豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

乗れぬ人、降りれぬ人

2001-12-16 22:23:03 | Weblog
12月16日(日) 曇時々雨

 台風一過

6:00amにポナペ到着の予定でした。しかし台風の影響で海は大荒れで、5:30pmにポナペ沖に投錨。ここは日没後の船の出入りが禁じられているために、双眼鏡で島を眺めるしかありません。昼間のシケが嘘のように波は静かになり、美しい夕焼けを見ることができました。それでも、最後の寄港地に上陸できなくて残念と、ため息が甲板にあふれていました。

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    乗れぬ人、降りれぬ人

8:00ミクロネシアのポンペイに入港の予定が、台風の影響で大幅に遅れて17:30ポンペイ沖に到着。6人の下船と2人の乗船が予定されていたが、接岸もテンダーボートでの上下船も不能と判断して、19:00進路を神戸に向けて発進。日本から4日をかけてポンペイに来ていた水先案内人2人は更に3日ほどかけて空路帰国することになろう。往復とも交通費や宿泊費など、一切合財が自分持ちだ。ポンペイは人口11万人で、めぼしい観光資源もない。メインストリートも日本の田舎村並だという。

下船を予定していた陶芸家夫婦は、船酔いに耐えながら生徒の作品を大切に荷造りして待ち構えていたが、更に1週間の悪夢が続く。陶芸教室を再開することも可能だが、今はロクロを見るのも厭だろう。

JGスタッフのH男も窮地に陥っている。彼はサラ金に300万円の借金があり、精神病院に潜伏後オリビア号に乗って日本脱出を図った。12月23日に晴海に戻ると、2日後の12月25日には次のクルーズに出航の目論見だった。しかし敵もさる者で、居場所を突き止めると船に無線電話を何度もかけてよこして、清算のため1週間下船を早めなければならなかった。彼はまた1週間無線電話攻勢にさらされた挙句に、次のクルーズに乗船の予定も変更せざるを得なくなった。住む家も冬服も金もない彼は、29年の生涯で最悪の大晦日を迎えそうだ。

乗客のB子、32歳の看護婦だ。連日ミュージカルの稽古で汗をかいたのが原因なのか、1週間前から全身に湿疹ができて受診した。3,4回受診してよくならないので、ポンペイで下船して空路帰国し日本の皮膚科に入院をするそうだ。熱帯医学上重大な病気である可能性もあるので、航空運賃を支払って付き添いもつけろと要求していた。医務室やPB事務局で連日何時間も駄々っ子ぶりを発揮していたが、振り上げたコブシのやり所に困るであろう。



読書:「地方分権事始め」 田島義介

映画:「陽のあたる教室」

コメント
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