豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

ボンボヤージュ・オリビア

2002-08-31 22:13:26 | 海外旅行
8月31日((土)快晴

  ボンボヤージュ・オリビア

笠井と有楽町で会い、ひな寿司で昼食後、晴海のオリビア号を案内。JGの高田と面談後、Dr宮崎、N志村に申し送り。20:00新宿でN小幡と会食。
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サンクス・みなさん

2002-08-30 22:11:12 | Weblog
8月30日(金)晴

   サンクス・みなさん

16:00晴海入港の予定。クルーズ中お世話になった方々。
水先案内人
    ①反骨のルポライター鎌田慧さん
    ②八弦変化のギタリスト小林隆平さん
    ③貧乏神との共同作業で芸術の真髄を追い続けるカジポン
    ④北海のサッカーフリーク金丸知好さん
    ⑤ハングルでも手話でも落語をやる古今亭菊千代師匠。女性ですよ。
    ⑥練習熱心なお笑いの福島カツシゲさん

特に魅力的なスタッフ
    ①船上のスタイリスト徳本博充さん。あなたがいないと船は動きません。
    ②クールなクルーズダイレクター中原大弍君。
    ③マジですか?と訊きたくなる野平一家
    ④ミュージカルのハンチュソンさん
    ⑤ダンスの上手な佐竹理加さん
    ⑥肝っ玉姉ちゃんの関口果波さん
    ⑦健康優良児の小笠原里衣さん
    ⑧知的な美人の井上薫さん
N志村。未知数:ピースボートで世界1周し、南北朝鮮にも行くと人間が一回り大きくなる。彼女がネパール、キリバス、新島で医療活動に従事したことを僕は評価している。次の航海は困難が多いがそれを乗り越えれば、きっと魅力的な女の仲間入りの手がかりをつかむ。
クールな女とは、船が港に着いた時一人でさっそうとギャグウエイを降りていく女だ。

読書:「誤報」後藤文康
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何か文句がありますか?

2002-08-29 22:10:36 | Weblog
8月29日(木)晴 

      何か文句がありますか?

昨夜ユミから長い電話があった。船の電話は人工衛星を利用していて通話料は10分間5000円だ。1ヶ月35万円の給料をもらっているが電話代で半分くらい消える。専門外の患者について東京に問い合わせたりもするからだ。それはともかく、9月14日にシドニーに戻ることにした。4年間オーストラリアには戻らない方針だったが、ユミの魅力に屈服したと言っておこう。実は彼女が冷たくなったのではなくて、「もう10年間も一緒にいたから別れる潮時だ」と僕のほうから彼女が怒るように仕向けていたのだ。年齢の違いすぎる恋は不幸だ。1年で別れる約束が10年も続いた。僕は果報者だが、ユミは気付いたら中年になっていたことになりかねない。格好悪いが、不本意ながらももうしばらく一緒に暮らす。僕とユミは仲が良すぎる。気が合いすぎる。反省が必要だ。
な、なんと、こんなものじゃ許してもらえない?だから繰り返し言ったでしょう。教育の目的は、知識を詰め込むことではなくて、方法論を学ぶことだと。一人で生きて行ける人間を作ることだって。ピースボートは教育の船です。外見だけ言えば、寄港地で日本人が群れて歩き回るのは見苦しい。ユミはもう外国で1人で行動できるのです。日本で10年間働いて、今オーストラリアで学生稼業です。そんじょそこらの女とは違います。友情や愛情に寄りかかって生きる人間はだめですよ。

読書:「ジャーナリズムの思想」原寿雄

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PBもアナーキストの仲間入り?

2002-08-28 22:10:03 | Weblog
8月28日(水)曇 

   PBもアナーキストの仲間入り?

国後島上陸は天候にも恵まれて事故もなく終了した。海が荒れれば政府は「神風が吹いた」と喜んだであろう。国後沖まで行っても上陸が果たせなければケンカにもならない。乗客からは「金を返せ」という要求も出されるだろう。さて日本ではサンケイ新聞が第1面のトップ記事でピースボート批判の記事を載せた。「領土問題に汚点」、「ピースボートの愚行」、「秘境ツアーの商業主義」などと言を極めている。国会議員の舛添要一も「非合法性はないとしても世論の圧力が必要」などと寝ぼけたことを言っている。明後日は晴海に右翼の街宣車のお迎えもあるかもしれない。
日本政府は北方4島は日本固有の領土でロシアが不法占拠していると主張している。僕は、北方4島はアイヌのもので、日本やロシアが不法占拠してきたと考えている。それはさて置いて、日本政府は日本の主権を主張し旧島民への人道的配慮から「ビザなし渡航」で墓参を続けてきたと言う。ピースボートもビザなし渡航だ。サハリン州政府の許可を得たのがロシアの主権を認めたとの口実を与えると言うが、日本政府がサハリンに総領事館を設置したことに比べるとまるで問題にならないことだ。「アメリカ政府も北方4島は日本領だと認めている」と言うが、昨日オリビア号の隣にワールド・ディスカバラー号という名のアメリカのクルーズ船が泊まっていた。このアメリカ船はロシア政府のビザをもらっているはずだ。ロシアが実効支配しているのは事実だから、ロシア側の了解なしには平和的な上陸は不可能だ。日本政府の外交音痴はお墨付きだ。国際交流の下手な日本人の代表選手だ。「素人には外交の難しさは分からん」みたいなことを言って、細かな作法で表面を繕って、裏で汚い利権を漁る行為を恥じるべきだ。外務省の本音は大勢の日本人が現地に行って、ムネオハウスや希望号や友好号の実態を見られることを嫌っているだけじゃないのか?

読書:「ことばと国家」田中克彦

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希望と友好

2002-08-27 22:07:12 | Weblog
8月27日(火)晴のち曇 

  希望と友好

9:00国後沖に投錨。海はべたなぎだ。国後島には日本から贈られた「希望号」と「友好号」という名の2隻のはしけがある。11:00から2隻のはしけに100人くらいずつ乗って上陸を開始。15:00には上陸予定者は全員無事に国後島に渡った。JGスタッフは居残り組。国土交通省からJGスタッフが国後に上陸したら旅行業者の免許を取り消すとの警告を受けているからだ。

第38回夏休みピースボートの船旅参加の皆様へ
今回のクルーズで国際交流NGOピースボートが準備、手配しております国後島でのプログラムは当社株式会社座パングレースの主催旅行の行程には入っておりません。また、外務省からピースボートに対しては国後島への渡航を自粛するよう要請もされております。このような状況をご理解いただいた上、参加者の皆様におかれましては、外務省よりピースボートに送られてまいりました1991年度の閣議了解の内容をご確認いただき、上記プログラムへの参加を自由意志にてご決定ください。
             平成14年8月26日
                     株式会社ジャパングレース
                       代表取締役社長 延原和正



読書:「名前と人間」田中克彦

映画:「メメント」

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サハリンの飽食

2002-08-26 22:05:48 | 海外旅行
8月26日(月)快晴

    サハリンの飽食

10:00からN志村とコルサコフの市内を歩き回り、アルファホテルという真新しい建物を見つけた。水先案内人の小倉の太鼓グループ「巴組」の2人とホテルのレストランで昼食。ここでも英語は通じないし、メニューはロシア語。それでも当地の名物のイクラ、カニ、甘エビなどの料理をたらふく食べることができた。代金は4人で7,600円。

18:00コルサコフ出港。

.............................................................................................

黒田義久 在ユジノサハリンスク日本総領事 殿

われわれ第38回ピースボート(在日朝鮮・韓国人、ドイツ人、イギリス人を含む、参加者及びスタッフ計539人)は、市民相互の有効を深めるために、2002年8月15日に神戸港を出港し、本日8月25日、サハリンに到着しました。この一連の訪問は、南北コリア政府、ロシア政府の了解のもとに行われ、また日本外務省からも、法律には何ら反するものではないとの確認を繰り返し受けております。それにもかかわらず、貴殿がロシア政府、サハリン州政府及び関係機関に対して、われわれの国後島上陸の拒否を再三に渡り要請していることが伝えられております。
以上の点に鑑み、取り急ぎ以下の点につき改めて確認を求めます。
   1、今後の国後島への渡航は日本国の法律に全く反しないものであること。
   2、この語の国後島への渡航はロシア国及びサハリン州政府の法律に全く反しないものであること。
   3、今後の国後島への渡航は、国際法及び国際習慣法に認められたものであること。
以上につき、再度の確認を求めるとともに、日本国民が大半であるピースボート参加者及びスタッフに対して、在外邦人保護を任務とする領事である貴殿が行っている一連の措置に対して強く抗議し、われわれピースボート一行の国後島訪問について、速やかに保護扶助が提供されることを申し入れます。
             2002年8月25日
                 ピースボート共同代表  吉岡達也
                 住所 東京都新宿区高田馬場3-14-3
                 現連絡先 サハリン州コルサコフ北港
                    M/V OLVIA内 ピースボート事務局

読書:「記号論への招待」池上嘉彦                    

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ヒコクミン

2002-08-25 22:04:09 | Weblog
8月25日(日)雨 

  ヒコクミン

北方領土「ピースボート上陸させないで」外務省、ロシアに要請
在サハリン日本総領事館の代表がロシア外務省に対し、市民団体ピースボートの訪問団(吉岡達也団長)527人を北方領土に上陸させないように要請していたことが分かった。日本の外務省は「両国政府の合意による渡航の枠組みが否定されるため」と説明しているが、ピースボート側は24日夜、記者会見し、「法的にも問題のない民間交流活動への圧力だ」と批判した。
ロシア側への要請は、吉岡団長が同日午後、日本総領事館の幹部に電話で確認した。訪問団は27日、国後島に上陸し、地元住民らと交流する予定だが、外務省筋によると、総領事館の代表が23日ごろ、ロシア外務省サハリン代表部と現地の国境警備隊を訪れ、上陸を認めないように求めたという。ピースボートの中原大弍・共同代表らは「固有の領土に日本の市民が行くのがなぜいけないのか。外務省も違法ではないとしていた。ロシアに入国拒否を求めること自体、ロシアの実効支配を認めることになる」と批判した。(朝日新聞、2002年8月25日)

12:00コルサコフ入港。入国手続き、検疫検査は2時間で思ったよりは簡単に済んだ。16:00からN志村と市内見物に出かけた。ほとんどの建造物が20年以上昔に建てられたものだ。戦前日本人が住んでいた木造住宅が廃屋となって市内のあちこちに打ち捨てられている。交通手段が貧弱で、観光案内所もなければ、公衆便所もない。看板はロシア語だけだし、英語も通じない。観光上見るべきものはほとんどなく、市場も商品が少なく買い物も魅力はない。

読書:「韓国言語風景」渡辺吉熔
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人間、この非人間的なもの

2002-08-24 22:03:38 | Weblog
8月24日(土)曇 

人間、この非人間的なもの

...................................................................

我が国国民の北方領土入域問題について                       平成元年9月19日
                   閣議了解
戦後40年以上を経た今日も我が国固有の領土である北方領土のソ連による不法占拠が継続しており、政府は、国民の総意及び国会の関係諸決議に基樹北方領土返還を実現するための交渉を行っている。
このような状況の下で、最近一部の我が国国民がソ連当局の査証の発給を受けて北方領土に入域するという事例が見られたが、我が国国民がソ連の入国手続きに従うことを始めとしてソ連の不法占拠の下で北方領土に入域することは、我が国固有の領土たる北方領土に関する国民の総意及びそれに基づく政府の政策と相いれないものである。このことについて、我が国の多数の遺族が過去10年間にもわたり人道上の問題である北方領土墓参の中断を余儀なくされたことが想起されるべきである。以上にかんがみ、政府は、国民に対し、北方領土問題の解決するまでの間、このような北方領土への入域を行わないよう養成することとする。


読書:「人間、この非人間的なもの」なだいなだ

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ゼンタイススメ!

2002-08-23 22:02:06 | Weblog
8月23日(金)曇時々雨 

   ゼンタイススメ!

..................................

北方領土問題に対する無知と無謀              ノンフィクション作家 上坂冬子

   とんでもない事実に仰天

旧樺太・豊原で行われたサハリン・フォーラムに参加した。同道は安全保障問題研究会の佐瀬昌盛会長をはじめ木村汎、袴田茂樹両座長ら15名である。このメンバーに素人の私が加わるのは不釣合いだが、3月に沖縄で行われたフォーラムにも参加してロシア側とも顔なじみになっていたし、私なりに北方領土問題に関心を持つ立場として出かけていった。
だが現地に到着するやいなや、とんでもない事実を知らされたのである。
「ピースボートという組織の客船が570名もの人々を乗せて、日本の敗戦57年目の8月15日に神戸の港を出発し、韓国と北朝鮮に寄ったあとサハリンを経て北方領土の国後島を訪問する」という。一向はいわゆるムネオハウスなどを見学したあと、一部の人が島に泊まるとも書いてあった(ソビエト・サハリン紙)
この記事に私が仰天したのは、私自身が6月に国後島を訪問して、日本人が日本領のはずのこの島に渡るのに、いかに複雑な手続きを経なければならないかを経験済みだったからだ。あらためて渡航目的を説き、北方領土問題対策協会の推薦を得てやっと許可を取り付けたのは出発の前日で肝を冷やしたが、いま北方領土にいくにはこの方法しかない。
   後ろめたさ感じるロシア
そもそも戦争終結から3日も経過した1945年8月17日からロシア軍(旧ソ連)が日本軍に向かって攻撃を開始したことだけでも不法きわまりないが、その結果、日本の住民を追い出して半世紀にわたってロシアの住民が4島に住みついているのは、言語道断である。日本のみならずアメリカさえ北方領土は日本の領土だと認めているから、ロシア側も領土について「露日間の未解決の問題」として、後ろめたさを感じているはずだ。
だからこそ11年前から、しかるべく手続きをすませた日本人にかぎりビザ(入国許可証)なしで北方領土に渡ることができるようになったのである。北方領土は日本のものだと主張する日本に対して、ロシア側がそれなりに妥協したといえるだろう。
以来、かつて4島に住んでいた日本人を中心として、現在あの島に住んでいるロシア人との間でなごやかな交流が保たれてきた。この流れを突然ブチ壊すように、北朝鮮の帰りに日本国内の手続きを無視してロシアの了解のもとに国後島に立ち寄る計画は、あの島を日本の領土ではないと判断したことになる。
ロシアのイタル・タス通信の特派員がピースボートの代表に質問したところ「我々は民間組織で国家の資金援助も受けていないから、政府が圧力をかけてきても無駄だ」と答えたという。
   領土問題と船舶法は無関係
今回のサハリン・フォーラムで、日本側は初日からこれをテーマとして大きく取り上げた。しかしロシア側は、外国船は48時間以内なら領海内に踏みとどまることができるし、8時間以内なら上陸も認められるはずだと、もっぱら船舶法を盾に不法ではないと主張したのである。この問題は船舶法とは無関係の領土問題だということを知らぬはずはない専門家が、である。両国間で未解決の領土問題をかかえた他に、自ら無法者であることを名乗ったかのような日本の客船の注文を聞き入れて上陸させたのがモスクワの判断ならば、これは新たな国際問題の火種となろう。
或いはサハリン州が領土問題を無視して独断で上陸を許したならば、これを気に日本としてはサハリン州に対する態度を一変せざるを得まい。同時にロシアの国内問題としてサハリン州は、領土問題の存在を認めているプーチン政権への反体制として烙印を押されることになる。
もちろん日本側にも手落ちはあった。一方であれほど厳密にビザなし渡航の手続きを整備しているのだから、これを無視してロシアの許可のみを優先した旅行計画をチェックできなかったはずはなかろう。旅行を計画した相手の無法ぶりに万策つきて黙認せざるを得なかったというなら、再発防止策が急務となる。
ソビエト・サハリン紙によれば、ピースボートがサハリン・コルサコフに入港するのは8月25日で、26日に国後島に向かう予定とのことだ。すべてが計画通り実行されたならば、北方領土をロシア領と認めて日本政府の方針を無視した無政府主義者たちは、帰国後にパスポート没収の罪を受けて当然である。   (かみさか ふゆこ)サンケイ新聞

読書:「レジスタンスをしたのだ」なだいなだ
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 プサンの飽食

2002-08-22 22:00:14 | 海外旅行
8月22日(木)快晴 

   プサンの飽食

午前中N志村とプサンタワーに上った後、インターナショナル・マーケットを覗きまわっているとルポライターの蒲田氏と朝日新聞記者の本田氏に出会った。4人でチャバルガ・マーケットの活魚料理屋に行き、盛大な宴会を繰り広げた。タコ、ウニ、牡蠣、アワビ、カレイ、サザエ、タイラギ、タイ、その他名前のわからないたくさんの魚や貝の刺身を食べた。2時間半の飲食代は23,800円。14:30両氏と別れて、ロッテDFSで買い物。
17:30帰船し一眠り。19:30ページャーで呼ばれてレセプションに行くと検疫官3人が待ち構えていて、昨日の書類審査で下痢のある乗客の事情聴取を行いたいとのこと。スムーズな出港のために拒否することはできない。正直に書類を書いた6人が呼び出され、さらに馬鹿正直な2人が検便検査を受けた。北朝鮮ではコレラが流行しているからだそうだ。それでも予定通り21:00プサン出港。

読書:「民族という名の宗教」なだいなだ

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 水葬

2002-08-21 21:59:20 | Weblog
8月21日(水)晴

    水葬

午前中下痢の患者が数人やってきた。12:15より後部甲板で今年3月に亡くなった山本氏の水葬が行われた。氏はスタッフの山本兄妹の父だ。僕も11年前妻の遺骨をグレートバリアリーフで水葬し、4年前次男の遺骨を津軽海峡に水葬した。
13:00プサン入港。検疫は書類審査だけでパスした。
15:00よりN志村と南甫洞の地下街で買い物。チャバルガ・マーケットの魚屋を覗いて、岩海苔を購入。

読書:「れとると」なだいなだ

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カツシゲの引きつった笑い

2002-08-20 21:58:43 | 海外旅行
8月20日(火)快晴 

  カツシゲの引きつった笑い

ピョンヤン出発の直前の7:00急病人発生。お笑いのカツシゲが腹膜炎。腹痛と発熱とで移動は苦しそうに思われたが、ピョンヤンに残すのもかわいそうだ。バスの最後部のシートに寝かせ、N志村と僕がすぐ横に付き添って12:00オリビア号に戻った。入院室で点滴をして夕方にはどうやら元気を取り戻した。
15:00元山出港。
22:30より海の38度線上の甲板で平和集会。

読書:「風姿花伝」馬場あき子
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 すれ違いの記号論

2002-08-19 21:57:58 | 海外旅行
8月19日(月)快晴 

     すれ違いの記号論

午前中主体思想記念塔、凱旋門、革命博物館。地下鉄に体験乗車した後、昼食は冷麺。午後は共和国代学習堂で交流会、万景台学生少年宮殿でコンサート見学。18:00ホテルに戻ると患者が待っていた。スタッフの山本兄妹の母堂が急性胃腸炎で1日ホテルで寝込んでいたのだそうだ。症状はたいしたことはないが、明朝4時間のバス移動が控えている。ブスコパンの注射をして強めの下痢止め、吐き気止めを出す。夕食後のピースフェスティバルは欠席して赤軍派の来るのを47階の回転レストランで25:00まで待ったが空振りに終わった。

読書:「記号論」エーコ
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不思議な骨

2002-08-18 21:56:55 | 海外旅行
8月18日(日)快晴

    不思議な骨

午前中はピョンヤン市内観光。まず万景台の金日成の生家へ。現地ガイドの説明では、朝鮮動乱の際人口38万人のピョンヤンに米軍は40万発の爆弾を落として、市内の家は1軒残らず焼け落ちたそうだ。しかし再建された金日成の生家には彼の祖父母の古ぼけた写真や2本の杖が飾られていたのは奇跡としか言いようがない面白さがある。
次に檀君陵へ。ガイドの事前の説明では檀君の骨は国立博物館に展示されているとのことだった。現地で急に当局の特別の許可が下りて陵内部も見学させてもらえることになった。するとそこには檀君の骨が展示されていた。この骨は金日成の指示で共和国の考古学者たちが総力を挙げて発掘したものであり、科学的な測定で5011年前の骨であることが判明したものである。
午後は板門店へ。見学者たちは3列縦隊に並ばされて行進させられたり、あちこちで意味なく待たされたりで午前中ほど面白くはなかった。中途半端な真面目さは、大真面目なジョークにはかなわないのだ。

読書:「朝鮮の始祖檀君」朝鮮人民民主主義共和国社会科学院
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電気と水道

2002-08-17 21:56:08 | Weblog
8月17日(土)曇

   電気と水道

12:00元山入港。長い長い入国手続きの後10台以上のバスを連ねて4時間の移動。北朝鮮は山が多くて美しい眺めが続く。平地が少ないので段々畑が多くて、農業生産には不利だ。しかし車窓から見る人々は特別やせてはいない。現地旅行社のガイドたちの中には肥満者もいるし、みんな陽気だ。道路は舗装されているが路面の状態が悪いので時速60km以上は出せない。それは車両の側にも原因があるのかもしれない。行きかう車両は驚くほど少なく、むしろ路上で立ち往生している車両のほうが多いくらいだ。たまにすれ違うボンネット・トラックには荷台たくさんの人々が乗り合わせている。ヒッチハイカーたちが待ちくたびれて道路脇ではなくて道路上に円陣を組んで座り込んでいる。人造湖のほとりの景色のよい場所ででトイレ休憩。すぐ目の前に水をたくさんたたえたダムがあるというのに手洗いの水が出ない。電圧が下がって白熱灯がちょうちんみたいに弱々しい赤い光を揺らしていた。
18:00ピョンヤン到着。4日間の滞在先は共和国の革命的勝利の証みたいな47階建ての羊角島ホテル。歓迎夕食会の後ホテル最上階の回転展望レストランで赤軍派の出現を待ち続けたが、誰1人姿を見せなかった。北朝鮮随一のホテルだけあって建物は立派だがやはり照明が暗くて、水の出が悪い。

読書:「記号論・1」エーコ

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