コミュニケルーム通信 米沢豊穂 近況心境

カウンセリング 、教育、文学、仏教などを中心に講演・執筆活動中の米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

本ブログ コミュニケルーム通信 と そのルーツ について( 再編)

2024-06-30 | はじめに。
【固定記事】
こんにちは。ご訪問どうも有難うございます。
通称yoーサンこと仏教者にして Counseling Supervisor の米沢豊穂です。
大した画像でも文でもありませぬが、利用・転載などその旨付記して下されば全てOKですので、どうぞご自由に。
以下は本ブログのルーツです。この記事は当分の間、常時この位置に固定してあります。
まだパソコンなど無かった時代の頃。文具店をしていた友人が「ワープロと言うものを扱うことになったので、ぜひ買って欲しい」と言ってきた。1984年・昭和59年の夏であった。「へぇー、ワープロねぇ」、彼は「yoーサンには必須のアイテムだよ」なんて・・・。

それで、初めて「キャノン」のワープロ「ワードボーイ」を買った。当時としてはとても高い買い物だった。
148,000円也。現在に換算すると幾らぐらいかしら。(画像はその頃の日本経済新聞の広告です。何故か大事に。)

液晶のモニターで1行ずつしか見えなかった。数年後、「キャノワード」という大きなものに替えた。デスクトップのパソコン並みの大きさだった。画面も大きく見やすくなった。プリンタはまだインクリボン式だった。その後、次々とラップトップ(古いねぇ、お年が分かるって)の新型が出てキャノワードを3回更新した。都合ワープロ4世代買い替えた。
ワープロを買ったのをきっかけに、今のブログの前身とも言うべき紙印刷の「コミュニケルーム通信」を四季報で発刊した。そのうち月1程度で発行した。その後パソコンの普及で、ワープロは次第に少なくなった。私の友人たちがパソコンに乗り換えても、私はワープロに愛着があり遅くまで使っていたが、メンテナンスなどに不都合が生じて遂にパソコンを買った。そのパソコンも現在のダイナブック10で3代目である。最後に買ったワープロ・キャノワードは今も持っているが使うことは無くなった。
ところが、先日、家の片付け中に未整理の書類の入っている段ボール箱から、ワープロで作成、紙印刷の「コミュケルーム通信」が出てきた。ふつう、ブログは日記や備忘録的に記している人が圧倒的だが、私の場合は、もともと色々な勉強会や、各地での講演研修の受講者の方々へのニュースレター的なものとして出したことが、ルーツとも言える。まあ、現在も基本的にはそのようなものだが。

これはNO.90 とある。99年8月1日付である。今から丁度20年前である。この時が90号なので、それ以前から発行していて、当初は四季報で徐々に月報になったので現在は創刊以来30年余になる。今でも一部の方々に、紙印刷でダイジェスト版も出している。
実は、バックナンバーは当時は3,5インチのフロッピーで保存していた。数年前にふと調べたいことがあり、そのフロッピーを、最後に買ったキャノワードで確認したら、全て「破壊されています」というメッセージが出て愕然と・・・。紙印刷の物は殆ど散逸してしまったので残念で仕方がない。
しかしながら、辛うじて手元に残っているものを読んでみると、今更ながら懐かしく、輝いていた頃にタイムスリップしたひと時を過ごした。本当に当時は東奔西走していたのだなぁと・・・。
当時、ワープロも進化して、イラストなどの機能もあったが、敢えて自分で描いていた。これは出雲大社をイメージしたのかな。ちゃんと、toyo ってサインもしてるよ。(w)

P.S
コミュニケルーム
という名称ですが、かつて、福井市内にささやかな相談室を持っていました。それをコミュニケルームと称していました。それがこの通信のネーミングの由来です。
私へのご連絡は左サイドのプロフ画像の上部✉「メッセージを送る」からどうぞ。 

コメント (8)

誕生日 ひとつの出遇いと終活

2022-01-11 | life


 幾年(いくとせ)を絶ゆることなく誕生日祝いの花の届く日は雪

昨年の暮れに一筆したため、本年からは拝辞する旨を記し、多年に亘る心遣いに深く感謝申し上げた。
されど明けて6日。誕生日の朝、いつものお花屋さんから届けられた。
1度や2度はそう困難なことではない。されど30年にも垂んとする歳月、年に1度とは言え並みのことではない。しかしながら拝受する側もまた忝くて辛いものだ。

贈り主に出遇ったのはもう記憶も朧だが平成の初めの頃だったと思う。
私の仕事の延長線上で、時折り相談に乗らせて頂いた。カウンセラーとして当然のことをさせて頂いただけであった。
近年はお目にかかる機会も無くなり、賀状ぐらいのお付き合いとなっている。
これまでにも何度もお礼状の中で拝辞申し上げたが、連綿としてご恵贈頂き今日に至ってしまった。
お花の届いた日に、長年のお心遣いに感謝すると共に、ぜひ今年限りにと固辞の便りを送った。
それで何だか不思議な安堵感がしてお花を愛でていた私であった。

このようなことに限らず、何事も一つ・ひとつ感謝と共に終えて行きたいとしみじみ思ふ今日この頃である。
明日はまた明日のことが待っている。なのでブログの更新も頻繁には出来ないyo-サンの近況・心境でした。
まことに私事の極みですが、これもまた我が終活のひとつかと。どうぞご寛容に。
 いつの日か皆に感謝と詫びを述べ浄土に還るそを想う日よ
                       今宵これにて。

 年明けて雪 朝明けて雪 そしてまた雪・・・

2022-01-03 | Weblog
年明けて雪 朝明けて雪 そしてまた雪が降り募る。
冬来たりなば・・・と思ひつつも雪国の冬は暗く長い。




本物の雪ウサギが来はしないかと。

老骨には除雪作業もしんどいものよ。
せめて雪ダルマでも。





遠出も出来ないがウインターラジアルの四駆が強い味方だ。



お店(本宅)は今年も正月休みが延長に。


そして今日も暮れてゆく。
吹雪が窓を打つ。
こんな夜は、いつも越後へ流された親鸞を思い、佐渡へ遠島の日蓮を思いつ起きている。
終の棲家は気候温暖な地にと思ひつづけて幾星霜、叶わぬままにこの地に果つるのか。このいのち今更何をあくせく。

友・朋へのメッセージ 

2021-11-24 | life
Notice to friends

カウンセリング研究会  文学・読書グループ 全国の講演・研修先 のみなさまへ

本ブログや紙印刷版等更新・ご連絡が間遠くなっており申し訳ありません。

お陰様で体調も万全ではありませぬが回復し事務所(研究所・カウンセリングセンター)を再開致しました。加齢により身体的衰えは自己受容ですが、精神的にはまだまだ熱い情熱が沸々と滾っております。カウンセリングは勿論、啄木に、文学に、そして恋にも。老いらくの恋だって?いやいや燃ゆる命です。

閑話休題

事務所前・アプローチも秋バージョンになりましたよ。カワイイお花や動物たちがお出迎えです。

 

名残りの芙蓉の花が一輪咲き残ってくれています。

ボクも待ってるよ。

 

特に今月から、当センターにて仏教の心を語り合う小さな・小さな講座を始めました。きっかけは以前、電話で相談のあったご婦人が訪ねて来られたことからです。

初回はその方のお友達もご一緒に3人での講座でした。皆様ほんとうに真摯に生きておられ、私の方がお習いすることが多かったです。とても楽しくて時間を忘れるぐらいでしたよ。

これまで、数え切れないほどの講演や講義、講座やワークショップをしてきましたが、このように互いに心の琴線にふれる集いは初めてのことでした。閉会時間が過ぎても皆、去りかねて余韻に浸っていました。

「死ぬことは怖くないわ」、「お浄土では懐かしい人たちに会えるんだもの」等々、とても印象的な感想をお聞きしました。次回開催は来年にしてお開きにさせて頂きました。少し古いですが、NHKラジオのテキストを使うことにしました。

 

 

ご要望を頂いております例会形式の会への出講は、今しばらくコロナの状況を見ながらと存じております。私も自分の身体を労わりながら、元気でいられましたら必ず参りますからね。

カウンセリング研修につきましては、限定的ですがオンライン・リモート等の設備を整えて下さっている招聘先にお伺いしています。11月研修は時間は少し短縮して頂きましたが、カウンセリング・マインドの講義とロールプレーをスーパーバイズさせて頂きました。

PCの画面からスクリーンに大きく写し出されます。

テーブルの右下にyoーサンのアタッシュが。アタッシュケースは3個持っていますが、これが一番気に入ってもう30年も愛用しています。

レジュメのイラストも秋バージョンです。

早くコロナが終息して、マスクなしで、皆さんと楽しく研修や講義、ワークショップをやりたいなぁと思うことしきりのこの頃です。

ひとまずの近況・心境でした。それではこれにて。ごきげんよう。


夜話 仏教者&カウンセラーのグチ

2021-09-30 | life

自民党の総裁選びの騒ぎの中、長引くコロナ禍で人々の閉塞感はいや増すばかりである。

特に家に閉じこもりがちなお年寄りの方々の心にも不安が募る。

本来なら、お彼岸の講話や講演等に出向くのだがそれも限られた範囲になっている。この頃よく電話を頂き、不安な心の内を聴かせて頂くことが多くなった。

昨日、あるおばあ様からの電話である。「お寺の行事やお説教も以前ほどはなく、あっても外に出るのが不安で行けません」と言われる。

かつて、あるお寺の彼岸会で私の拙い講話を聴いて下さった方だ。ためらったが思い切って電話をしたと仰る。3、40分ほど傾聴させて頂いた。ご自分の健康のこと、家族関係のこと等諸々を語られ、そして最後に「私のようなグチな者が本当にお浄土参りが出来るのでしょうか」と仰る。彼女の一番の悩みはここのところのようだ。(ダテに長年カウンセリングをしてきた訳ではない。一番の問題点、つまり悩みを的確に受け止めるのがプロと言うもの)

「行けますとも・行けますとも。〇〇さんがお浄土に行けなくて誰が行けるのですか。グチの人だからこそお念仏があるのです。有難いことですね。」とお応えした。

「センセのお言葉を聴かせて頂くと、ほっと安心します。でもまた不安になってきます。」と言われる。

「そうですとも、不安になるのが人間です。その時はまた電話して下さいね。」でクロージングだった。

分かっているんだけど、もう一度話したい、聴いてもらいたい。このおばあ様は確認スタンプを貰いたかったのである。

蓮如が吉崎御坊に滞在のころ、近郷近在からお参りの善男善女で溢れ返っていた。蓮如はきっと、人々の話を聴き、お念仏の謂れを説き、人々に安心を与えたのだろうと思う。

ブログの縁で交流のある、釈真聴さんは「仏教とカウンセリング」を中心にしておられる。そして親鸞聖人や蓮如上人は素晴らしいカウンセラーであったと仰る。言い得て妙、私もそう思っている。彼も私も寺の人間ではない。言わば在家の仏教者である。

坊さんや、その奥方辺りがこまめにブログなど書いているが、そんな時間があったら、もっと周辺の人々の心に耳を傾けてほしいと思うことしきりのこの頃である。

yo-サンのグチでした。


免許更新と認知症検査

2021-09-19 | life

この春、気分転換にと車を入れ替えた。車検にはまだ少しあったのだが、サポカー補助金がつく間にと勧められたこともあった。

たぶんこれで最後の車になると思う。免許を取って半世紀余、専用のマイカーとして乗った車は全てセダンだった。今回は小さいながらも初めてUSV車にした。(カウンセリング心理学的には未完の行為の完成である)今は昔、初めて買ったのがパブリカだった。トヨタの「パブリックカー」がネーミングの由来である。空冷エンジンのいい車だった。以来、カローラ、コロナ(まだマークⅡなんてなかった)、そしてクラウンだった。

その後、セドリック、レガシー、そしてレオーネに。更にまたトヨタにカムバックして、マークⅡからプレミオに。この車は一番気に入って2台ばかり続けて乗り、1台目は15万キロ走った。これが最長だった。その後は自身の華麗じゃなくて加齢でぐっと小型のベルタにした。50年余りで10台、平均1台5年になる。たぶん車検との兼ね合いからだろう。今度の車は勿論4WD・サンルーフ付きだ。コロナが収束したらドライブにと楽しみにしている。琵琶湖に会いたくてしようがない。

ところが、免許更新前の認知症検査の案内が届いた。車はまだまだ必要なので受検してきた。最近、記憶力が減退しているので少し不安もあったが無事終了。「記憶力・判断力に心配ありません」の「100点」だった。やれやれ。

何処へ行くにも車がなければ話にならない。福井県自体がそうで、1所帯当たりの車の保有台数は1、7台余で全国1だそうだ。我が家のご近所は殆どの家の前に2~3台は並んでいる。言わば公共交通による移動の不便さの象徴である。

住み良さもトップクラスだそうだが、こればかりは全く実感がない。海や山が近く、人口密度が低いからかもしれない。なんて言うと県のおエラさん辺りに叱られるかもしれないが。              

私の住む坂井市丸岡町は古い城下町で坂井市4町の中では人口も最も多い。文化だ、伝統だなどと言ってはいるが、やや封建的なきらいもある。言わば皆が1国1城の主的気質なのだ。古くから織物の盛んな土地柄でもあった。シルクの羽二重からレーヨンへと、往時はあちこちから機音(はたおと)が聞こえてきたが、今は殆ど無くなってしまった。

機を織る音のことを「筬(おさ)音」と言われるが、それは手機(昔の手織り)の音である。近代の織物は力織機や自動織機で高速回転する。なので筬の音などしない。緯糸を打ち込むシャトル(杼・ひ)の音である。今はそのシャトルも無いエアーやウオーターのジエットルーム(織機)もあるが、丸岡にはそれも昔日のことになった。まあ、住めば都、或いは郷に入りては郷に従えなどと言うから、それなりに人生の殆どをこの地で暮らしてきた。都会への憧れもあったがついに叶わぬ夢で終わった。

せめて、今ひと度、若き日の夢を辿りながら、あちこち旅をしたいと思うことしきりのこの頃である。今宵また由なしことを連ねてしまった。


Good old days 牧水をちょっと。

2021-08-29 | life

 秋かぜや碓氷のふもと荒れ寂びし 坂本の宿の糸繰の唄

牧水の歌である。坂本は中山道の往年の宿場町であった。この歌は明治の末期の作だが、この頃には坂本宿はもうすっかり寂れていたようだ。一度は訪いたいと思いつつ果たせずにいる。

★久々に旧い友よりの電話である。もうかれこれ4、5年は音信不通であった。

「元気!?」

   「うん、まあまあやってる」

「啄木は?」(啄木の講座をしているのかと聞いている)

   「出番がなくて・・・」

「そうかあ。コロナだよなあ。ところでお酒は?」

   「あまり・・・」

「今日は何の日か知ってる?」

   「えっ?!」

「yo-サン らしくないなぁ。愛酒の日・・・」

   「牧水忌だったかな・・・」

「ちがう。誕生日」  ・・・・・

★と、こんな調子でぽつりぽつりと。8月24日は牧水の生誕の日だから、酒を愛した牧水に因んで「愛酒の日」とは。牧水もさぞや苦笑していることだろう。

昔、彼とよく飲みに行った。互いに誘い誘われ。福井市の繁華街、赤い灯青い灯のカタマチのスナックであった。二人で梯子もした。

その頃、私は洋酒で「パーじいさん」(Old Parr ・スコッチ)をキープしていた。平成の初めの頃のことである。

今はもう洋酒はやらない。日本酒もたまにしか飲まなくなった。加齢なのか。ひとり酒も侘しいこともあるのだが。

ママやあのコたちは昔の名前で出ているのだろうか。いやいやもうとっくに足を洗ったことだろう。

まさにGood old days よき日々だった。

★閑話休題:牧水のことは何度か書いたり、啄木の話をするときにはよく触れていた。

牧水の歌は啄木とはまた違っていい。お酒が入ると私はよくその

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

を朗誦した。彼は短歌や文学に特に関心があるタイプではないが、私とは話があった。そしてこの歌を気に入り、二人で人生について若いなりにも、しみじみ語り合ったものだ。

されど、牧水の歌はやはりこの歌。これほど人口に膾炙された歌はないだろう。

白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよう

以前にも少し書いたが今は昔、文芸部の顧問をしていたとき、女生徒がこの一首をよく口遊んでいた。彼女は何故か「はくちょうは・・・」と読んだ。私は「しらとり だよ」と言ったが、彼女はその時は「しらとり」にしたが、次にはまた一向に直さず「はくちょう」のままだった。私はもうそのままにしていた。

単に読み慣れているためなのか、それとも「はくちょう」の語韻が好きだったのかも知れないと思う。

今思うと「はくちょう」でよかったかな、なんて感じている。その彼女は今は何処にいるのだろうか。もう50前後だろう。

由なしこと、まことにつまらぬことを連ねてしまった。実はいま、yo-サンのお顔はほんのりさくら色。秋の夜とも言えないがどうぞご寛容に。今宵これにて。

 

 


近況・心境 凌霄花の花

2021-08-13 | Weblog

名の如く霄(そら)を凌ぎてあかあかと花咲きており夏の日高し 

 以前にも凌霄花(ノーゼンカズラ)について書いたことがあるが、この花は特に好きという訳ではないが、何だか懐かしい思いがする花である。

もう微かな記憶なのだが、昔、たぶん中・高校生の頃に読んだ短編、山本周五郎の「凌霄花」が、そのある種の懐かしさのルーツのようだ。

周五郎得意の武家物語だが、城代家老の一人息子と、城下の富裕な呉服商の一人娘の切ない恋の物語だったかな。その恋はともかくとして、二人が天神山?に凌霄花の花が咲くとき、その下での忍び合いを繰り返し描いている。

 

その後、その物語のことなど思い出すことはなかった。ここでも何度か書いているが、その昔、今は亡きヒトリシズカの君に植物園や野山を案内して頂いたことがある。たしか加賀方面だったと思うが、山際に咲く大きなノウゼンカズラがあった。彼女は「ノーゼンカズラですよ」と指差した。その時、何となく甘酸っぱい初恋のような雰囲気が漂った。そして例の短編のことが蘇ってきた。(画像は福井市で)

<閑話休題>

北よりのメロン届きぬ去年の如

前回も記したが、体調の整わないときは好物のフルーツがカンフルだ。今年もまた空輸の富良野メロンが届いた。

宅配の人徐にメロン置く

配達のS便さんには沢山の社員さんがおられるが、今年も昨年と同じ方であった。「今年も来ましたね」と言って大事そうに勝手口の上がり框にそっと置いてくれた。1週間の追熟を待って戴いた。寺坂農園さんの逸品のメロンだ。さすがに美味しい。好物はと訊かれると「メロン、メロンパン、メロンジュース」と答える私。お陰で元気を取り戻した。そっと手を合わせ贈り主に感謝している。

何となく銀の匙など取り出してメロンを掬うひとり居の夏

お見舞いメッセージなど感謝申し上げます。只今、9月からの研修や講演の準備を始めました。

yo-サンの近況・心境でした。今宵これにて。


合歓の花咲きて

2021-07-16 | life

梅雨明けの待たれる日々の夕暮れにつつましやかに合歓の花咲く

 子どものころ祖母が言っていた

「合歓が咲くと梅雨が明ける」と。

 先日、梅雨の晴れ間に、休暇村越前三国へ出かけた。広

 い敷地には合歓の木があり、つつましやかに花を咲かせて

 いた。先年、山陰線沿線をひとり旅したとき、鳥取と島

 根の県境辺りの山あいに咲く合歓を見たことも懐かしく想

 い出される。 鳥海昭子さんがこんな歌を詠んでいる。

                       高野山裏山道をくだりしは合歓の葉ねむる頃合なりき   

   そして、「日暮れとともに眠るように閉じる葉と明かりを

   ともにするような淡いピンクの花が印象的です。高野山で

   目にしたネム    すでに葉を閉じてしまいました。」 と記

 している。

 ネムの花言葉は、「胸のときめき」とか「歓喜」だという 

 が、私には「胸のときめき」がピンと来そうだ。

 山頭火の句に、

 合歓の花おもひでが夢のやうに    がある。

 山頭火にしてこのような句を残している。彼の脳裡を過る

 「おもひで」は如何に。

あたたかき心を添えて届きたる紅白の桃甘く香りぬ

最近、あまり体調が整わずにいる。この秋は講演や研修が入っている。内容や原稿を考えなければならない

だが、なかなか調子が出ない。つい、だらだらと過ごしてしまう。

そんなきょう、うれしいプレゼントが届いた。まるで私の体調を見抜かれているように。まずは、お仏壇に

お供えして後、冷やして戴いた。まさに絶品であった。美味しいものを戴けることはハッピーだ。

毎年この時期にフルーツをプレゼントして下さる贈り主に感謝しながら。

 

       

斎藤茂吉の歌に

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり   がある。

茂吉は白桃(歌はたぶん「しろもも」と読ませると思う)が好きだった。歌集にも「白桃」がある。私の亡

き母も桃が好物だった。生前にもっと沢山と食べさせてあげたらよかったとしみじみ。

母は短歌は茂吉に傾倒、アララギ派の流れを汲んでいた。長年、斎藤茂吉記念館の茂吉追悼歌集には毎年投

稿していた。繙いて見ると涙が滲む。私の歌など足元にも及ばない。

きょうは北陸も梅雨明けしたようだ。いよいよ本格的な夏に向かう。

梅雨あけて早秋彼岸待ちており         yo-サン 即興拙詠

 

末筆ながら、緩慢な更新の拙ブログにメッセージを頂戴致しまして痛み入ります。

個別にお返事をと存じながら失礼ばかりで申し訳ありません。

もう少しパワーがつきましたら、ご発信元のメルアドを頂けたお方にお返事などさせて頂きます。

どうぞご寛容に。 それでは今宵これにて。

     

茄子の花

2021-06-20 | life

亡き母の我に語りし言葉など思い出(い)でたり茄子の花咲く  

 梅雨の晴れ間、久々に畑に足を運んだ。少しばかりの夏野菜を植えたものの構ってやれず、一面草に覆われてしまった。亡き母がよく言っていた。「畑の作物は足音で育つ」と。足音が聞こえなかった畑は草ばかりが豊作である。 ナスはこの辺りだったかなと屈んでみると、1本のナスが草の中で花をつけていた。まだ小さな薄紫の花が、うつむき加減に咲いている。なんと、つつましやかで清楚な花なのだろう。しみじみと眺めていると母の声が聞こえてきた。恰も母がその辺りにいるかのように。

「親の意見と茄子の花は千に一つの仇はない」

 茄子の花が咲くと全てに実をつけるので、親が子を思って言うアドバイスは必ず役に立つので、親の意見をよく聞けよ。という意味である。(ここでいう「仇」とは「無駄」というとである。)この言葉は何度聞いただろうか。母は終生自分の父親(私の祖父)を尊敬し、父親の遺した言葉を生き方の基本に据えていた。それを機会あるごとに私に言って聞かせた。私は父が早く他界したので、母から教わったことが多い。必ずしも平坦な道のりではなかったが、今日まで曲がりなりにも生きてこられたことは母のお陰であると今更ながら噛みしめている。

 

「何事もやる以上は喜んでやろう。いやいやするなら初めからしないこと」

私は色々なことをやる時には結構躊躇した。仕事関係は勿論だが、幾つかの公的な役割もさせて頂いた。昔、亡き妻がよく言った。「あなたは本名で呼ばれるよりも肩書でばかり呼ばれる」と。実際その通りであった。

会長、理事長、委員長等々、そしてまた長年先生呼称が圧倒的だった。若い頃の話だがJC(青年会議所・社団法人)の理事長を仰せつかった。JCの理事長は1年きりの役職だがとてもハードである。その頃は選挙ではなく選考委員による推薦であった。選挙だったら立候補なんてやらない。悩んでいたとき母は「なりたくてなれるものではない。皆さんからの推挙だったら喜んで受けなさい」であった。それで私は理事長職の1年間全力投球した。11年間のJC時代は日本JC教育問題委員会にも出向してとてもよき学びでもあった。

娘たち2人が小学校のころPTA会長を2年務めさせて頂いた。これも周囲から是非にということで選考委員さんが訪ねてみえた。恒例だと選考委員さんが何日も日参されてから「それでは」と受けるものであった。その時も母は「本当にイヤなら土下座してでもお断りをする。子どもがお世話になっている学校だから、有難く受けて喜んでやりなさい。」と。それで都合2年間もさせて頂き自分なりに楽しくもありよき経験であった。こんな感じで諸々の役職を無事務めることが出来た。なので私は今でも何事も喜んでやれるので有難いことである。

母からの教えは沢山あるが、物事をなし終えるときの大切さを「立つ鳥跡を濁さず」と教えられた。「立場を終えるときは後継の人に迷惑がかからぬように責任をもってやり終えること」であった。世に「後足で砂をかける」という言葉があるが「世話になった人の恩義を裏切るばかりか、去りぎわにさらに迷惑をかけてかえりみないたとえ」(精選版日本国語大辞典)である。人間ならば心せねばならない。

とは言いながら、私自身子どもたちに何をメッセージ出来たであろうか。振り返ってみると内心忸怩たる思いのこの頃である。

末筆になりましたが、メッセージなどお心遣いに感謝申し上げます。少し体調くずしましたがボツボツとやっておりますので。

それでは皆様、向暑の折からご自愛専一にと念じております。今宵はこれにて。