むつ政経文科新聞 第4号 昭和53年(1978年)1月25日発行
「論説」原子力は石油に代わり得るか?
我が国の原子力行政の最大の障害は国民の政府不信にあると言われている。政府が「公開の原則」を破って、いい加減なデータやその場限りの説明でお茶を濁していることが地元の人たちの怒りと不信を買っている。わが国のエネルギー問題と原子力行政の健全な推進のためには、国民の基本的合意が必要であるのに、政府や事業団では肝心なところをいつも避けて通っている。国民の不安が増大するのも無理はない。
同じことが河野市町にも言える。昨年秋の市長選の最大の争点であった原子力問題について、市長は就任後1カ月を過ぎるとほとんど語らなくなった。市政だよりや当誌に寄せた年頭挨拶でも、市長は原子力船問題に一言も触れていない。佐世保の辻市長のように外に向かって次々と物議を醸す発言をするのではなく、市民的合意を作り上げるために納得のいく説明が必要であろう。四者協定の見直しと母港の存置を主張するならば、市民の不安を解消する努力がなされなければならない。原子力船はまだ実験段階であるのでやってみなければ分からない、あとは国まかせでは、これまで中央から虐げられてきた市民は納得しない。私は科学者じゃないから分かりませんでは、市政の責任者として無責任過ぎる。次の3つの基本的な疑問のいずれにも回答が得られない限り、母港存置に対する市民の不安は解消できないであろう。
まず第一に、原子力は石油に代わるエネルギーになり得るのだろうか。石油はあと30年で枯渇するかもしれないという。しかしウランが石油の取って代ったならば、世界のウランは10年を待たずして掘り尽くされる。それに日本のウランの埋蔵量は皆無に等しく、我が国のエネルギー危機の解決にはなり得ない。そしてこのことが一番の問題なのであるが、原子力はあまりに汚らしいエネルギー源であり、底知れない公害を撒き散らす。いったん地域が汚染されれば現代科学では原状復帰の方策はなく、半減期という膨大な時間が解決してくれるのを待つだけである。最後に、原子力発電所の建設には数千億円の巨費を要し、ある試算によれば1基の原発を作るのに必要なエネルギーは、その原発が完成後に作りだすエネルギーよりも多くを要するとある。こうなると原子炉はエネルギーを食いつぶして公害を作りだすものと考えざるを得なくなる。以上のことから、「石油の次は原子力の時代」という政府や事業団の掛け声が何となく白々しく聞こえる。
第二に、万一原子力船に放射能漏れ事故が起きた場合どうするかという対策が全くなく、市民が緊急事態発生時にどのような行動をとったら良いか示されていないことに不安がある。
第三に、使用済み核燃料と耐用年数の過ぎた原子炉をどのように処理するか明らかにされていないことである。
紙面の都合で第二、第三の問題については別の機会に詳しく展開するが、政府・事業団も、そして市長もこの3つの疑問について積極的に堪えていく姿勢を持つ必要がある。(むつ政経文科新聞 編集責任者 桝田礼三)