心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

都の御所めぐり(22キロ)

2017-06-03 20:45:11 | 歩く

 今週はふた晩続きで荒天候に襲われました。遠くで雷が鳴ったかと思うと、急に風が強くなり、雨が地面を叩きつける。びっくりです。でも、翌朝は何事もなかったようなお天気。おてんとう様はよほど腹立たしいことがあったのでしょうか........。
 気がつけばもう6月、梅雨の季節を迎えようとしています。昨年末ウィーンで買ったカレンダーの今月の写真はベートーヴェンでした。さあて、ことしはどこに行こう。家内と話し合った結果、昨年予約できなかった紅葉のカナダ&アメリカに行くことにしました。
 さて、明るい青空が広がった昨日は、街歩き企画の下見のため、大阪と京都の中ほどに位置する山崎界隈におじゃましました。あいにく大山崎山荘美術館は工事のため休館中でしたが、世界的にも注目される文化遺産「聴竹居」、千利休ゆかりの国宝茶室をもつ「妙喜庵」などの位置を確認し、歴史資料館などを見て回りました。これにサントリー山崎蒸留所を加えれば、なんとか形になりそうです。初夏の陽光に青葉が映える、そんな街を歩きました。
 「歩く」と言えば先日、京都のウォーキング協会主催の企画に参加してきました。テーマは「都の御所めぐり」。その昔、天皇はじめ皇族方の邸宅だった御所8カ所を巡る22キロの道のりです。朝9時に嵐山中之島公園に集合したあと、嵯峨御所(大覚寺)→御室御所(仁和寺)→花園御所(妙心寺)→花の御所跡→京都御苑(京都御所、仙洞御所)→二条御所→六条御所(長講堂)を経てJR京都駅をめざします。徒歩22キロという距離は、わたしにとっては最長の距離でしたが、なんとか歩き通すことができました。
 まずは嵐山の目抜き通りを通って嵯峨御所をめざしました。行く先々でスタッフの方が御所の案内板を掲げていただけるので助かります。ここ大覚寺は、9世紀に嵯峨天皇の離宮嵯峨院を寺院に改め、歴代の天皇や皇族が住んだところです。般若心経の根本道場でもあります。田植えが終わったばかりの初夏の農道を歩いていくと、日本三大名月鑑賞地として知られる大沢池に到着します。
 次に向かったのは仁和寺です。宇多天皇が仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだことから「御室御所」とも呼ばれています。かの大手電気機器メーカーであるオムロン創業の地でもあります。
 かつて花園御所と呼ばれた妙心寺は、現役の頃、管理職研修の一環として十数名の幹部候補生を連れて座禅研修をしたことがありました。不慣れな正座に難儀し、急には立ち上がれなかったことを覚えています。(笑)
 二条城に隣接する公園で昼食休憩をとったあと、一路北上します。「花の御所」は、同志社大学今出川キャンパスの烏丸通を挟んで向かい側にありました。14世紀の頃、足利義満が造営した将軍家の邸宅「室町殿」ですが、崇光天皇の仙洞御所で、四季の花木を植え、花亭・花の御所と呼ばれていたそうです。知らなかったなあ。
 大学の正門を横目に京都御苑に入ると、京都御所、仙洞御所と通過していきます。そうそう、広大な御苑の一画に人だかり。よく見るとセンダンの花が満開でした。センダンの木全体が淡い紫色に染まっていました。
 京都御苑を出て南下していくと、烏丸御池の京都国際マンガミュージアムのある場所に、かつての二条御所跡(二条殿)がありました。ありますといっても、今は石碑があるだけで、かつての面影はありません。案内板によれば、16世紀の後半、足利義昭の二条城を廃して織田信長の京屋敷として造られたものだそうです。後に信長はこの屋敷を誠仁親王に譲ったことから、以後、二条御所(誠仁親王御所)と呼ばれています。現在の二条城は地下鉄でひと駅ほどのところにあります。
 烏丸通をさらに南下し五条通で東に折れてさらに住宅街を南下していくと、京都タワーが見えてきます。いよいよ最後の御所「六条御所(長講堂)」が、住宅街の一画に突然現れます。後白河天皇の持仏堂なのだそうです。残念ながら、わたしは日本史に詳しくありません。(笑)
 こんな調子で、22キロを歩き通しました。歩き終えたあとの生ビールの旨いこと。仲間としばし歓談をして帰途につきました。この日は先頭集団のスピードに合わせたためか、中間地点を過ぎたあたりから右足の付け根に違和感があり、その日の夜までなんとなく痛みが残りました。今ではすっかり治りましたが、今年中に30キロのペースをつかみ取りたいと思っていますので、これからは股関節のストレッチをきちんとして臨むことにいたします。

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