近況報告 1991、6、23、
前略、ぼくの家の庭には今年も沢山の花が咲き乱れています。ぼくは毎朝4時
半に起きて7時まで馬に乗り、昼休みにはプールで20分間、1000メートル
泳ぎ、夜はオートテニスマシンで軽く運動をして午後9時には寝ます。食事は週
に1-2回は外食もしますが、ほとんど自炊です。12歳から自炊をしていたの
で、家事はそれほど苦にはなりません。6月上旬に落馬して、右肩を捻挫して腰
に怪我をしたため、やや不自由な歩き振りですが、その他は大きな変化はありま
せん。2カ月間ぼくの馬は運動をさせられずに放っておかれたので肥満児になり、
久しぶりに馬場に出されたので、喜び勇んでぼくを振り落としたようです。反対
にぼくの方は1月からアルコールをやめたら、1カ月に1キロずつ体重が減少し
て、現在61キロ。もうこれ以上やせなくても良いという思いです。
5月26日、妻の49日の法要と埋葬を済ませました。墓地は小川原湖畔の公
立の墓地公園で、妻が4-5年前に買い求めていたものです。三沢空港から車で
10分、高速インターから20分と、立地条件、景観ともに申し分ないものです。
2人の子供達が将来どこに住むか分かりませんが、ここなら比較的気軽に墓参に
来れるでしよう。ぼくも小川原湖にボートやウィンドサーフィンに行く途中で寄
ることができます。
ぼくも妻も親戚付き合いを大切にする方ではなかったし、冠婚葬祭の付き合い
も極力避けてきました。しかし妻の葬儀は500人以上の人々が集まつてにぎに
ぎしく行われ、当地の風習でその後1週間毎にお寺にお参りに行かなければなり
ませんでした。埋葬が済んでやっと寺の呪縛から解放され、生き返った思いです。
妻は生前、葬式も戒名も拒絶していましたが、葬儀とは当事者の意志とは無関係
に滞りなく事が運ばれるものです。
妻の死因は「悪性リンパ腫」です。この病気は腹腔内のリンパ腺のガンで、そ
の初期には自覚症状や他覚的所見はなく、かなり進行した段階で腸管内に「胃ガ
ン」や「腸ガン」の形で姿を現して来る性質のものです。いわば血液ガンと胃ガ
ンの混ぜ合わされたような病気です。妻はスポーツ大好き人間で、両親がガンで
死亡したこともあって、健康管理にはとても気を遣っていました。昨年4月3日
の誕生日の検診も全く異常はありませんでした。水泳、テニス、スキーは生活の
一部になっていました。今年1月17日いつものように、プールから戻って来て、
夕食後突然強い腹痛に襲われたのが最後の始まりでした。腸閉塞症状を呈してい
たのでその日は鎮痛剤を注射して、翌18日に胃カメラで覗いて見ると悪性腫瘍
による幽門閉塞でした。1月19日に十和田市立病院に入院、1月31日に胃全
摘手術を施行し、術後の経過は良好で、3月7日にぼくの経営する北里内科クリニ
ックに転院、以後毎週水曜と土日は家に連れて帰って、一緒に八戸に買い物に行っ
たりしていました。当人も社会復帰に強い意欲を示して、病室に鉄アレーなどを
持ち込んでトレ-ニングを続けて、術後36キロまで減った体重も4月1日には
入院前の40キロに回復しました。
4月6日の土曜日ぼくは妻を家に連れて帰り、昼食の後2人で八戸に買物に行
きました。翌7日の朝から妻には、軽い意識障害と歩行障害が認められました。
ぼくは妻の兄弟達に初めて妻の病名を告知し、病状が急速に悪化しつつあること
を知らせました。7日の午後10時から8日の午前10時まで妻は眠り続けて、
目を覚ましたときに家族や兄弟達に囲まれて病室にいることに驚いて、そして自
分の死期が間近に迫っていることを悟ったようでした。意識ははっきりしていて、
落ち着いた口調で1人1人に遺言を残して、最後の1人の兄の到着を待つて12
時47分に息を引き取りました。その時、ぼくが最後まで本当の病名を教えなか
つたことに恨みの色が瞳にあったように感じました。妻は以前から50歳以上は
生きたくはないと言っていました。ガンや植物人間になったら治療を拒否すると
断言していました。今回の発病後も「胃ガンであるなら手術は受けない」と宣言
して、外科医が「胃潰瘍」と病名を偽って手術に持ち込んだものです。妻は厭な
ことは絶対に厭で通して来た人間です。最後までエゴを貫き通したのでしよう。
多分47年の人生を悔いてはいないでしょうし、特にぼくと一緒の30年間は面
白かったと考えながら逝ったのだと思います。
ぼくと妻の間には2人の子供がいます。長男武士は18歳。つくば学園都市に
ある茗渓学園を今年卒業しましたが、大学進学の意志も就職する気もないようで
す。妻に似て、自由な生き方を求めて、間もなく日本を離れて国際浪人になるよ
うです。2男の和巳は16歳で、現在函館ラサール高校2年生で、寮生活を送つ
ています。2人とももうそれなりの判断力を持っているし、親としての役目は多
少の金銭的援助と時々のアドバイス程度です。昔と違って便利な道具や商品があ
るので、ぼくの家事には全く不便はありません。優雅な独身生活を送っています。
まだ1週間に1-2度全く眠れない日があります。ぼくも妻も過ぎたことを悔や
んだり、明日を恐れたりする習慣は持ち合わせていません。だから寂しさとか、
悲しさではなく、新しい生活を開始するに当たって今整理しておかなければなら
ないことが沢山あるような気がするのです。臨時に1人秘書を採用して身辺の整
理をしていますが、大事な忘れものがあるような、追われるような気持ちが眠り
を妨げます。そんな夜はオートバイで頭を冷やして、昼寝をして、そして花と音
楽を絶やさぬようにして生活のバランスを保っています。友達が色々の点でぼく
を心配してくれますが、体調も仕事も絶好調です。
別便で当地の名物さくらんぼを送りました。機会があったら十和田に遊びに来
て下さい。気楽な1人暮しですから歓迎します。
草々
前略、ぼくの家の庭には今年も沢山の花が咲き乱れています。ぼくは毎朝4時
半に起きて7時まで馬に乗り、昼休みにはプールで20分間、1000メートル
泳ぎ、夜はオートテニスマシンで軽く運動をして午後9時には寝ます。食事は週
に1-2回は外食もしますが、ほとんど自炊です。12歳から自炊をしていたの
で、家事はそれほど苦にはなりません。6月上旬に落馬して、右肩を捻挫して腰
に怪我をしたため、やや不自由な歩き振りですが、その他は大きな変化はありま
せん。2カ月間ぼくの馬は運動をさせられずに放っておかれたので肥満児になり、
久しぶりに馬場に出されたので、喜び勇んでぼくを振り落としたようです。反対
にぼくの方は1月からアルコールをやめたら、1カ月に1キロずつ体重が減少し
て、現在61キロ。もうこれ以上やせなくても良いという思いです。
5月26日、妻の49日の法要と埋葬を済ませました。墓地は小川原湖畔の公
立の墓地公園で、妻が4-5年前に買い求めていたものです。三沢空港から車で
10分、高速インターから20分と、立地条件、景観ともに申し分ないものです。
2人の子供達が将来どこに住むか分かりませんが、ここなら比較的気軽に墓参に
来れるでしよう。ぼくも小川原湖にボートやウィンドサーフィンに行く途中で寄
ることができます。
ぼくも妻も親戚付き合いを大切にする方ではなかったし、冠婚葬祭の付き合い
も極力避けてきました。しかし妻の葬儀は500人以上の人々が集まつてにぎに
ぎしく行われ、当地の風習でその後1週間毎にお寺にお参りに行かなければなり
ませんでした。埋葬が済んでやっと寺の呪縛から解放され、生き返った思いです。
妻は生前、葬式も戒名も拒絶していましたが、葬儀とは当事者の意志とは無関係
に滞りなく事が運ばれるものです。
妻の死因は「悪性リンパ腫」です。この病気は腹腔内のリンパ腺のガンで、そ
の初期には自覚症状や他覚的所見はなく、かなり進行した段階で腸管内に「胃ガ
ン」や「腸ガン」の形で姿を現して来る性質のものです。いわば血液ガンと胃ガ
ンの混ぜ合わされたような病気です。妻はスポーツ大好き人間で、両親がガンで
死亡したこともあって、健康管理にはとても気を遣っていました。昨年4月3日
の誕生日の検診も全く異常はありませんでした。水泳、テニス、スキーは生活の
一部になっていました。今年1月17日いつものように、プールから戻って来て、
夕食後突然強い腹痛に襲われたのが最後の始まりでした。腸閉塞症状を呈してい
たのでその日は鎮痛剤を注射して、翌18日に胃カメラで覗いて見ると悪性腫瘍
による幽門閉塞でした。1月19日に十和田市立病院に入院、1月31日に胃全
摘手術を施行し、術後の経過は良好で、3月7日にぼくの経営する北里内科クリニ
ックに転院、以後毎週水曜と土日は家に連れて帰って、一緒に八戸に買い物に行っ
たりしていました。当人も社会復帰に強い意欲を示して、病室に鉄アレーなどを
持ち込んでトレ-ニングを続けて、術後36キロまで減った体重も4月1日には
入院前の40キロに回復しました。
4月6日の土曜日ぼくは妻を家に連れて帰り、昼食の後2人で八戸に買物に行
きました。翌7日の朝から妻には、軽い意識障害と歩行障害が認められました。
ぼくは妻の兄弟達に初めて妻の病名を告知し、病状が急速に悪化しつつあること
を知らせました。7日の午後10時から8日の午前10時まで妻は眠り続けて、
目を覚ましたときに家族や兄弟達に囲まれて病室にいることに驚いて、そして自
分の死期が間近に迫っていることを悟ったようでした。意識ははっきりしていて、
落ち着いた口調で1人1人に遺言を残して、最後の1人の兄の到着を待つて12
時47分に息を引き取りました。その時、ぼくが最後まで本当の病名を教えなか
つたことに恨みの色が瞳にあったように感じました。妻は以前から50歳以上は
生きたくはないと言っていました。ガンや植物人間になったら治療を拒否すると
断言していました。今回の発病後も「胃ガンであるなら手術は受けない」と宣言
して、外科医が「胃潰瘍」と病名を偽って手術に持ち込んだものです。妻は厭な
ことは絶対に厭で通して来た人間です。最後までエゴを貫き通したのでしよう。
多分47年の人生を悔いてはいないでしょうし、特にぼくと一緒の30年間は面
白かったと考えながら逝ったのだと思います。
ぼくと妻の間には2人の子供がいます。長男武士は18歳。つくば学園都市に
ある茗渓学園を今年卒業しましたが、大学進学の意志も就職する気もないようで
す。妻に似て、自由な生き方を求めて、間もなく日本を離れて国際浪人になるよ
うです。2男の和巳は16歳で、現在函館ラサール高校2年生で、寮生活を送つ
ています。2人とももうそれなりの判断力を持っているし、親としての役目は多
少の金銭的援助と時々のアドバイス程度です。昔と違って便利な道具や商品があ
るので、ぼくの家事には全く不便はありません。優雅な独身生活を送っています。
まだ1週間に1-2度全く眠れない日があります。ぼくも妻も過ぎたことを悔や
んだり、明日を恐れたりする習慣は持ち合わせていません。だから寂しさとか、
悲しさではなく、新しい生活を開始するに当たって今整理しておかなければなら
ないことが沢山あるような気がするのです。臨時に1人秘書を採用して身辺の整
理をしていますが、大事な忘れものがあるような、追われるような気持ちが眠り
を妨げます。そんな夜はオートバイで頭を冷やして、昼寝をして、そして花と音
楽を絶やさぬようにして生活のバランスを保っています。友達が色々の点でぼく
を心配してくれますが、体調も仕事も絶好調です。
別便で当地の名物さくらんぼを送りました。機会があったら十和田に遊びに来
て下さい。気楽な1人暮しですから歓迎します。
草々