豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

コロンブス海道を行く

2001-10-31 21:15:40 | 海外旅行
10月31日(水) 曇

世界の海で魚釣り

船が港に入ると観光そっちのけで釣りに興じている人たちがいます。ひょっとして漁師か魚屋さんですか?と尋ねたら理容師さんでした。ウクライナ人の船員で寄航時に上陸できない人たちも、大勢甲板に並んで釣りをしています。魚は船や流木の下に潜むことを好みます。意外に大物が釣れます。そして夕食のおかずとして食卓に上ります。

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コロンブス海道を行く

夕食はロシア人クルーやPBスタッフがハロウィーンの仮装をして、パンプキン・スープとパンプキン・パイも準備されていた。船はカナリー諸島から大西洋をアメリカ大陸に進んでいる。

今から500年前に、コロンブスはアメリカに4度の航海をしている。4度ともピースボートの今回の航海と同じ航路を通っている。

彼はイタリアのジェノバの出身である。彼は最初ポルトガルのジョアン2世に計画を持ちかけた。ヨーロッパはアラビア世界を経由しないでインドに行く道を探していた。ポルトガルは既にアフリカ南端を回るインド航路を見つけていた。彼は地球が丸いとする考えを信じて、大西洋を西に進んでインドや中国、ジパングに到着できると考えていた。彼は隣国のスペインに移り、イサベル、フェルナンド両国王を説得した。

1492年の最初の航海の概要は以下の通りである。

船はサンタマリア号、ピンタ号、ニーミャ号の3隻、乗組員は総勢90人である。

8月3日、スペインのパロスを出航、カナリア諸島へ向かう。ここで船の修理を済ませ、9月6日、カナリア諸島を出航。乗組員の反乱の危機を乗り越えて、10月12日、バハマ諸島、ワトリング島に到着。70日間の航海である。約1ヶ月間をここで過ごした後翌1493年1月4日、帰路につき、3月15日、パロスに入港した。これも70日間の航海だった。

オリビア号の大西洋横断は12日間だ。コロンブスの船は3本マストの帆船だった。

そして彼は1493年、第2回航海に出発する。17隻の船団に500人の大探検隊であった。

9月25日、カディスを出航し、11月28日、エスパニョラ島に到着した。63日間の航海である。

第3回は1498年、第4回は1502年から1504年。彼は最後までアメリカをインドだと信じていた。



読書「頭脳国家シンガポール」 田村慶子

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K男鼻軟骨骨折

2001-10-30 21:14:59 | Weblog
10月30日(火) 快晴

 ラスパルマス
   
アフリカのモロッコ沖にあるカナリー諸島はスペイン領。大西洋航海上の要衝であるとともに、ヨーロッパの避寒地です。中心都市のラスパルマスは人口70万人の大都会。

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    K男鼻軟骨骨折

昨夜、バスケットの練習中に鼻を骨折した患者が発生。手術が必要だ。帰港日前日であったのが不幸中の幸いだ。

Certificate

Patient Name: K S /M Date of Birth: 11/03/1975

Diagnosis: nose cartilage fracture

C/C: transformation of nose

Past medical history: n. p.

Present status: The patient crashed his nose by backetball game on 29/Oct.

7:00 ラスパルマス入港。カナリー諸島はかなり辺鄙な所と予想していたら、意外や意外、人口70万人の大都会だった。

2人の患者は別々の病院に行くことになった。C子の方は面倒がないというか、やるべきことが明確なのでCC(communication coordinater)の長谷川に付き添いを頼み、僕はK男に付き添うことにした。病院は8階建てで、設備も申し分なかった。しかし万事がラテン気質なのか時間に全くルーズだ。医者が来るまで2時間、レントゲン撮影まで2時間、2時間のシエスタをはさんで更に2時間、専門医の判断が必要とのことで3時間待たされた。

途中でネットカフェに行き、日本食堂で昼食後デパートで買い物をして、サッカー場を見学した。この付近の海ではマグロとタコが採れ、日本に輸出しているとのこと。中トロはうまかったが、タコ刺しは今いちだった。

19:00 やっとK男の入院が決まった。退院まで10日、ラグアイラで合流できるであろう。一方のC子は明日、日本に戻って手術となった。医療上の理由で下船させるのはこれで6人になる。うち2人はすでに船に復帰している。

24:00 ラスパルマス出航。



読書:「昆虫放談」 小山内龍

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平和憲法

2001-10-29 21:14:27 | Weblog
10月29日(月) 曇

カリスマ美容師大会

日ごろ腕に自信のある素人が乗船客をモデルにして、ヘアーデザイン・コンテストが行われました。最初はモデルのなり手がいなかったので、日本人船員が駆り出されました。本番ではヘアメイクだけではなく、メイクアップ、ドレスデザインの担当者も動員されて、美人コンテストコンってストさながらの盛り上がり振りでした。その手際の良さ、できばえの良さから、その後船内の美容室の客が減るほどでした。得られた教訓は、カリスマ美容師に資格は必要ないということでした。

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   平和憲法

ブッシュの顔色をうかがう小泉首相は憲法第9条の改正を含む戦争協力体制の構築を検討

中だ。年配の乗客の中には報復攻撃は当然だし、憲法改正もやむをえないとの意見も多い。オリビア号にはCC(cominucation coordinator),IS(international student)など20人以上の外国人が乗船している。「日本が世界に誇る平和憲法を放棄するなんて・・・」と彼らは一様に絶句する。

1949年、時の首相幣原喜重郎は占領軍のマッカーサーを訪ねて、平和憲法草案を説明して言った。「世界は我々が実際に即さぬ夢想家であると嘲り笑うでしょうが、100年後には我々は予言者と言われるようになるでしょう」人間は多くの場合、貧すれば鈍する。しかし死をも恐れぬ時に高潔な理念を信じることができる。むしろ飽食すれば、鈍する。欲に眼がくらんで人間の本源的な純粋さを失う。

子宮出血の患者が発生。子宮筋腫のようだ。明日ラスパルマスで、婦人科受診の必要がある。日本に戻って手術になる可能性が強い。

読書: 「生きている化石」 井尻正二、堀田進

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PB病

2001-10-28 21:13:55 | Weblog
10月28日(日) 曇


 ジブラルタル海峡を通過

朝8時、右舷にヨーロッパの街並みが見え、左舷にアフリカの島影が見え、オリビア号はあっさりとジブラルタル海峡を通過しました。何を期待していたわけでもないのですが、なんだか拍子抜けです。地中海を過ぎて、いよいよ大西洋です。夕方イルカの大群が歓迎してくれて、鮮やかな夕日に恵まれました。

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      PB病

8:00 ジブラルタル海峡を通過。右舷にヨーロッパの町並みが見え、左舷にアフリカの島影がかすかに見えた。船はあっけなく地中海から大西洋に抜け出た。イルカの大群の見送りがせめてもの慰めだった。

これから後ピースボートのテーマは多分、戦争から環境に変わるのであろう。

23:00 サダコ・ラウンジにてスタッフの飲み会。旅の前半の「しめ」ということか。ハイな人間が多いので5分で退席。こういうシーンは苦手だ。

昼間PBスタッフのS男が医務室にやって来た。業務に行き詰まり、気持ちがあせればあせるほど深みに落ち込んでいくと訴える。不眠と情緒不安定のため体重が5kg減少している。抗不安剤を処方したが薬物に頼りたくないと言う。うつ病の既往歴があるらしい。去年5回手首を切ったと恐ろしいことを言っている。まるで薬物を服用したスタッフのY子と同じじゃないか。点滴をすると5時間眠り込んだ。寄港地での上陸手続きの業務を担当していて、毎日3,4時間しか寝ていないらしい。

PB事務局に打診したら「スタッフには精神的に不安定な人が多いんですよ」との答え。各方面の情報を整理すると次のような理由が考えられる。

① もともと精神的に不安定な人が、世界1周で自信を得ようとして乗船する。

② 陸上生活で生きがいを見出せなかった若者がスタッフに応募し、能力以上に頑張る。

③ 賃労働と違ってボランティアなので任務の範囲が不明確で過労に陥る。

④ 講師、道先案内人、ジャーナリストなどと親しく接する機会があるので、無理に自己の精神レベルを高める傾向がある。

⑤ 一芸に秀でたスタッフとの対抗意識に日常的な緊張が強いられる。

⑥ 自己の業務を美化しすぎるあまり、思い通りに行かない時に自己嫌悪に陥る。

⑦ プライバシーがあまり保てない狭い船内で休息を取ることが、サボっていることだと思い込むなど、自意識が過剰になる。

PB病はどうやらスタッフに限らないようだ。 



読書「ユーゴスラビア現代史」 柴宣弘 

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日本人と宗教

2001-10-27 21:13:18 | Weblog
10月27日(土) 快晴

レアル広場

オープンテラスの並ぶレアル広場でワインを飲みながら、カルパッチョとパエリアの昼食。この街灯もガウディーがデザインしたものです。昼間はにぎわうこの広場も、夜は物騒なのでほとんど無人地帯になるとのことです。

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    日本人と宗教

日本人は仏教徒ではない。神道でもない。無神論者でもない。「神が存在しないことを証明しなければ、本当の無神論者ではない」との意見もある。

日本人は唯一絶対神を信じていない。多神教である。「日本人は無宗教という宗教を信じている」と言う人もいる。無宗教をも認める多神教であると言えよう。

日本人は農耕民だ。農耕民は定住し、団体生活を営み、共同作業をする。一歩下がった自己主張をし、集団の秩序を優先する。

日本の風土は、四季があり、季節に合わせて農耕を営む。自然の恵みと自然災害が隣り合わせで存在し、豊作と飢饉とを決定する。自然の多くのものへの祈願、感謝、畏怖が多神教と偶像崇拝を生み出す。

砂漠の遊牧民は唯一絶対神を信じ、農耕民は多神教に傾く。

農耕民は働けば働くほど収穫が増加する。遊牧民がすべては宿命と考えるのに対し、農耕民は努力が大切と考える。宿命は神が一方的に授けるものだが、努力は人間万能主義であり、精神主義である。話せば分かると、相手の立場を理解し、妥協する姿勢が生まれる。「相互認識」よりも曖昧なナアナア式の「相互理解」、感情主義に流れる。酒屋で意気投合したり、一宿一飯の恩義を忘れず、歓迎会で初対面の人間を理解したと誤解する。

日本人は異文化の理解が極めて下手だ。物事を感情的に認識し、事実を事実としてみることが苦手だ。イスラム文化に対しても、親イスラムか反イスラムかのいずれかに走る。

イザヤ・ペンダサンは言う。「日本人は日本教徒である」あんたにはそんなことは言われたくはない。「イスラエル人はユダヤ教徒である」の裏返しだが、ユダヤ人ではなくイスラエル人と言うのが奇妙だ。

ベネディクトは「菊と刀」で「日本人は唯一絶対神を持たない。罪の意識ではなく、世間に対する恥の意識を持つ」と言う。

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駆け足のバルセロナ

2001-10-26 21:12:41 | 海外旅行
10月26日(金) 快晴 

     サグラダ・ファミリア

バルセロナはスペインのカタルーニャ地方の中心都市。建築家のガウディーや、画家のピカソ、ミロ、ダリなどを輩出し、フランスやイタリアの影響を強く受けた独自の文化を持っています。
有名なサグラダ・ファミリアは今でも工事中。完成まで今後100年以上かかると言われています。急げば2,3年でできそうな感じもするのですが・・・。

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   駆け足のバルセロナ

スペインの国土は50万平方km。人口は3900万人。カタルーニャ地方の中心都市のバルセロナはスペイン第2の都市だ。首都マドリードを中心とする「カスティーリャ・スペイン」とは全く異なる歴史を歩んできた。あらゆる点で先進的で、国会をいち早く開き、民法、商法、航海法を制度化した。スペイン市民戦争では労働者勢力の市民軍の拠点になったが、政府軍に鎮圧され、その自治は1977年まで認められなかった。建築家ガウディー、巨匠ピカソやダリやミロなど多くの芸術家を輩出し、フランスやイタリアの影響を受け、コスモポリタンで独立精神の強い独自の文化を育んできた。

7:00 バルセロナ入港。接岸した世界貿易センタービルのすぐ前にコロンブスの銅像があった。渋佐、小幡と市内散策。ヨーロッパ随一という水族館見物の後レアル広場で昼食。ガウディーがデザインした街灯を見ながらワインとカルパッチョ、パエリアなどに舌鼓。サグラダ・ファミリアを眺めて、繁華街で買い物。19:00 一度港に戻る。渋佐と別れ、モンジュリのオリンピック競技施設を回り、カタルーニャ美術館で噴水ショウを見物。

24:00 バルセロナ出航。



読書「イスラムからの発想」 大島直政

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イスラム教の矛盾

2001-10-25 21:11:16 | Weblog
10月25日(木) 曇

    レストランのオープンテラス

田舎者の僕はワインもカクテルも飲みません。チーズも食べません。しかし、こんなおしゃれなレストランでビールはやっぱりまずいでしょう。赤ワインにブルーチーズを注文しましたが、あんなまずい物をよく平気で食べるものですね。

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イスラム教の矛盾

イスラム教は「宗教」ではなく「法律」である。従って「信仰」は「実行」になり、政教一致、聖俗一致として、国家体制から経済、文化、個人生活に至るまで拘束力を持つに至る。イスラム国家は憲法を持つことができない。イスラム聖法ですべてを裁く。たとえそれが時代遅れのものであっても、神の意思だから変えることはできない。イスラム教を放棄するか、トルコや旧イランのように世俗主義を選択しなければ、法治国家にはなれない。

イスラム国家と民主主義は両立しない。基本的人権も享受できない。一夫多妻や服装など女性は差別されているし、刑罰も公開鞭打ち刑や残酷な「同害報復(キサース)」などが残っている。無意味なあるいは時代にそぐわない禁忌が多すぎる。

経済は停滞し、不正はなくならない。役人は、「給料だけでは一族の面倒をみ切れない」と公然と賄賂を要求する。公私混同が悪であるという意識は希薄だ。何事も神の思し召しのまま」と怠ける人間はなくならない。1日5回の礼拝と1ヶ月の断食で工業が育たない。遊牧民思想から農業も育たない。「強い者が遊牧し、弱い者が耕す」と信じている。

政教一致の政体では、宗教は権力の支配の道具と化す。司法と立法が神学者の手に握られる。神学者は自分の都合のいいようにコーランを歪曲し、国家権力を自らのものとする。カダフィの緑の書もコーランの枠内での改革路線であり、民主主義や人道主義からはほど遠いものである。血族意識と宗派意識は、社会主義国における「マルクス・レーニン主義」、日本の「平和と民主主義」同様、イスラム世界の絶対原理である。

キリスト教、仏教が主として教義の分裂から政治的対立に発展したのに対して、イスラム教では政治的対立がもとで教団が分裂し、教義の対立に発展した。宗派間の対立は激しい。ナショナリズムが教義に優先し、大同団結はない。国内政治も、軍部や宗教勢力主流派による独裁で、基本的人権はない。血族優先は必ず腐敗を生む。「アラブの大義」も「汎イスラム主義」も専制政治の道具に過ぎない。イスラム世界は一枚岩ではない。アラブは対イスラエル戦で全敗だ。

マホメットはキリスト教を次のように批判した。「唯一絶対神が人間のように子供を持っているとは」と神とキリストと聖霊の三位一体説を攻撃した。中世カトリックは堕落し暗黒世界を築き、プロテスタントが改革ののろしを上げた。イスラム教はその教義上、改革が許されないであろう。絶えず保守派に揺り戻されて不安定な政治を歩むのであろう。また彼は「キリスト教世界には特権的な聖職者階級が存在し、人類の平等の原理に反する」と批判している。しかしイスラム世界の現状はマホメットを嘆かせるのに十分であろう。

マホメットはユダヤ教を批判して「形式主義者の集まりであれなら礼拝しない方がましだ」と言った。現代のイスラム教は行動的かもしれないが、形式主義でもある。

西洋合理主義は批判する。イスラム教徒には、異教徒と根本的に理解し会おうとする姿勢はない。彼らは物事の見方が極端に主観的で、すぐに感情的になる。プライドが強く、劣等感も強く、疑い深く、そねみやすい。都合の悪いことはすべて神に責任を押し付ける。

このことを理解しなければならない。イスラム教徒は、イスラム教的発想よりも遊牧民的発想が強いのだ。彼らは、社会体制としてのイスラム教から、個人信仰としてのイスラム教への脱皮をしなければならないのだ。

本当は神を切り捨てるのが好ましい。僕は今日髪を切った。船内の床屋を初めて利用した。



読書「バナナと日本人」 鶴見良行

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緑の書

2001-10-24 21:10:03 | Weblog
10月24日(水) 快晴

10月24日(水) 快晴

  シュノーケリング講習会

1ヵ月後には太平洋に入ります。南太平洋ではシュノーケルを使いこなせないと、珊瑚礁の熱帯魚と友達になれません。プールでは初心者のためのシュノーケリングの講習会が開けれています。でもね、浮き輪でシュノーケルは意味がないんじゃない

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緑の書

「議会は民主主義を歪曲するものである」とカダフィは言う。「人民の代表と言うのはありえない」と間接民主主義を否定する。それなら直接民主主義とは何かと言えば「いたるところに委員会、人民会議を」と述べ、「人民会議なくして民主主義はない」と断言する。そりゃ間接民主主義より直接民主主義のほうが優れていることは万人が認めますよ。だけど議決の具体的方法を示して下さらなければ・・・。

「習慣と宗教という2つの根源を離れて制定された法はすべて無効である」「法は制定されたり成文化されたりすべきではない」「自然法こそ理にかなう」つまりイスラム聖法で行くということだ。

カダフィは社会主義を標榜する。しかし衣料、食料、住居、乗り物だけは私的所有を認める。資本家は存在しないので、企業の賃労働者は共同参加者なのだそうだ。そして社会主義が発展すると、権力と富と武器が平等に配分され、最終的には利潤と貨幣が廃止されると説く。彼の緑の共産主義は楽観的に過ぎる。

歴史を動かす原動力は、社会的要因が政治的要因を凌ぐ。その主体である集団とは必ず民族的関係に根ざした恒常的なものである。従って、民族闘争こそ新の社会闘争であり、歴史を動かし、世界を変える力である。その主体たる集団は「血と出自」により連帯責任を負う運命共同体である。ゲエーッ!かなり怪しくなって来た。

「人類的連帯は国家と無縁であり、家族がその基本である」その連帯とは次の通りになるらしい。「家族―部族(大家族)―民族(国家)―大民族(世界)」結束力は左に行くほど濃密で、右に行くほど希薄になる。これは自然の摂理である。「民族は1つの宗教を持つべき」であるし、「結婚は同じ民族内で行われれば集団の結束は強まる」何じゃ、これは!

「男女は同権である」が、それぞれ役割がある。避妊はいけないし、子供は母乳で育てなければならない。託児所は原則禁止だ。

「教育、芸術、スポーツに文化革命が必要である」健康とリクリエーションの観点から見るスポーツではなく、参加するスポーツが奨励される。ボクシング、レスリングは禁止だ。

人類の文明は黄色人種から始まった。白人が次に世界を支配した。未来は黒人が統治する。ほんまかいな。

カダフィはかつて次のように言った。「コーランには、女性に対して自然な美しい部分を隠せとは規定されていない。だから、やがてリビアの女性たちは神が命じていない不自然な束縛から解放されるであろう」これだけでもよろしく頼みますよ、カダフィさん。トリポリの女性のほとんどはスカーフをかぶっていた。



読書「緑の書」 カダフィ

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カダフィと会見

2001-10-23 21:09:26 | 海外旅行
10月23日(火) 快晴 

 カダフィ大統領と会見  

アメリカに言わせると、かつてリビアのカダフィは、イランのホメイニ、イラクのフセインと並ぶ「ならず者」でした。今やオサマ・ビンラディンにスターダムの地位を追われた感がしないでもありません。事実近くで見ると彼は、「疲れたミック・ジャガー」という印象でした。ブッシュの脅迫外交に屈して、各国首相が次々と「新たな戦争」に賛同しています。質問に答えて「世界平和のためにアメリカは海外基地を撤去すべきだ」とカダフィが言うのを聞いて、僕は少しほっとしました。

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  カダフィと会見

多くの乗客は早朝からOT(オプショナルツアー)や自由行動で下船していた。カダフィと会見できるとの確実な情報が入ったのは11:00。ミュージック・サロンに11:45約50人が集合。OTのバスに連絡をして結局180人が会見に臨んだ。

カダフィは1971年、27歳のとき無血クーデターで政権を獲得したので、現在58歳か?

僕は1972年、27歳のとき無血クーデターでしらかばのすべての組織からから追放された。

15年前、彼はアメリカの爆撃で娘を殺された。その爆撃の跡も生々しい建物の前のテントから彼は登場した。後方では駱駝が数頭草を食んでいた。

街角で頻繁に見掛ける精悍な肖像と違って、彼は疲れた老人のように見えた。モスリムでは偶像崇拝は禁じられているはずだが、堅い話はまあいいか。彼は皺くちゃで、ミック・ジャガーか、千昌男か井上順に似ていた。彼はみんなに取り囲まれて、180人全員と握手をして、請われるままにサインをした。しかし1曲も歌わなかった。みんなが遠慮もなくサインをせがむ様は正直言って見苦しかった。僕の街に都晴美がやって来たときと変わりはない。はっきり言って。このファッショな人びとは、立場が異なるときっと報復爆撃を熱烈に支持するであろうと思われた。半年前、小泉や真紀子に握手とサインを求めて群がった日本人の姿がそこにあった。

新聞報道ではカダフィがアメリカのテロ報復攻撃を支持したとあった。しかし吉岡の質問に彼は苦しげに答えた。「外国に基地を保有しているアメリカに責任があるのだ」と。全世界の指導者たちがブッシュの脅迫に屈する中で、僕は彼の言葉に少しだけほっとした。

20:00 トリポリ出航。



読書「古代エジプト」 笈川博一

映画「アメリカン・ビューティー」

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イスラムの習慣

2001-10-22 21:08:48 | Weblog
10月22日(月) 快晴 

  水タバコ

リビアはこれまで観光客を排除してきました。だから首都トリポリにも観光ホテルや土産物店もありません。豚肉、飲酒、ポルノは固く禁じられています。人びとの楽しみはコーヒーと水タバコ。ものは試しと広場の水タバコ屋さんへ。水タバコは煙の刺激が少なくて、とても軽い味で、リンゴの香りがしました。タバコの種類によって色々の香りがするらしいのです。煙が水をくぐってくるので結構な肺活量を必要とします。1回の喫煙は30分くらい。コーヒーのサービスもあります。お猪口のようにちっぽけなカップに、甘くて濃いコーヒーが出されました。中に薬草らしい葉っぱが入っています。肺がんの予防効果でもあるのでしょう。

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イスラムの習慣

8:00 トリポリ入港。ユミにTEL。

午後、渋佐、小幡とトリポリ旧市街散策。日中は耐えがたい暑さだ。シエスタの習慣があるらしく昼時は街を歩いているのは日本人だけという状態だ。糖尿病者必殺コーヒー、アーモンド入りのハーブティー、水タバコ、夕食にはクスクス、駱駝肉の煮込みなど体に悪そうなものばかりを摂取した。ハーブティーと水タバコは代金を受け取らなかった。一方貴金属店では高い値段を吹っかけられた。旧市街を案内してくれた現地のおじさんは、僕と小幡が夫婦で渋佐は娘だと勘違いしていた。厳重に抗議して訂正させるのも面倒なので、誤解は誤解で放っておいた。彼は僕たちに1時間以上付き合って空いている食堂を捜しまわってくれたが、その謝礼は支払わなかった。

遊牧民の流れを引くイスラムの民は農耕民とは異なる発想を持つ。彼らは遊牧民の仁義として旅人を歓待する。これは神の喜ばれる行為なのだ。日本人はこんな場合に、世話になりっぱなしで申し訳ないとお礼のお金を差し出したりする。イスラム世界ではこれは相手に対する侮辱になる。そんな下心から親切にしたのではないと怒り出したりする。

イスラム世界には強い「血縁」意識がある。移動生活が基本の遊牧民は、農耕民の「地縁」意識とは無関係である。血縁意識が部族意識を形成し、政党となり、国家を支えていると考えてもいい。

彼らの血縁意識は生物学的な血縁関係を意味し、日本的な擬制的家族関係を意味しない。つまり夫婦は血縁関係にはないし、義理の両親とか兄弟とかは血縁者ではない。従って結婚とは契約であり、離婚の条件を取り決めた上で結婚する。正式の結婚儀式は、「婚約式―

契約式―結婚式」となる。キリスト教では、神に永遠の愛を誓って結婚する。日本では、世間に向かって夫婦関係の永続を誓う。イスラムでは、世の中のすべては神の意思の表れで、離婚さえも例外ではないと考える。

イスラムは定価のない世界である。相手によって売値に差をつけるのは当然であり、すべての人に同じ値段で売るのは血縁を無視した裏切り行為なのである。血縁者―友人―町内の者―よそ者の同胞―顔見知りの外国人―外国人。このように細やかな配慮を持って売値に差をつける商人こそ賞賛に値するのだ。



読書「東南アジアを知る」 鶴見良行

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イスラムの禁忌(ハタム

2001-10-21 21:08:02 | Weblog
10月21日(日) 曇

 老船オリビア

オリビア嬢も齢30歳です。遠目にはきれいですが、近くで見ると錆や傷が目立ちます。エンジンもたまに変な音を発してドキリとさせられます。来年3月にはドック入りの予定です。

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イスラムの禁忌(ハタム)

船内のあらゆる酒、ポルノ雑誌、豚肉が回収され、図書室に収納、施錠された。何故図書館かというと、日本ではなんでもない雑誌でもポルノにみなされることがあるからだ。図書室もバーも閉鎖、イスラムではばくちも禁じられているので、カジノも出航まで当然閉鎖される。

占いもいけない。男の女装、女の男装も禁止だ。姦通はいけないが、4人までの妻帯が認められている。これは未亡人を助けるためとか、貧しい家庭の娘を助けるためとか苦しい言い訳がされている。

コーランでは利子を禁じているが、それでは金融活動が麻痺する。「手数料」と言い換えて代用されている。

スンニー派では偶像が禁止されている。シーア派では聖職者の写真を掲げることは構わないが、アラーやマホメットの肖像はいけない。スンニー派の国でも、エジプトのナセル、リビアのカダフィの写真が掲げられているが、「愛国者の証明」であるとの妙な説明がされる。テレビ、ラジオも偶像にあたると原理主義者は主張し、放映を許可したサウジアラビアの国王は暗殺され、メッカが占拠され、鎮圧の際数千人の死者が出た。

死体は土葬でなければならない。ヒンズー教は火葬である。これが原因で、インドとパキスタンは分裂した。

火葬と並んで、解剖、臓器移植も死者への冒涜とされている。医療や医学教育に影響が出ている。

豚肉はもちろん禁忌、豚肉の抽出物も不浄なのだ。日本のインスタント・ラーメンや味の素が摘発される事件があちこちで起きている。しかしこれにはどうやら事件で一儲けをたくらむ仕掛け人がいるらしい。

豚以外の肉でも、病死や事故死や動物に襲われた肉は禁忌である。イスラム式のと殺では、

刃物で喉を掻き切って血を出した肉だけが清浄とされている。

飲酒禁止にも問題が多い。イスラム諸国では麻薬が酒に代用されているからだ。

政教分離を実現したトルコでは、憲法を制定し、イスラム聖法(シャーリア)を禁止している。一夫一婦制で、飲酒もポルノも利子も解禁している。しかし近年原理主義者たちが勢力を伸ばし、世俗主義に反対の声をあげている。アメリカやECのイスラム敵視政策が、十字軍遠征の古い歴史を呼び起こし、トルコ人の愛国心を逆撫でして、政教一致の復古主義に拍車をかけているように見える。



読書「アボリジニの国」中野不二男

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イスラムの「六信」と「五行」

2001-10-20 21:07:31 | Weblog
10月20日(土) 快晴 

  城塞都市

昔はヨーロッパでも中国でもそうだったんでしょうが、ドブロフニクの旧市街は城塞都市の面影をそのまま残しています。街は高い城壁に囲まれて徒歩2時間で1周できます。家の屋根は褐色の瓦で統一されています。道路は大理石でできています。ここには数万人が生活しています。実はここで、ヨーロッパ1美味との評判の牡蠣を、昨日数人の乗客が食べてきたそうです。レストランを何軒も訪ね歩きましたが、シーズン外れなのか牡蠣はやっていません。上から捜す方が確実かと城壁に昇ったのですが、結局幻の牡蠣に終わりました。

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      イスラムの「六信」と「五行」

信仰の対象は「六信」、つまり神、天使、聖典、預言者、来世、宿命である。

「神」:唯一絶対神のアラー

「天使」:人の右肩には善行を記す天使、左肩には悪行を記す天使がいる。従って左は不浄の手なのだ。

「聖典」:コーラン。モーゼの五書、ダビデの詩篇、イエスの福音書はコーランに次ぐ聖典。そしてマホメットの言葉の「伝承」は準聖典とされている。60万の伝承がある。

「預言者」:マホメットは最大にして最後の預言者。アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエスの5人の預言者は神の啓示を曲解した。

「来世」:すべての人間はこの世での行為によって、善人と悪人に分類され、天国か地獄に送られる。天国は緑なす木々に覆われ、果実は実もたわわに実り、清らかな川が数多くあり、心地よい風が絶えない。絶対に酔わない美酒と、至上の食べ物と、何度交わろうと永遠の処女だという天女を与えられて至福の暮らしを送ることができる。

ちなみにマリアの処女懐胎を認めている。

「宿命」:神が全知全能である以上、この世のすべての現象は神の意思の現れである。

信者の義務は「五行」つまり、信仰の告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼である。

「信仰の告白」:仏教の「南無阿弥陀仏」、キリスト教の「アーメン」と同じように、「アラーの他に神はなく、マホメットはアラーの使徒である」と唱える。

「礼拝(サラート、ナマズ)」:夜明け直前、正午過ぎ、午後、日没直後、就寝前の1日5回、メッカの方向に礼拝をする。礼拝の前には必ず身を清める。

「断食(ラマダーン)」:イスラム暦の9月、日の出から日没まで飲食禁止。日中のタバコ、性交も禁止だ。例外は病人、旅行者、戦場の兵士、妊婦、授乳中の女性。

「喜捨」:税金。

「巡礼」:アブラハムが建設したとされるメッカの神殿に、断食の2ヵ月後の犠牲祭の時に行く。

旧市街で買い物。単独行動。19:00 ドブロフニク出航。



読書「オーストラリア6000日」杉本良夫

映画「グラディエーター」

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イスラムの世界観

2001-10-19 21:06:46 | Weblog
10月19日(金)快晴
アドリア海

アドリア海クルーズで立ち寄った小さな港。よその国を堂々と批判できる立場ではありませんが、こんなに美しい国がどうして醜い戦争を繰り返すのでしょうか。
世界の火薬庫と呼ばれるバルカン半島は100年以上殺戮、暴行、略奪の連続です。
日本は憲法第9条の足かせで、半世紀以上も軍事的殺人を犯していないことを再認識すべきでしょう。

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   イスラムの世界観

イスラム教はユダヤ教、キリスト教と同じで、唯一絶対神を戴く聖典の民である。根底思想が「神との契約」にあり、「宗教」というより「法律」に近い。イスラム聖法は神の命令であり、絶対変えられないものである。

イスラム教は神が最初の人間を創ったとき、アダムに与えた。その後、人間が教えを曲解するたびに、神は新たなる者に啓示を与えて「預言者」とした。イスラムでは5大預言者とはアダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエスを指すが、マホメットは最大にして最後の預言者である。僕の認識では、キリスト教もイスラム教もユダヤ教から生まれたと思うのだが、違うらしい。モーゼもイエスも神の啓示を曲解したのだ。

マホメットは神ではなく預言者、つまり人間だ。彼は商人である。仏教、キリスト教は人間を内面から救おうとしたが、イスラム教は外面からも救う。コーランは宗教書と言うより、法律書に近い。「モーゼの五書」、「ダビデの詩篇」、「イエスの福音書」はコーランに次ぐイスラムの聖典である。少々迷惑、かなり勝手である。

同じイスラム教徒でも、遊牧民と農耕民と先進国とではかなりの違いが見受けられる。

オーストラリアにはイラン、イラク、インドネシア、パキスタンなどからの難民、移民のモスリムが沢山いる。しかしそれは個人の宗教であり、国がイスラム聖法を採用しているわけではない。服装、礼拝、禁忌は個々人が納得の範囲内で自由に選択している。スカーフをかぶって1日5回の礼拝を欠かさないモスリム女性でも、断食はやらず、酒と豚肉の食事をしていたりする。

インドネシアは農耕民である。イスラム聖法ではなく憲法を持つ。信教の自由も保障されている。5大宗教の中でイスラム教徒が圧倒的に多いが、厳しいことは苦手だ。敬虔なモスリムもだらしのないモスリムを非難しない。禁忌もあまり守っている風はない。

これが遊牧民となるとガラリと違う。イスラム聖法が国民のすべての生活を拘束する。すべてが命がけだ。国の運命さえ左右される。国王、大統領といえども油断できない。保守主義、原理主義が圧倒する。宗教は個人のものではなくなり、権力の支配の道具になっている。ヒンズー教もユダヤ教も同じだ。キリスト教だって、中世の暗黒時代には同じだったのだから偉そうなことは言えない。

小幡Nとアドリア海の島巡り。旧市街で夕食。



読書「島へゆく」 灰谷健次郎

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マスコミのセルビア悪玉キャンペーン     

2001-10-18 21:06:08 | Weblog
10月18日(木) 快晴 

     
 世界3大美港?

ここクロアチアのドブロフニクは世界3大美港の1つだそうです。それじゃ、残る2つの港は?と尋ねると次々名前があがります。シドニー、ナポリ、リオデジャネイロ、ストックホルム、モナコなど10ヶ所も。まあシドニーは間違いないですね。残る2つは人好き好きでいいんじゃないですか。それにしてもドブロフニクの旧市街はきれいですね。ユーゴの内戦でよく破壊されずに済んだものです。

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     マスコミのセルビア悪玉キャンペーン     

8:00 ドブロフニク入港。PB責任者の石丸は「ドブロクニクはシドニー、ナポリとともに世界3大美港の1つである」と言っていた。確かに美しいが、函館より下位かなと思う。気仙沼程度か。小幡Nと旧市街散策。城壁めぐりに1時間かかる。こちらの港はすばらしい。そこから船で20分のカブタートへ。観光シーズンが終わったばかりで人影がまばら、せかされることもなく、日の光も優しく感じられる。オープンテラスの昼食もなかなかだった。

市内には戦争の傷跡もなく、生活レベルもギリシャに遜色なさそうだ。人々は気品ある顔立ちをしている。しかし表情にはギリシャの明るさ、晴れやかさはない。クロアチアにはナチスの暗い影がある。

第2次世界大戦時、クロアチアはナチスと同盟して国内のユダヤ人、ジプシー、セルビア人を劣等民族として強制収容所に送り込み50万人以上を殺害した。

ユーゴ分裂後のクロアチア戦争、コソボ紛争などで、アメリカやECのセルビア叩きはあまりに一方的だ。セルビアを爆撃し、ミロシェビッチを人道の罪で逮捕し、国際法廷で裁こうとしている。

セルビアが民族浄化のためにクロアチア人やモスリムを強制収容所に放り込み、集団レイプを行ったとされる行為は、クロアチアとモスリム側でも行ったことである。

マスコミの偏向報道にも問題があると同時に、ユーゴの連邦制を解体し、民族浄化への道を開いた「民族自決」が果たして正しい方針なのか考え直す必要があろう。

ピレウスで下船した武花Nが夕方合流した。

  

読書「我利馬の船出」 灰谷健次郎

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5つの民族、6つの共和国

2001-10-17 21:05:29 | 海外旅行
10月17日(水) 曇

 こちらも工事中

停泊中、ウクライナ人の船員は仕事がなければ上陸できます。それは僕たち日本人の船員も同じです。
船の掃除やペンキ塗りは、船体内部は航海中毎日行われます。船体外部は停泊中でなければできません。2階建てのモノレールのような作業者に乗ってペンキ塗り作業中のウクライナ人。

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5つの民族、6つの共和国

ユーゴスラビアにはセルビア人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人、モンテネグロ人の5つの民族が住む。この他にモスリム人と呼ばれる人々もいる。

ここにはセルビア、クロアチア、スロベニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツゴビナの6つの共和国がある。その他にコソボとボイボディナの2自治区がある。セルビアはロシア正教、クロアチアとスロベニアはカトリックの国である。

ユーゴは長い間いろいろの国に分割支配されてきた。第1次世界大戦後の1918年ユーゴは統一国家を結成した。

1940年、第2次世界大戦の枢軸国のドイツ、イタリア、ルーマニア、ハンガリーはバルカン半島を分割支配した。クロアチアだけが独立国として存続したが、ドイツと結び、劣等民族とみなすユダヤ人狩り、ジプシー狩り、セルビア人狩りを行った。クロアチアの強制収容所で33万人のセルビア人が殺害されたと言われる。

後に統一ユーゴの大統領となるチトーが指導し、パルチザン闘争が開始された。反ナチスの統一戦線であるが内実は悲惨な兄弟殺しに血塗られていた。ソ連の支援を受けるセルビア民兵組織はクロアチア人、ムスリムを30万人殺害した。

1945年、第2次大戦終結後、クロアチア人とスロベニア人の両親を持つチトーの強力な指導でユーゴは非同盟中立の独自の社会主義路線のもと統一共和国を結成していた。しかし民族の融和は実現しなかった。

1990年、周囲の共産主義諸国が崩壊する中で、指導者チトーも死去すると民族の憎悪が再燃した。ソ連とチェコスロバキアの分裂も刺激材料となった。6つの共和国と2つの自治区の間に紛争が開始された。8つの地域には5つの民族がモザイク模様のように入り乱れて住んでいるので、どこに国境を設けても必ず紛争が起きる。それに宗教と過去の兄弟殺しの記憶が絡んで深刻な内戦が続いた。

カトリックのクロアチアをイタリアとドイツが支援し、ロシア正教のセルビアをロシアが支援し、イスラム諸国がモスリムを支援する代理戦争の様相もある。民族浄化の強制収容所や異教徒女性への集団レイプ事件など事態は悲惨だ。NATO軍の駐留で小康状態をかろうじて保っているが欧州の火薬庫はいつ爆発するか分からない。

夕食はフォーマル・ディナー。



映画「パーフェクト・ストーム」

読書「合津藩日新館と白虎隊」早乙女貢

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