心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

祭詞奏上

2007-07-15 10:47:18 | Weblog
 前日の台風雨が嘘のような、そんな休日の朝を迎えました。それにしても2日間、よく降りました。音を立てて降り注ぐというよりも、音もなくサーと静かに、しかし滝のように降る。目の前に壁が現れたような、そんな雨でした。改めて自然の力(生命)を思ったものです。
 先週は、急逝した甥の葬儀に行きました。出雲の大社での葬儀(葬祭)です。しんとした社に神官の祭詞奏上が響きます。それを静かに拝聴していたら、「物事には、初めがあれば必ず終わりがある」「本があれば必ず末がある」「大地より生ずる草木は必ず大地に帰る」「霜雪は必ずふたたび水に変える」「鮭は生まれた川に帰る」と....。わたしのように宗教心のない不甲斐ない人間も、「あぁ、そうなんだ」と心に響く詞でありました。
 と同時に、厳しい競争環境下のなかで慌しく日々を過ごす日常性から少し距離をおいて、我が身を考える時間を与えていただいたような気がいたしました。その時間を、甥は私に与えてくれたようにも思いました。生きとし生ける物の関係性というものを思いました。もっとおおきな流れの中で自らの存在を見つめてみることの大切さ。家族の絆、地域社会との絆、もちろん仕事を通じての絆もあります。さらに自然との絆、地球との絆と考えていくと、「共生」という言葉が浮んできます。以前、両親の仏式の葬儀で、和尚さんから同じようなお話しをお聞きしたことがありますから、こうしたものの考え方というのは宗派を超えて、案外共通した部分があるのだろうと思います。
 ところが戦後世代は、宗教というものを真正面から考えることをしなかったように思います。学校教育でも、それはタブーだった。逆に言えば宗教批判からスタートしている部分もないではなかった。それがわたしの学生生活のスタートでもあったように思います。しかし、私たちはこの世を去るとき、何らかの宗派に沿ってお別れをする。何か大きなものが抜け落ちているように思います。
・・・・今日は、いや今日も、自分なりの結論を見出すこともなく、シベリウスの交響曲第1番をLPレコードで聴きながら、ぼんやりとブログの更新をいたしました。
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