早速ジムで運動をして、バレッタの外出にも着用。履き心地も悪くないので、2-3日さらに様子を見た上でニューバランスは処分する。
9月19日(月)快晴
マルタ共和国の首都バレッタは、欧州のイタリアとアフリカのチュニジアの間の地中海に浮かぶ島国。面積は淡路島くらいの海に浮かぶ城壁の街。500年前の十字軍を支えた聖ヨハネ騎士団の本拠地で、街全体が世界遺産に指定されている。美しい街は中世の宗教暗黒史を秘めている。
9月18日(日)快晴
心監視装置を装着すると家族は手厚い看護をされていると思う。看護士の仕事も楽になる。それだけのことだ。玩具を付けたから患者の病状が良くなるわけではない。医師は玩具の数値や警告音を過大視せず、全身状態の把握に努めなければならない。玩具に頼り切ると玩具なしに診療できなくなり、玩具に故障が生じても数値を信じて医療事故を起こす。元気な患者に玩具を付ければ、警告音に1晩で神経衰弱になる。
9月17日(土)快晴
エーゲ海に浮かぶ火山島。島民は港から300mほど登った山頂に住んでいる。港に船が着岸できないので通船(テンダーボート)で上陸する。港から町まではケーブルカーで3分、片道5ユーロ。徒歩で登り50分。ロバや馬は登り30分、5ユーロだ。3時間しか時間がなかったので往復ケーブルカー。旧市街地を2時間トレッキング。
9月16日(金)快晴
スエズ運河を通り抜けた地中海第1日目は船が大分揺れた。ヨーロッパでは12の港町に寄港する。サントリーニ島、マルタ島、アイスランドは僕にとって初めての寄港地。オーロラが見える海域も通過する。第2スエズ運河、新パナマ運河も楽しみだ。
9月15日(木)快晴
2年間の工期で昨年新スエズ運河が開通した。単線から複線になり運河の通行量は1日50隻から100隻に倍増。エジプトに入る通行料も倍増。紅海から地中海へは新運河、地中海から紅海へは旧運河を通る。僕には初めての新スエズ運河通過だ。気になっていた日本‐エジプト友好橋は、複線化を想定して十分な長さで建設されていたのだった。
9月14日(水)快晴
紅海の水は濃い青。誰が紅海と名付けたかは不明だが、大昔この入江のような海は海藻や赤潮で赤く見えたらしい。船は早朝スエズ運河に侵入。日の出は5時34分。夜明け前から甲板は乗客で溢れている。予定時刻から少し遅れて赤い太陽が昇ると拍手が広がった。水平線はスモッグでかすんでいるが・・・。