豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

僕らの節水宣言

2002-07-31 22:57:18 | Weblog
7月31日(水)快晴 

   僕らの節水宣言

夕食は「カナダ名物Tボーンステーキ」だったが、硬くて噛み切れない代物だった。乗客の苦情は必至だ。夕方クジラの群れに遭遇。
22:00ミュージックサロンで「僕らの節水宣言」と称して、PB代表の中原とJG代表の山本が丸坊主になった。

バンクーバー出港遅延について
昨日のバンクーバーでは、港湾局から出港許可がなかなか下りず、予定時刻よりも3時間遅れ、皆様にご迷惑をおかけいたしました。この件での次港カムチャッカ入港予定時刻についてはなんら変更ありませんのでご安心ください。出港の遅延理由については昨日も放送にて説明いたしましたが、長い太平洋に向けて、船側がロシアの基準に従い、可能な限り多くの水をタンクに積み込み、万全の体勢でスタンバイしていたところ、これがカナダ側の規定に合わないと出港直前になって指摘があり、一部日常用水をおろし、カナダの規定に合わせて出港したためです。したがって、参加者の皆様には非常にご心労をおかけいたしますが、今後の船内生活では一部(飲料水以外)節水のご協力をお願いする場合も予想されます。残り14日の船内生活、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。(ピースボート事務局)

読書:「権威と権力」なだいなだ
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CIQ

2002-07-30 22:56:40 | Weblog
7月30日(火)快晴 

   CIQ

午前中、今航海の最大の鬼門のバンクーバーの検疫官による船内検査。厨房や医務室はあまり問題はなかったが、機関室や水質管理など船側に大きな失態があったようだ。そのために11:00終了の立ち入り検査は午後も続けられ、18:00予定の出港も21:00にずれ込んだ。次の寄港地のカムチャッカまでは1週間。そこまで必要な十分な給水を受けられなかった模様だ。
眼科受診のNさんには現地の旅行社に同行を依頼したが、網膜剥離で明日緊急手術とのことで下船。
今日は下船できなかったが、夕方旅客ターミナルからユミに電話。昨日、大家のレバノン人夫妻宅のホームパーティーに行ってきたそうだ。

読書:「生きるための101冊」鎌田慧
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眼科の目利き

2002-07-29 22:56:04 | Weblog
7月29日(月)快晴 

   眼科の目利き

午前中はクリニックをオープン。昼食後は双眼鏡を持ってクジラの姿を求め続けたが1頭も見当たらなかった。
15:00バンクーバー入港。眼底出血の疑いのNさんを連れてセントポール病院の眼科受診。レジデントが診察し、「眼底出血はないが視力障害の原因は不明」とのこと。明日専門医がいる午前中に再診となる。

読書:「日本の原発地帯」鎌田慧
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体と心の距離

2002-07-28 22:55:34 | Weblog
7月28日(日)晴 

   体と心の距離

夕方時間外の外来患者の点滴があり、N武田が夕食を食べ損ねた。20:00より甲板の屋台波平でN遠藤、N武田と飲む。2人のナースとはあまり心が通じない。それよりも僕と理解しあえる人間を探すほうが困難だ。僕の心は他人との触れ合いを求めない。僕の体は他人との接触を嫌う。孤独が僕の安楽だ。妻のマキは僕を挑発することによって密接なコンタクトを保った。ユミは僕に無関心であるような、心配であるような微妙な距離感で僕のそばにいた。異性関係の苦手な僕には申し訳のない気分でいっぱいだ。

読書:「現代社会100面相」鎌田慧
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小林隆平さんの進化論

2002-07-27 22:54:53 | Weblog
7月27日(土)快晴

    小林隆平さんの進化論

水先案内人の8弦のギタリスト小林隆平さんと友達になった。彼は5歳からピアノ、14歳からクラシックギターを学んだ。高校卒業後スペインに渡り、スペイン語を学んだ後現地の高校を卒業。その後エクアドルに移住し、ギタリストとして活躍している。彼はピースボートの通訳も務め、ガラパゴス諸島には100回以上行ったことがあるそうだ。


読書:「南方熊楠」飯倉照平
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ユミの引越し

2002-07-26 22:54:21 | Weblog
7月26日(金)快晴 

   ユミの引越し

ユミに電話。一昨日引っ越したそうだ。大家はレバノン人の老夫婦。同一敷地内に3軒の家があり、その1番手前に大家が住んでいるので安心できるとのこと。本当にそうであって欲しい。大家の親戚が集まって歓迎パーティーを開いてくれたという。ユミはレバノン料理が気に入ったらしい。

読書:「単位の小事典」高木仁三郎
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下北運河掘削計画

2002-07-25 22:53:47 | Weblog
7月25日(木)晴

    下北運河掘削計画

青森県の六ヶ所村は村内に六ヶ所の村落があるからつけられた名前だ。20年前は辺鄙で、貧しく、何もない、平和で美しい村だった。ここに原燃の処理施設と石油の備蓄基地が作られた。今では、広い舗装道路が何本も作られ、巨大な港が築かれ、得体の知れない建造物があちこちに見られる不思議な光景の村になった。村役場や公民館や体育館、郷土館や学校など立派な建物がたくさんできた。多くの人が農地や漁業権を売ってこの村を去って行った。残った村民の多くが「たまげた便利になった」と喜んでいるのであろう。人間は主義主張よりも生活のほうが重要なのだ。下北半島が原子力半島化しようとしていることに危機感を抱いた僕は対案として六ヶ所村の原燃反対派村長の寺下力蔵に「下北運河の掘削」を提案した。陸奥湾から太平洋に至る下北運河の掘削費用30億円も調達した。六ヶ所村はヤマセと呼ばれる西風の名所だ。陸奥湾の水位は太平洋より1m高い。運河を流れる水流を利用した水力発電と風力発電で国や企業に頼らない豊かな村作りを目指すことを提案した。しかし革新政党にしても革新首長に  しても反対運動の目的の実現よりも、運動そのものに利用価値があるらしかった。運動がなくなると彼らの存在意義も消滅する。それとも僕が危険人物であるからだろうか、彼らは「精一杯戦った」という満足感と、敗北こそ選挙民の支持を繋ぎ止める手段との判断からか、戦うポーズに終始した。

読書:「六ヶ所村の記録」鎌田慧
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契約失効

2002-07-24 22:52:56 | Weblog
7月24日(水)快晴

契約失効

22:00より甲板の屋台で、JG延原社長主催の飲み会。オリビア号を借り上げている契約は来年3月で失効する。その後の船をどうするかは未定だ。オリビア号の契約延長の方針もあるが、オリビア号をJGで買い上げる方針も検討されているそうだ。


読書:「反骨・鈴木東民の生涯」鎌田慧

映画:「御法度」
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鎌田さんのメッセージ

2002-07-23 22:52:02 | 海外旅行
7月23日(火)曇

    鎌田さんのメッセージ

イルカが多く見られた。昨日下船した鎌田さんのメッセージ。

  乗船者の皆様へ
ピースボートももう20年を迎えるのですが、お互い国を意識した硬い視線ではなく、同じ人間的な眼差しで相手を見つめあう関係を作る場として、ますます貴重なものになっています。いまや地獄の底を転がるような、希望の見えない時代となっているのですが、それでもピースボートが地球を回り続けているのは奇蹟ともいえることです。たしかに、この船はきびしい現実と対面させられることが多く、考えさせられる。とはいえ、それとご自身の日常の生活とが導つながっているのか、どうしていくべきなのか、を考えずにそのままで終わりがちです。それでも、これからいかに生きるべきか、それを真剣に考え、悩んでいるひとたちがこんなにもいる。その事実が、それを知ることが、この船にとっての希望です。最後の寄港地である日本は、ますます混乱した状態になっていますが、それは生みの苦しみのあらわれともいえます。どうか皆さん、ご無事でお帰りください。ボンボイヤージュ。 鎌田慧

読書:「自動車絶望工場」鎌田慧
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レストラン「ベト」

2002-07-22 22:51:16 | 海外旅行
7月22日(月)快晴

   レストラン「ベト」

N遠藤と市内No.1と教えられたシーフード・レストラン「ベト」のプライベート・ビーチで泳いだ。砂浜はきれいだが海水は濁ってごみが浮いている。シーフードはボリューム満点で味も悪くはなかった。ウオーターバイクに2人乗りで湾内を1周した。

17:00アカプルコ出港。

読書:「生きるための学校」鎌田慧
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アカプルコの暗い影

2002-07-21 22:50:38 | 海外旅行
7月21日(日)快晴 

   アカプルコの暗い影

11:00アカプルコ入港。港の右側の新市街地は高層ホテルが林立し、熱海か別府を連想させる俗悪な眺めだ。港の左側の旧市街地はかなりさびれて壊れ朽ちたホテルや別荘が目立つ。したがってワイキキやゴールドコーストの華やかさはない。アカプルコ湾内の水は濁ってたくさんのゴミが浮かんでいる。
タクシーで1人で3時間の市内観光。観光案内のフィルムでおなじみの飛び込みの岩、ジョン・ウエインの別荘、旧市街地のマーケット、新市街地、市内を見下ろす見晴台、シルベスタ・スターロンの別荘を見物して回った。最後に港近くの海辺のバーでマルガリータを2杯飲んだ。運転手にはレモネード2杯。支払いは合計90ドル。
アカプルコは治安のいい街だ。良くも悪くもメキシコらしさの感じられない街だ。高速道路が開通したのでメキシコシティーから4時間バスに揺られて大勢のメキシコ人が観光にやってくる。旧市街地では1泊1000円以下のホテルと仮設の土産物屋がが軒を連ねている。先進国の高い労働力の補完勢力として労働集約的な新興工業国として躍進したアジアのNIES諸国。メキシコが中南米のNIESになりうるかどうかは今後5年間で明らかになるだろう。世界不況と進まぬ民主化が暗い影を落としている。

読書:「ルポルタージュを書く」鎌田慧

映画:「アマデウス」
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愛することと別れること

2002-07-20 22:50:03 | Weblog
7月20日(土)晴

    愛することと別れること

この第37回世界1周クルーズが終了したら、引き続き第38回の南北朝鮮とサハリン、国後クルーズに参加することになった。そして第40回の南回り世界1周クルーズにも乗船を依頼されている。ユミは電話で「12月から2月の夏休みは一緒に過ごそう」と言う。しかしそうすればまた2,3年は一緒にいることになることは目に見えている。「愛するゆえに別れる」などという文学的なテーマではなく、僕は今のままが最良なのだが結果的にユミを不幸にするという思いを捨て切れない。つまりユミは他の同年代の女たちと同じように同年代の男たちとも付き合うべきだ。その機会を僕が奪っている。
「1年限り」の約束が10年も続いた。僕は10年を区切りに強引に清算しようとピースボートの船医になった。どうやらうまく行きそうだと思った時に、空き巣だ。僕は第40回航海も乗船してもいいと思っていた。格好のいい人生なんて送れない。書くことと生きることは違うのだ。

読書:「書くことと生きること」鎌田慧
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船内待機

2002-07-19 22:49:26 | Weblog
7月19日(金)快晴

   船内待機

僕とN武田が船内待機。N遠藤はトレッキングのOT。蜂巣炎など問題のある患者はいるが、重症患者はいない。下船しても1人歩きは危険とあっては、意地を張って上陸することもなかろう。船内臨検のあるバンクーバーに備えてクリニックの必要書類の整理・作成。読書。

19:00アカフトラ出港。

読書:「宗教と非宗教の間」西谷啓治・上田閑照
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アカフトラの法則 

2002-07-18 22:48:50 | 海外旅行
7月18日(木)快晴 

    アカフトラの法則 

10:30アカフトラ入港。今度の航海ではここが1番治安が悪い。昨年のグアヤキルでは街中に防弾チョッキとアカフトラの法則、機関銃で武装した軍隊があふれていた。ここも警察官の姿が多いがピストルと警棒だけだ。ピストルを持っている人は腕時計をしているが、ピストルを持っていない人は腕時計をしていない。
N遠藤は船内待機。僕とN武田は13:00-22:00サンアンドレスのマヤ遺跡とサンサルバドル1日観光のオプショナル・ツアーに参加。小さなピラミッドのある遺跡は公園になって子供たちが大勢遊んでいた。併設の博物館にも見るべきものはない。途中で4台のバスのうち1台が故障。3台に分乗してどうにかなった。ということは最初から3台でも十分だったとも言えるし、万一に備えて4台必要だったとも言える。それぞれのバスには武装警官が2人ずつ同乗していた。バスは冷房完備の特別仕様。外は猛暑。首都サンサルバドルも田舎町の風情で、民芸品市場も素朴すぎる商品が並んでいた。ホテルのレストランで夕食。建物は立派だが従業員の動きが鈍い。暑い中を散々歩かされた後なので遅いビールの到着に一同いらいらしていた。

読書:「誰のための福祉か」浅野史郎
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早すぎたうなぎ

2002-07-17 22:46:42 | Weblog
7月17日(水)曇

   早すぎたうなぎ

佳作「うなぎ」が上映されたから今日が土用かと思っていたら、3,4日早いらしい。土用にはもちろん屋台波平ではうな丼を提供する。シネマの担当者もきちんと暦を確認してことにあたる必要がある。それはともかく、屋台の1日の水揚げは平均10万円だそうだ。わがクリニックは1日の外来患者が7.2人で4万円だ。

読書:「追放者たち」新藤兼人

映画:「うなぎ」
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