10月31日(水) 曇
世界の海で魚釣り
船が港に入ると観光そっちのけで釣りに興じている人たちがいます。ひょっとして漁師か魚屋さんですか?と尋ねたら理容師さんでした。ウクライナ人の船員で寄航時に上陸できない人たちも、大勢甲板に並んで釣りをしています。魚は船や流木の下に潜むことを好みます。意外に大物が釣れます。そして夕食のおかずとして食卓に上ります。
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コロンブス海道を行く
夕食はロシア人クルーやPBスタッフがハロウィーンの仮装をして、パンプキン・スープとパンプキン・パイも準備されていた。船はカナリー諸島から大西洋をアメリカ大陸に進んでいる。
今から500年前に、コロンブスはアメリカに4度の航海をしている。4度ともピースボートの今回の航海と同じ航路を通っている。
彼はイタリアのジェノバの出身である。彼は最初ポルトガルのジョアン2世に計画を持ちかけた。ヨーロッパはアラビア世界を経由しないでインドに行く道を探していた。ポルトガルは既にアフリカ南端を回るインド航路を見つけていた。彼は地球が丸いとする考えを信じて、大西洋を西に進んでインドや中国、ジパングに到着できると考えていた。彼は隣国のスペインに移り、イサベル、フェルナンド両国王を説得した。
1492年の最初の航海の概要は以下の通りである。
船はサンタマリア号、ピンタ号、ニーミャ号の3隻、乗組員は総勢90人である。
8月3日、スペインのパロスを出航、カナリア諸島へ向かう。ここで船の修理を済ませ、9月6日、カナリア諸島を出航。乗組員の反乱の危機を乗り越えて、10月12日、バハマ諸島、ワトリング島に到着。70日間の航海である。約1ヶ月間をここで過ごした後翌1493年1月4日、帰路につき、3月15日、パロスに入港した。これも70日間の航海だった。
オリビア号の大西洋横断は12日間だ。コロンブスの船は3本マストの帆船だった。
そして彼は1493年、第2回航海に出発する。17隻の船団に500人の大探検隊であった。
9月25日、カディスを出航し、11月28日、エスパニョラ島に到着した。63日間の航海である。
第3回は1498年、第4回は1502年から1504年。彼は最後までアメリカをインドだと信じていた。
読書「頭脳国家シンガポール」 田村慶子
世界の海で魚釣り
船が港に入ると観光そっちのけで釣りに興じている人たちがいます。ひょっとして漁師か魚屋さんですか?と尋ねたら理容師さんでした。ウクライナ人の船員で寄航時に上陸できない人たちも、大勢甲板に並んで釣りをしています。魚は船や流木の下に潜むことを好みます。意外に大物が釣れます。そして夕食のおかずとして食卓に上ります。
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コロンブス海道を行く
夕食はロシア人クルーやPBスタッフがハロウィーンの仮装をして、パンプキン・スープとパンプキン・パイも準備されていた。船はカナリー諸島から大西洋をアメリカ大陸に進んでいる。
今から500年前に、コロンブスはアメリカに4度の航海をしている。4度ともピースボートの今回の航海と同じ航路を通っている。
彼はイタリアのジェノバの出身である。彼は最初ポルトガルのジョアン2世に計画を持ちかけた。ヨーロッパはアラビア世界を経由しないでインドに行く道を探していた。ポルトガルは既にアフリカ南端を回るインド航路を見つけていた。彼は地球が丸いとする考えを信じて、大西洋を西に進んでインドや中国、ジパングに到着できると考えていた。彼は隣国のスペインに移り、イサベル、フェルナンド両国王を説得した。
1492年の最初の航海の概要は以下の通りである。
船はサンタマリア号、ピンタ号、ニーミャ号の3隻、乗組員は総勢90人である。
8月3日、スペインのパロスを出航、カナリア諸島へ向かう。ここで船の修理を済ませ、9月6日、カナリア諸島を出航。乗組員の反乱の危機を乗り越えて、10月12日、バハマ諸島、ワトリング島に到着。70日間の航海である。約1ヶ月間をここで過ごした後翌1493年1月4日、帰路につき、3月15日、パロスに入港した。これも70日間の航海だった。
オリビア号の大西洋横断は12日間だ。コロンブスの船は3本マストの帆船だった。
そして彼は1493年、第2回航海に出発する。17隻の船団に500人の大探検隊であった。
9月25日、カディスを出航し、11月28日、エスパニョラ島に到着した。63日間の航海である。
第3回は1498年、第4回は1502年から1504年。彼は最後までアメリカをインドだと信じていた。
読書「頭脳国家シンガポール」 田村慶子