5月16日(水)快晴
シドニー市は市内の交通渋滞を解決するために市電(ライトレール)導入を決定。シティーの主要道路であるジョージ通りを全面閉鎖し、セントラル駅~サーキュラーキー間3㎞の道路を掘り返している。途中には中華街、タウンホール、QVB(クイーン・ビクトリア・ビルディング、マーチン・プレースなど観光名所が並ぶ。工事完了まで5年間くらいかかりそうだ。ゴールドコーストの成功例もある。多数の市民が支持しているから当面の不便は我慢して工事は続行されるのだろう。
5月15日(火)快晴
砂漠のドライブで注意すべきは、ロード・トレインとオーバーサイズ。ロードトレインは3台のトレーラーを牽引して全長60mにも達する。追い抜くには相当の慎重さが必要だ。時には3連のロード・トレインが2台並走していることもある。2台が離れるのを待つのが利口だ。オーバーサイズは引っ越しの家や鉱山の重機などを積んで、車幅が対向路線に大きくはみ出したトラック。先導車が警告灯を派手に点滅させて接近して来るので、速やかに路肩に停車して、通過を待たなければならない。
5月14日(月)快晴
砂漠を夜間運転するとカンガルーと衝突する恐れがある。だから長距離運転者は夜明けとともに行動を開始し、夕方は日没前に宿に入る。早朝の駐車場でトラックの運転手が咳き込むようにむせていた。僕たちと同じ咳だ。やっぱり咽頭痛と咳の原因は砂漠の赤い砂と乾燥のせいなのだ。夜明け前のナラボー平原には霧が立ち込め北から南まで東の地平線がオレンジ色に染まる。絶景にうっとりしていたら朝日が昇り霧が晴れた。暴力的な日差しを真正面から受けて、サングラスもあまり効果がない。
5月13日(日)快晴
パースから西へ650㎞のカルグーリーは1890年前後にゴールドラッシュで賑わった街。街の周辺一帯は金鉱が多くゴールドフィールドと呼ばれた。しかしこの街には水がない。1杯の酒と1杯の水が同じ値段。街の名士のオコーナーさんはパースからこの町まで水を引くことを計画。苦心惨憺の末に全長650㎞のパイプラインを街道脇に設置したが、完成しても水は出ない。絶望したオコーナーさんは自殺。その自殺から数日後にパイプラインから滔々と水が流れ出たという、悲劇の裏話もある。650㎞とは東京‐青森の距離だ。
5月12日(土)快晴
牡蠣とムール貝はフリーマントルが本場だが、息子と一緒に食事をしたので、僕たちにしてはつまらないメニューを選択。息子夫婦と別れてパースは別行動。リバーサイドに開業したての3階建てのオイスターバーを発見。ユミの大好きなムール貝を注文したが扱っていないとのこと。サラダ、ガーリックトースト、シーフードプレートを注文。港を見下ろす雰囲気満点のテラス席だが、味、値段、ボリュームとも合格点。
5月11日(金)快晴
息子夫婦と3泊4日行動を共にした。彼等はパースから西海岸を北上する。僕たちは明朝早くアデレードを目指す。息子はひどい偏食で魚介、キノコ、温野菜、魚醤入りのアジア料理、中華料理などを決して口にしない。一緒にいるのは結構疲れる。息子と別れてパース最後の晩餐は中華街へ。ユミはサンラータン、僕はアヒル肉入りの汁麺を注文。安くてボリュームがあり味も悪くなかったが、ホテルに戻ってからユミも僕も咽頭痛とむせるような咳が止まらない。乾燥した空気のせいか、中華料理のせいかは不明
5月9日(水)快晴
10年以上前にこの島に来たことがある。歴史的には監獄島。小型のカンガルー、ペンギン、アシカが生息しているとの触れ込みだったが、野生化した猫とキツネが捕食して絶滅寸前。現在ではペンギンと脚かは見られないが、フェイスブックで大ブレイクしたクオッカ見たさに世界中から観光客が押し掛ける。ユミが絶対に見たいというので回教国からの団体で込み合うフェリーに40分揺られて島へ。バスで1時間半の島内一周したがクオッカの姿は見えない。昼食後レンタル自転車で2時間のクオッカ・ポイント巡りも空振り。久々のサイクリングはきつかった。
5月7日(月)晴
ナラボー平原のケイグナとパラドニア間の「豪州1長い直線道路」 は146.6㎞。これは青森県の太平洋岸から日本海岸までの直線距離と大体同じ。アップダウンはあるが左右の湾曲は全くない。昔は「直線道路は眠くなりやすい」と言われたが、実際に運転してみて全くそんなことはない。運転はとても楽だし、疲れにくい。「日本1長い直線道路」は北海道の国道12号の美唄市光珠内から滝川市新町までの29.2km。それでは「世界1長い直線道路」はどこだろう?色々の資料を調べたが、豪州1の146.6㎞が世界1らしい。
5月6日(日)晴後曇
エスペランスで息子夫婦と合流し、昼食後の1時に車2台を連ねて500㎞西のアルバニー目指して出発。ところが町を出て間もなく砂嵐が襲来。見通しがきかないのでスピードが出せない。雨も降り出し、、雨雲が重く垂れこめて暗くなってきた。ある程度雨が降り続けば砂嵐も収まるのだろうが、中途半端にしか降らない。とうとう2台の車は離れ離れになった。4時ごろになんとか再会できたが、5時には日が沈み、あたりは真っ暗。通りがかりのロードハウスで宿を探したが、休日なのでレセプションは5時で終業。7時過ぎにどうやらアルバニーに到着したが、宿を見つけるまで1時間もかかった。
5月5日(土)快晴
砂漠は静かだ。物音がほとんどしない。道端に停車していると、稀に通り過ぎる車の音以外は何も聞こえない。大地も広いが、空も広い。天気が良いと空は驚くほど青い。夜は星が無数に輝く。朝日と夕日は神秘的だ。南氷洋に面したナラボー平原の秋は日中は20度前後で快適でも、夜は10度以下まで気温が下がることも珍しくはない。しかし質実剛健なOZは寒い日も暖房をあまりつけない。食事にもうるさいことは言わない。はっきり言うと砂漠の夜は寒く、宿の食事は不味いのだ。それでも荒野を行く者は哲学者になれる。カップルはますます仲良くなるか、決定的に仲違いするかのどちらかだ。
5月4日(金)快晴
豪州は天気が変わりやすい。今日は晴天だが突然通り雨に襲われた。ユミと1~2時間交代で、あちこち見学しながら、のんびりナラボー平原を西進。ラテン語で「ナラ=ゼロ、ボー=木」。かつては延々3000㎞も木のない平原が続いていたらしいが、近年は雨量が多くてハイウエイの両側には見事な緑が広がる。人工的に枝ぶりを整えられた庭木や、丁寧に刈り込まれた灌木にそっくりだ。それでもナラボー村から州境までは樹木が1本もなく、360度地平線が見渡せる。キャンピングカーやバイクとすれ違う。自転車で平原に挑戦する若者も4人見かけた。