豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

フランスの国家語政策

2001-12-19 22:24:37 | Weblog
12月19日(水) 快晴

  ミュージカルの練習風景

今夜、70人が出演する英語ミュージカルが2回公演されました。出演者も裏方もすべて乗客です。出演者たちはアジア人、ヨーロッパ人、アフリカ人、アメリカ人の、各20人が4つのパートに分かれて3ヶ月間練習に励んできました。全く見ず知らずの若者たちが、最後を飾って完成度の高い舞台を披露してくれました。晴海を出航して以来100日を過ぎました。

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    フランスの国家語政策

フランス人は自国語であるフランス語をとても大切にする。フランス人は自国の文化が世界一と信じて、英語が喋れるのに、アメリカ人に英語で話そうとしない。このようなことをよく耳にする。多分事実であろう。従って大いに問題がある。

現在フランス本土でフランス語を母語とするのは国民の71%である。残る29%の「フランス人」は、オック語、ブルトン語、アルザスドイツ語などを母語としている。

現在ヨーロッパには50以上の書き言葉があるが、10世紀には6つしかなかった。ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、アングロサクソン語、教会スラブ語である。西ヨーロッパではラテン語だけが純粋な言語であり、フランス語もイタリア語もドイツ語も不純な方言として蔑まれていた。どの国でも支配層がラテン語を使い、庶民は俗語を使っていた。

ルネッサンスが幕をあける14世紀初頭、ダンテが庶民の使う愛の言葉として、俗語で本を書いた。教会や王室や学者たちは彼を異端者として蔑んだ。しかし上流階級しか理解できないラテン語は支配者たちにも不都合が多く、俗語の国家語化は急速に進んだ。

1635年、フランスではアカデミー辞典が発刊された。これは国家語のフランス俗語をラテン語から防衛するためにも、俗語芸術の奨励のためにも必要な措置であった。王室によるてこ入れで、フランス俗語は洗練され、パリはヨーロッパ芸術の中心となり、フランス語はヨーロッパ貴族の言葉になる勢いだった。

1789年の大革命後フランス語の国家語化は更に強化される。「言語の平等は人民の平等」と唱えられ、言語の革命として、フランス人が外国語や方言を使うことは反革命として取り締まられた。

1803年のナポレオン法典では、名前の選択の範囲が厳重に規定され、フランス名以外は違法とされた。

1871年、プロイセンにフランスが敗北し、アルザス地方が割譲される時、ドーデの有名な「最後の授業」という小説が新聞に連載され、愛国心と排外主義昂揚に一役買った。

フランスは国家語政策ではヨーロッパで1番保守的な国である。単一言語主義を取り、国家語以外の言語を使用する国民を弾圧している。その一例として、現在なおフランス本土でプルトン語を母語としている地域に、政府は原発建設地を押し付けることで、愛国心を利用して国内の反原発感情をかわそうとしている。



読書:「日本人の法意識」 川島武宣

コメント
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