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豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

北里町内会の思い出

2024-12-25 23:28:54 | 昔話

12月25日(水)快晴

十和田市の北里町で1982年に内科医院を開業し、2000年に廃業するまで18年間、北里町内会の会長を務めた。150戸程の開発途上の分譲地で、インフラ皆無の地区だった。町内に2軒ヤクザの住む家があり、退去交渉に担ぎ出されたらしかった。町内に街灯、側溝、ゴミ箱を設置し終わるまで5年以上を要した。古紙・プラスチック容器・アルミ缶などを回収して資金をためて、集会所を建設するのに10年を要した。子供会を作って、入学おめでとう大会・ラジオ体操。度胸試し・盆踊り・BBQ大会などの諸行事を主宰。しかし20年間会長を務めると叙勲の対象となると聞いて、豪州に遁走した。

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「京都嫌い」

2023-11-23 21:37:21 | 昔話

11月23日(木)快晴

大学生時代に、オルグ活動のために京都に1年間住んだ。オルグとは、主に左派系団体が組織拡大のために、労働者・学生など大衆に対する宣伝・勧誘活動で構成員にしようとする行為。僕は左翼学生が時間やお金にルーズなことが嫌だった。加えて、京都出身者や在住者が天皇と同郷(=1000年の都)という奇妙な優越感をいだいていることに馴染めなかった。京都のオルグ活動は50年以上前のことだが、京都には思い出もある。しかし今回東京への往復でも、京都に立ち寄ることはなかった。

 

8つの故郷   

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医係家族

2023-10-11 16:46:03 | 昔話

10月11日(水)快晴

シーボルトの孫の楠本イネは医師を目指して、10代で単身宇和島、さらに岡山に移り住み、父の弟子たちに外科と産科を学んだ。異父兄弟もオランダやドイツで医師の道を歩んで、後に日本で一緒に働いた。僕の家も医係家族で、お盆に一族が集まると酒席でドイツ語、ラテン語が飛び交い、世界の医療情報や珍しい症例を語るなど、ミニ医学会の雰囲気があった。多くの一族が幼少のころ家を出て、学問の道を歩んだ。僕はわがままで協調性がなかったので11歳での上京を親が許さなかったが、12歳で故郷を去る許可を得た。東北本線で上野に向かう夜汽車の20時間、僕は興奮してほとんど眠れず窓外を眺め続けた。

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高校の入学式

2021-08-30 13:21:17 | 昔話
8月31日(火)曇
 
今年の高校クラス会幹事を初めて務めることになった。コロナ禍なので「グループLINE」を使用するリモートクラス会だ。早速Webで「グループLINE 」を検索して使用説明書を読んだが、日本語のIT用語を全く理解できない。過去20年以上の海外生活。その20年間にITが急速に発展して、多くのIT用語が作られチンプンカンプン。「幹事は無理だ」とあきらめて、高校時代のアルバムを眺めて善後策を練る。僕は1960年3月に東京都豊島区立駒込中学校を卒業し、4月に都立小石川高校に入学。2か月後に国会突入で初逮捕。写真の矢印が61年前の僕で、その前にいるのが亡妻。級友51名中9人が故人だ。
 
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お盆の帰省

2020-08-15 06:41:20 | 昔話
8月15日(土)快晴
 
半世紀前「医師免許を所持したら親の死に目には会えないと覚悟しろ」と訓示を受けた。両親の臨終に立ち会ったし、兄姉の葬儀にも参列した。しかし盆の墓参や親戚一同が顔を揃えて延々と続く飲み会は苦手。それでも従業員のためにお盆は休業。日本で僕は春秋冬に長期休暇を取って海外旅行へ。夏の休暇=お盆期間中は北海道ツーリングへ。
 
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ハタケシメジの栽培

2020-07-16 08:19:51 | 昔話
7月16日(木)快晴
 
27歳下北で自然農法に挑戦したが、作物が良く育たないのを見かねて、近所の馬喰(ばくろう)が畑に馬車3台分の馬肥(馬糞と敷藁)を鋤き込んでくれた。2年後に畑に大量のシメジが生えた。34歳十和田に自宅を新築する時に、家庭菜園に大量の馬肥を投入。以後20年間春と秋にシメジを収穫。シメジはマツタケより美味だ。
 
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生存のための学習

2019-02-27 14:29:14 | 昔話
2月27日(水)晴時々雨
 
僕が通った小学校では、勉強より健康、成績より家の手伝いを重視した。毎日2時間の「生活学習」があった。春は学校林の植林や潮干狩り、夏は海で水泳訓練や校庭の雑草取り、秋は薪運びと校舎の大掃除、冬はスキー訓練が行われた。春秋の遠足では食べられる野草や木の実を覚えた。先端を潰した五寸釘を使って教室の床や壁の傷んだ個所に杉皮を押し込んで隙間風を防いだ。子供たちも生きるのに必死だった。
 
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砂糖と防寒衣服の生産

2019-02-26 13:04:59 | 昔話
2月26日(火)雨
 
「米よこせ」デモを指揮した父は、青年たちを組織して地域政党「民生同志会」を結成。町長選、町会議員選に勝利。町では満州引揚者の受け入れを決定し、配給米は多少増えた。引揚者は旧海軍の官舎に住み、軍用地を開墾して サトウダイコン(砂糖大根)とブドウを植え付けた。羊とアンゴラ兎の飼育も奨励された。砂糖と防寒衣服の生産は失敗したが、我家には毎晩のように青年政治家たちが出入りしていた。
 
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芥川賞「選考人」の思い出

2019-01-22 13:25:22 | 昔話
1月22日(火)曇時々雨
 
僕は15歳から10年間、月刊総合同人誌の主幹を務め、自分でも政治論文や書評を書いた。同人に文芸春秋の社員がいて、彼の紹介で「選考人」の著名作家を紹介された。作家氏は高齢だが、講演と銀座のバー巡りに多忙を極め、最終選考の5~6作を読む気力もなかった。速読の僕が3日間くらいで各作品を読んで書評を書いてやった。その後の数年間、彼の(僕の書いた)書評が毎月同人誌に連載され、彼は同人誌へ高額の協力金を払ってくれた。
 
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速読と人生の賭け

2018-11-03 12:39:40 | 昔話
11月3日(土)快晴
 
生活のために短期間だけ麻雀をやった。麻雀は暗記のゲームだ。皆が牌(パイ)をかき回す2~3分の間に、僕は積まれた牌の半分以上を暗記できた。カードは麻雀より単純だ。海外のカジノ巡りをすれば大金持ちになれたろう。僕が賭けが好きだったなら。目立つことは自由を失うし、危険なことだ。用心棒たちににらまれない勝ち方も容易に考えることができた。だがそんな安易な生き方で人生を無駄にしたくはなかった。
 
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100周年記念硬貨

2017-10-01 15:57:41 | 昔話
10月1日(日)快晴
 
コンサートに行く時は、アーティストに敬意を払って正装して出かける。僕は襟付きのポロシャツに短パン、サンダルだが、他の観客と比較して見劣りした。女性はドレスを着たり、エルトンのトレードマークの赤いマフラーをしたり…。そしてシャンペンを飲みながら鑑賞する。ユミの赤ワインを買ったら釣銭にアンザック記念硬貨が混じっていた。アンザック同盟は第1次大戦の1914年から続く軍事同盟。財布を調べたら1902年の婦人参政権の記念硬貨もあった。

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クック船長の置き土産

2017-09-29 00:05:23 | 昔話
9月28日(木)快晴
 
豪州は歴史の浅い国だ。1770年にキャプテン・クックが豪州東海岸を北上したころ豪大陸には先住民しかいなかった。17年後の1787年に初代総督アーサー・フィリップがシドニーに上陸し植民地政策を開始。だからシドニーには開拓時代の遺跡が数多く残っている。ところが1969年ケアンズ沖でキャプテン・クックの碇と大砲が発見され、200㎞北の町クックタウンの博物館に収蔵された。山村のトルガには林業の博物館がある。ケアンズ博物館には目玉がない。

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新橋駅前SL広場

2017-07-09 00:58:28 | 昔話
7月9日(日)快晴
 
1872年に横浜ー新橋間に日本初の鉄道が開通。1972年にSLが設置される以前の広場は「新橋ステージ」と呼ばれ、街頭演説に利用されていた。14歳の時に中学の同級生と、憲法改正を叫ぶ右翼「日本愛国党」の赤尾敏の演説を聞きに行った。2人で「憲法を守れ!」とヤジっていると壇上の赤尾敏が「売国奴は日本から出て行け!」と僕たちを指さした。たちまち迷彩服を着た男たちに袋叩きにされ広場を追い出された。秋葉原の安倍さんの演説で思い出した。今夜は新橋泊の予定。

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地球を一周してケアンズへ

2016-07-01 09:05:21 | 昔話
7月1日(金)快晴
 
ケアンズに引越したのは2006年11月16日(真夏)。シドニーの家は売り払って住所不定。日本各地を巡り歩いた後、嫌がるユミも乗せてピースボートで地球一周。ケアンズに知人はゼロ、住む家も未定。以前3度来たことがあるが、いずれも真夏。5年間住んだシドニーの寒さに懲りていた僕には熱帯ケアンズは天国だった。年が明けて2007年の冬は寒かった。2000円の電気ストーブを3台買ったが、使ったのはその年だけ。

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ユミと僕のオーストラリア記念日

2016-06-30 08:46:06 | 昔話
 
6月30日(木)晴
 
1788年1月26日豪州初代提督アーサー・フィリップが率いる 英国からの最初の開拓団1350人が11隻の船に分乗してがシドニーに上陸。1月26日は国民の休日「オーストラリア記念日」だ。ユミと僕は2001年6月30日にシドニーに到着して、知人は誰1人いない豪州に住みついた。誰も祝ってくれないし、僕たちも祝ったことはない。その日はセントラル駅に隣接する4つ星ホテルに泊まったが、暖房がなくて寒くて参った。

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