豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

時空の旅人

1992-09-23 00:09:29 | 日本国内旅行
9月23日(水)

4日間の関西旅行を終え、十和田に戻った。ユミの勤務するNTTは休暇を自由に取れるが、自営業の僕は長期の休暇は難しい。しかし来年からは春夏秋冬の年4回は休暇を取り、2回の海外旅行と2回の国内旅行に振り向ける方針を決定した。自動車と空路の旅行だから「自空の旅人」かな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸異人館

1992-09-22 00:05:54 | 日本国内旅行
9月22日(火)

スポーツ医学講習会は退屈極まりなかった。大阪での用件がすべて終了したので神戸に移動。三宮の繁華街、異人街、ポートアイランド、六甲山を見物し、中華街で食事。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴海龍五郎

1992-09-21 21:44:07 | Weblog

鳴海龍五郎


23年振りに鳴海龍五郎に再会した。彼は既に70歳を過ぎているだろう。現在は大阪ミナミで小さなタコ焼き屋を開いて生計を立てていた。「鳴海のおっちゃん、23年前には悪いことをしちゃったね」 「お客さん、あんた誰や?」「伊藤聡」「そんな人間、わいは知らん」彼は私に背を向けた。既に組織から足を洗った様子だ。「金さん兄弟に同情して組を襲撃したのはわいやで。何ならこの店またやったろか?」「ほう、確か金田国男はんちゅう名前やったね」彼は私の顔を初めて見つめた。「どうしてボクの名前を知っているんや?ロッキ-ドの児玉さんか、太刀川さんからの情報かい?」 「ええって、そんなこと。今更何とも思ってへん」「ほんなら、ごっつう、うまいもん食わして」 「了解、了解」彼の作ったタコ焼きはまずくて食べられるものではなかった。多分わざとまずく作ったのだろう。手近に毒があれば、多分私に毒を盛っていただろう。「鳴海のおっちゃん、借りた金は利息をつけて返してやるで」と私は下手な関西弁の捨てゼリフを吐くと、2000万円入りのボストンバッグ1つを残して店を出た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユミの初めての関西旅行

1992-09-20 00:00:14 | 日本国内旅行
9月20日(日)

ユミと大阪へ飛んだ。目的はスポーツ医学講習会の参加と、昔東京で叩き潰したはずの暴力団員が最近神戸でまた友人に迷惑をかけていると聞き、平和的に解決するためだ。ユミは初めての大阪・神戸を大いに楽しみにしている。食べ過ぎないように注意が必要だ。今夜は梅田を食べ歩いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手作りの食器棚

1992-09-15 23:56:20 | 住まい
9月15日(火)

僕は子供の頃から手先が器用で木工もお手の物だ。ユミに季節の料理を作ってやるために、沢山の和食器を購入した。それを収納する棚を台所に作った。ユミと僕は2基ずつスキーを持っている。ガレージにもスキーとスキー靴の収納庫を作った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボリショイの痩せ熊

1992-09-13 23:53:54 | 教養?
9月13日(日)快晴

八戸で開催中のボリショイサーカスの見物。ソ連が崩壊して9ヶ月、国家芸術とも言えるボリショイサーカスが日本の田舎街までやって来るのだ。開場前から団員たちは呼び込みや、プログラムとおみやげ販売に忙しそうだ。呼び物の熊のサーカスの熊たちはげっそりと痩せて見えた。ロシア製ポラロイド・カメラもピンボケだし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする