コロナウイルスに振り回されるなか、私の四国八十八カ所遍路の旅は、めでたく結願の日を迎えることができました。思い返せば4年前の秋、トラピックスの四国八十八ヶ所遍路の旅(全12回)バスツアーを終えて3ヵ月後のこと。車窓から時々見かけるお遍路さんの黙々と歩く姿に何故か心を惹かれ、当初は1200キロもの道程を歩き通せるのか不安でもありましたが、行程を15回ほどに区切って行ったり来たりする「区切り遍路」というものがあることを知り、歩き始めました。
「歩き遍路」の良いところ。それはバスに乗っていては味わうことのできない四国の風景を体感できること、バスツアーという時間の制約に縛られることなく自由気儘に気に入った所で立ち止まることのできる身軽さ、そして宿でお会いする方々との出会いと語らい.....。
コロナのために昨年1年間はほぼ棒に振ってしまいましたが、今回は第86番札所・志度寺、87番札所・長尾寺、そして88番札所・大窪寺を巡りました。長尾寺から大窪寺に向かう途中にあった前山ダム河畔の「おへんろ交流サロン」でいただいた「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」には、こう記されています。
「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1200kmを完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に、四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します」
四国の自然、文化、人との触れ合い。これが「歩き遍路」の醍醐味です。道すがら多くの方々にお声をかけていただきましたし、「お接待」もしていただきました。おうどんをいただいたり、お菓子や果物、ドリンク、硬貨までいただきました。そして爽やかな朝のご挨拶。本当にありがとうございました。
結願を終えて最後のお遍路宿となった大窪寺門前「八十窪」さんでは、夕食時に88歳になる宿のお婆さんとお話しをさせていただきました。4年ほど前、不規則運転を繰り返す前の車の悪戯のため、運転していた車が事故を起こしてしまいました。再起不能とまで思われた大怪我から無事生還されたお元気なお婆さんです。今も眼鏡なしで新聞に目を通していらっしゃいました。
さすがに今は車の運転は卒業されていますが、聞けばこれまでに22回も歩き遍路を結願されたのだとか。それも1回目はなんと18歳。戦死されたお父様を弔うのが目的だったようです。終戦直後の貧しい時代です。米1合で1泊させてもらいながら歩いたそうですが、お米が尽きると、野原で食べ物を見つけながら野宿をしてお遍路を続けられたのだとか。
大正時代に24歳の若さで出かけた高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)を彷彿とさせるお話しですが、その後、門前に宿を構え、ご主人に先立たれたあとも一人で切り盛りされてきました。今は加古川に嫁いだ娘さんが単身赴任(娘さんの言葉)で女将さん役を果たしていらっしゃいました。その夜は、結願を祝って赤飯まで炊いていただきました。
なぜ、人はお遍路に出かけるのか。88カ寺を巡って未だ般若心経ひとつまともに唱えることができないほど宗教心に乏しい私ですが、四国の空気感が私の心を捉えて離さない。12番札所焼山寺のきつかった「へんろ転がし」(山歩き)、青い太平洋を横目に23番薬王寺から24番最御崎寺に向かって炎天下延々と続く国道を1日をかけて歩き通した先に見えた室戸岬、高知市内の牧野富太郎植物園の中にあった雨の31番竹林寺、砂浜を歩いた入野松原を経て38番金剛福寺(足摺岬)、愛媛県に入ると松尾峠、柏坂峠を超えて宇和島、松山へ。ここからは瀬戸内海を眺めながら香川県をめざし、75番善通寺、84番屋島寺などを巡って辿り着いたのが88番札所の大窪寺でありました。下の記念写真は若いお遍路ガールさんに撮っていただきました(笑)。
猛スピードで走り去る車の横を歩くのは怖いので、極力、昔の遍路道を選んで歩いたのも良い経験でした。最後のお遍路でも、車道の脇にある小さな「旧へんろ道」の印を見つけては藪の中に入っていきました。そこには昔ながらの遍路道がありました。イノシシやマムシ注意の看板はよく見かけましたが、幸いにもお目にかかったことはありません。一度、お猿さんに会っただけでした。
そんなお遍路の旅を振り返りながら、前山おへんろ交流センターでは、お茶とお菓子のお接待をいただきながら、女性スタッフの方としばし歓談。私の番号が641号とあったので、起算日を聞くと昨年7月からだと。協力組織の会計年度の関係で毎年7月から1年間の累計になりますが、これまで多い年は3000人を上回っていたとか。それがコロナの影響で激減しています。ある遍路宿でオランダからやってきたというシニアの女性とご一緒したことがありますが、今は外国人(特に欧米系が多い)の姿はありません。
最終日、志度駅から坂東駅までJRで移動し、第一番札所である霊山寺にお礼参りをして、長かったすべての行程は終了いたしました。その後、鳴門ドイツ館を訪ねましたが、そのことは次回にお話しさせていただきます。
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私も肖りたいです。もう昔のことですが、私の母が3年がかりで歩き通しました。
いつも「お大師さんとの同行二人」が口癖でした。その母も一昨年身罷りました。
私もほんの少し真似事をしましたが、年には勝てませぬ。又、楽しみに拝見させて
頂きます。フォローさせて頂きました。今宵はこれにて。
コメントをありがとうございます。
お母さまも3年がかりということは「区切り遍路」でしょうか。結願なさったのですね。
長い旅路の中には、道があるようでない、そんなところも多々ありました。深い林の中を独りで歩いたことも。そんなとき、同行二人という言葉を思い出したものでした。
でも、お宿につくと女将さんが温かく迎えてくれました。お風呂で汗を流し、お遍路さんたちと一献傾けながら明日のルートについて話し合ったり。楽しい日々でもありました。
時々、ブログにもお邪魔しています。今後ともよろしくお願いをいたします。
歩きお遍路結願おめでとうございます!!!
1つのことを目的に頑張ること、素晴らしいですね~
見習いたいです。
いつかチャレンジしたいと思っていた巡礼コンポステーラへ・・・・残念ながらもう出来なくなってしまいました。一応コロナのせいにしておきますが・・・・(苦笑)
お遍路さんの思い出UP楽しみにしています。
お久しぶりです。コメントをありがとうございます。
コンポステーラ巡礼、私も夢見ていましたが、私もコロナのせいにしておきます(笑)。
コロナのために延び延びになっていた今回の「歩き遍路」ですが、季節もよく、桜の花や菜の花を愛でながら気持ちよく歩くことができました。
少し落ち着いたら、さあて次は何をしようかと(笑)。
貴方様同様に、遍路は素晴らしいと思います。ただ、吉野川にかかる沈下橋だけは、もう2度と渡りたくありません。
「遍路」「結願」で検索していて、こちらのサイトに当たりました。お互いに、喜びを共有したくコメントしました。
コメントをありがとうございました。
そうですか。655号ですか。私(641号)が3月31日でしたから、4月2日というと3日間で14人の方々が結願されたということですね。いずれにしてもご夫婦揃っての結願、おめでとうございます。
私は、赤とんぼが飛んでいた頃、10番切幡寺から11番藤井寺に向かう途中、吉野川を渡りました。増水したときに橋を越えて水が流れるように欄干がない沈下橋(潜水橋)。それも長~い橋でしたね。恐る恐る水面を覗いたら鮎が群れをなして泳いていたのを覚えています(笑)。
「喜びを共有」。良いですねえ。おへんろ交流サロンでいただいたスライドショー(90分)を見ながら長かった「歩き遍路」を思い返しているところです。
拙いブログですが、機会があればまたお越しいただければ幸いです。
「かなりの水量・流速」、状況が良く分かりました。
私が渡った季節は水量も少なく比較的楽に歩けました。所々に待機スペースがありましたね。そこから私は川面を恐る恐る覗いたのでした。遠くで投網をしている方もあり、のんびりとした風景でした。春とは大違いです。