コミュニケルーム通信 米沢豊穂 近況心境

カウンセリング 、教育、文学、仏教などを中心に講演・執筆活動中の米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

禅と念仏 (道元と親鸞) ある仏教者の端くれの夜話

2018-09-13 | Weblog
【本日は小難しい仏教の話なので、興味無き方はどうぞスルーされたし】

元はと言えばブログで知り合ったのだが、私の畏友であり、法友でもある、くりのみさんこと、釈真聴さんという方がある。彼が先日、下記のようなコメントを残してくれた。
>こんにちは。ご講演のテーマ、「生きる力を育むお念仏」の由。ボクも、聞いてみたい内容です。先日、東京新聞《今週のことば》で安田理深師の言葉が引かれていました。
「生活の中に念仏があるのではなく、念仏の中に人間生活があるのです」と。ボクは、くりのみ会のお仲間に、
「念仏は 声のある坐禅(只管打坐)
 坐禅は 声のない念仏(念仏三昧)」と、お伝えしています。
講演会の成果を、ブログで更新してください。楽しみにしています。なむあみだぶつ
(以上、コメント欄:2018.8.02より転載)

彼と私とはやっていることが、とても良く似ている。まずは、長年に亘り、カウンセリングの実践(臨床というとメデイカル的なので)と、カウンセリング研究会を主宰していること。次いで、彼も私も得度をしていて僧籍を持っていること。それもお互い、在家者(寺の人間ではない)であること。そして何と言っても親鸞に傾倒していることである。彼は真宗大谷派(東本願寺)、私は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、いずれも親鸞を開山とし、教義などもほぼ同じである。今の私にとっては、もう宗派はさほど意味を持たない。親鸞宗、いや親鸞は宗派など作ってはいない。親鸞教に帰依する者とでもしておきたい。

でも、ちょっと違うところがある。彼は、お念仏の人(浄土教の流れは全てそうである)であるとともに、道元禅師の禅の世界にも造詣が深く、坐禅の実践もされていることである。
ふつう、禅と念仏は相反するもののように思われているが、極めると(私なんぞ極めていませんが、インスピレーションで解るのです。w)同じところに行きつくのである。

あるとき、道元さんは「念仏を唱えているのは春の田んぼで、蛙が鳴いているようなもの」と言われた。(・・・とか、言われないとか。w)親鸞さんは「禅のような聖道門にあっては、なんぼやっても致し方ない」と言われた。(・・・とか、言われないとか。w) まあ、後世のたとえ話でしょうが・・・。
道元さんは親鸞さんより20年ぐらい後にお生まれになり、親鸞さんよりも10年ぐらい早く遷化されている。当時(12c~13c)と言えども53歳は早い。もう少し長く生きて頂きたかったと思う。
道元禅師の大本山・永平寺は隣町、私の家より車で30分もあれば楽に行ける。小学校の遠足に初めて参詣し、以来数えきれないほどに。勿論、少しばかりは坐禅も体験した。私は道元さんも親鸞さんも好きである。

そこで、お二人の共通点であるが、道元さんは、くりのみさん仰るところの「只管打座」つまり、ただ坐ることのみである。不立文字と言い、経典なども重要視はしない。
親鸞さんは「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」 と喝破される。
つまり、ただ一つの道を一心に進まれたことは当に共通点である。更にはお二人の仏教の根本は「無我」にあることだ。
以前、くりのみさんとも話したのだが(先年、伊豆稲取で、くりのみさん主催の夏季ワーク:クリックしてみてね:に参加させて頂いた。)、道元さんは「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。」と言われている。私たちは如何に「自分が、自分が」と「が・我」から離れられないことか。(蛾から蝶にはなれぬものだよねぇ。w)

親鸞さんは、小賢しい人間の計らいを超えた仏の眼差しから見れば、自分は自我にとらわれて、何とあさましい存在なのか、と、改めて我(わ)が身を凝視された。この、我が計らいを超えた不可思議光のはたらきの中に我が生命(いのち)があるということへの、気づき、いや、気づかされである。結論として、「我」の否定なのだ。

先日、偶然あるブログを見た。「あるお寺の奥さんの・・・」なんて銘打ったものだった。「仏教によって如何に私が幸せになるか」的な、仏教とは対極的なことや、聞いたふうなことばかりを連ねている。「無我」どころか「有我」そのものだ。まあ、実名を書かないのはいいとして、せめて何処のどういう寺なのかぐらいはあってもよさそうなもの。都道府県は設定しない、コメントも受けないことになっていた。だったら「お寺の奥さんの」とは書かなければよいと思うのだが。私も、くりのみさんも、きちんと名を名乗っている。書いた内容にもそれなりの責任を持っているからである。
秋の夜長と言うにはちと早いが、最近感じていたことを記してみた。今宵はこれにて。
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真夏の昼の夢 凌霄花の 花の咲く頃・・・。

2018-08-28 | Weblog
(Wikipediaより拝借)

 西近江 凌霄花(ノウゼンカズラ)咲く道を一人行きしはいつの日のこと(筆者近詠)

こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。

この頃よく夢を見る。まあ、人は毎日夢を見ているのだが覚えていないだけだが。(夢についての心理学的考察はまた別の機会にしたいと思う。)

お盆(旧盆の8月15日前後)の午後のことだった。特にすることも無くて(やれば色々とあるのだが、何もやりたくなく)久々に書斎に入り、積読の書物など「眺め」ていて、ふうっと睡魔に襲われたのだった。1時間ほどで目覚めた。

それは、西近江はマキノ町(現在は高島市マキノ町)辺りを車で走っている。マキノと言えば、四季折々に美しい風景を見せるメタセコイアの並木が好きだ。その界隈、カタクリの花咲くところへも見に行ったことがある。元気な頃はよく訪れたものだが、近年は行けずにいる。
ところが、夢に見たのはメタセコイアの木に絡みながら、橙色の凌霄花の花がが木洩れ日の下で咲き誇っているのだ。この並木道には凌霄花などは無い筈だ。夢はふつうはカラーではないのだが、私は時たま総天然色の夢を見る。この夢も、まことに美しい彩であった。

私はフロイディアンでもなければユング派でもないが、カウンセリング研修で夢分析の講義もするし、カウンセリング中に、クライエントさんが見た夢の話を聴かされることもある。夢は過去の経験に由来するものであり、又は願望の充足を求めるものである。そう言えば、ずいぶんと昔、マキノ町の旧道を走っていた時、沿道の何軒かの農家の庭先に凌霄花が咲いていたのが記憶に残っていた。潜在意識の底に今一度凌霄花の咲く頃に西近江を訪ねたいと思っていたのだろう。(夢分析については稿を改めるので、この夢判断は表面的?なものにしておく。)今もあの道に凌霄花は咲いているのだろうか。どなたかご一緒してくれないだろうか・・・。

ふと思い出したのだが、鳥海昭子さんのお歌に、        
 古里の杉にからまりあでやかなノウゼンカズラ母亡きあとも    がある。
本当にノウゼンカズラは「あでやかで」あり、インパクトが強い花である。 

閑話休題
書斎の本箱から、昔、新聞に書いていた「随想」のコピーが出てきた。当時は講演や研修の合間を縫って、随想の連載、人生相談や教育相談の回答、或いは、保育研究会の会誌「ほいく・ふくい」への出稿など、日々慌ただしく暮らしていた。振り返ってみると、遅筆の今の私にはちょっとコワい気がする。ロクに推敲もしなかったのだろう。若いってことはコワいもの知らずだったと恥ずかしい・・・。


「旅とふるさと」今読んでみると、あの頃は母も元気だった。「お盆」には、大阪の妹や京都の弟たちの「里帰り」で賑わった。今はもう、弟は逝き、妻も冥界を異にして久しい。子どもたちは巣立って、お墓参りに顔を見せる程度である。


長女がメロンと葡萄をお仏壇に供えてくれた。「美味しい間に食べてね」と。お仏壇やお墓にお供えしても仏様や故人には食べられない。子どもたちが幼かった頃から、珍しいものや頂き物は、まずお仏壇にお供えしてから戴く。必ず「お下がり頂戴します。」と言ってリンを叩いた。子どもたちはその頃から「正信偈」や「阿弥陀経」は、すらすらと読誦した。
私が子どもの頃、母方の祖母が「仏さま食べはらへん、ちょっとだけお見せするだけやから。」と言っていたことを想い出す。


今更ながらふたたび「時は過ぎてゆく」を実感しているyoーサンでした。これも「無常」。称名

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女人哀歌 吉崎御坊と蓮如の愛娘 見玉尼のことなど 補筆修整

2018-08-02 | Weblog
 本文は文芸誌出稿のため補筆・修整しました    

   思い出の道も失せたり草いきれ

こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。実は私め、3足ぐらいの草鞋を履いています。今日はまた別の1足で。お坊さん?知る人ぞ知るかしら。非僧非俗、いやいや俗そのもの、ゾクゾクしてきます。

 



   
先日、長年お付き合いを頂いている、ある真宗寺院の坊守さんから電話があり「今年も婦人部のお話にいらして下さいね」とのことであった。私は思わず「もう長いこと寄せて頂いていますし、何をお話ししたものやら・・・」と、婉曲にご辞退しますと、「先生のご専門のカウンセリングとお念仏、なんてのは如何でございましょっ」と。思わず苦笑した私であった。

彼女はある時期、電話相談員をしていたので、私のカウンセリング研修を何回か受講している。私の話の中で「黙っていてもお念仏が聞こえてくるような人こそ、カウンセリング・マインドのある人です」と言ったことがある。
彼女は「いつも、その言葉を噛み締めていた」と仰る。言った本人は忘れても、聴いた人は心に刻む言葉もあるのである。私もまんざらでたらめを言っている訳ではない。私自身、人と接する機会が多いが、人と対面すると、いつも「この人からお念仏が聴こえるかしら」と、心の耳をそばだてている。真宗の門徒、いや宗門人であっても一向にお念仏が聞こえてこない人もあれば、クリスチャンや新宗教の人からお念仏が聞こえてくることもある。

この坊守さんとのご縁は、私が今よりはもう少し輝いていた頃、地元紙の人生相談の回答者をしていた時に始まる。彼女は電話相談員でもあるので、私の回答を読みながら、自分だったらどのように回答するだろうか、と考えていたそうだ。そのうちに、ぜひ一度私に会いたくなったと言われる。
そのような経緯はともかくとして、彼女は頗るお人柄のよい方である。由緒あるお寺さんであるが、彼女の暮らしぶりは質素である。お着物を召されていることが多いが、それはいつも彼女のお母さん譲りのものであり、お値段ばかりが高い今出来の物とは違う。(私は着物についての知識もプロなんです。)
彼女には物欲というものがまるでない。私などに言われるまでもなく、その後姿からにもお念仏が聞こえてくる。そして、常にご門徒さんのことを第一にしておられる。ご門徒さんの悩みを受けて、ご自分が迷われた時は私に電話が掛かる。その頃は私も今よりはパワーがあり、彼女のお寺に出向いて夜の耽るまでお話をお聴きした。不思議と殆どの問題がクリアーされた。(聴くと聞くを敢えて使い分けています。)

という訳で、彼女と話し合った末、「生きる力を育むお念仏」というテーマになった。吉崎ご滞在時の蓮如上人や、その「御文」(「おふみ」:宗派により、御文章、御勧章ともいう)、或いは当時のご門徒・同行衆、女人往生、そして、今日の女性とお念仏などについて「先生の思われるままにお話し下さいませ」なんてことになった。内心、えらいことになってしまったと心配しても、もう遅い。頼まれると、なかなかNOと言えない因果な性格の私である。昔、母が良く言った。「お前は日の暮れの葬式でも引き受ける人や・・・」と。まさか、寺でもない私が葬式なんて、と思ったものであった。



 それで、嘆いていても始まらないので久々に吉崎御坊を訪ねることにした。車を駆って自宅から、JRあわら温泉駅のある旧金津町、北潟湖、そして吉崎御坊へと走ってきた。途中、芦原の丘陵地帯を抜けて北潟湖が見え始めたとき、ふと例のヒトリシズカ(過去記事2018.4.5)のことを思い出した。どうもこの辺りから山道へ入ったような気がして車を湖の脇に止めて、探してみたがそれらしい道はなかった。
当時は彼女(件のヒトリシズカの君)の軽自動車に乗せてもらっていた。同乗者は概して道を覚えられないものだが、私は方向音痴の傾向もあるので尚更である。今日はもう縁がなかったのだろう。ヒトリシズカの花の時期も終わっている筈だ。と自分なりに合理化して吉崎へと向かった。



  蓮如忌も過ぎて御坊はひっそりと

蓮如の里(クリックしてみてね)は静まり返っていた。市営の駐車場に車を止めて東西両別院に参って御山に上った。御山とは、もう五百五十年も昔、蓮如がこの地にはじめて道場というか、坊舎を建てた小高い山である。両別院が競い合うように立つ境の、細くて、なだらかな石段を上るとすぐである。言わば吉崎御坊の発祥の地で、今は跡地としての碑がある。ほどよく木々が有り、木洩れ日の下(もと)、緑の葉にそよぐ風は気持ちがいい。 



左 東御坊、 右 西御坊






   
ここから眺める北潟湖、そこには鹿島の森が浮かぶ。まことに見飽きない美しさである。彼の吉崎滞在は四年ほどであったが、朝な夕なこの風景を見ていたのだろう。蓮如の大きな銅像が湖に向かって立ち、今も眺めつづけている。
蓮如が舟で吉崎を離れ京に戻る時に「夜もすがらたたく船ばた吉崎の鹿島つづきの山ぞ恋しき」と詠んでいる。この歌は、あわら温泉駅が新しくなる前までは正面北側の階段側面の大きな看板に書かれていた。私は、特急停車の最寄駅なので県外出張などの折々に目にしていた。あの看板は何故外したのだろうかと今でも思っている。



 実は御山に上ったのは、ここに蓮如の娘、見玉尼のお墓があったことを思い出したからである。件のヒトリシズカの君は、蓮如の書いた「御文」(おふみ)を有難く思っていた。それは多分に彼女の母親の影響からであったと思う。




御文は数多いのだが、五帖に編集されたものを「五帖御文(ごじょう おふみ)」と呼び、その編集に入らないものを「帖外御文」と呼ぶ。その帖外御文の中に早逝した見玉尼を悼むものがある。美しくも切々たるその文面は涙を誘う。本願寺の門徒であれば、「御文」を見聞する機会は少なくないが、この帖外御文となると、その機会はあまりない。私の講義中、見玉尼やその御文についての話題に及んだ時、彼女はハンカチで目頭を拭っていた。



  参詣の人もあらずや蝉しぐれ

 たしかこの辺りに、と見渡すと、御山の北側のやや高くなった所にそのお墓はあった。近づいて手を合わせた。いつ頃の建立かは分からないが、相当の歳月が感じられた。花立てには、すっかり干からびた野の花のようなものが残っていた。背後にある大きな木に日の光を受けた若葉が青々と茂っていたが、晩秋に訪れたら寂しさはこの上ないような気がした。
お墓の案内板にも御文の一節が書かれているが、傷みもあり判読しにくくなっていたが「八月十五日の荼毘の暁方の夢に白骨の中から金仏が現れ蝶になって涅槃の都へ飛んでゆくのが見えた」と記されている。


今度来るときにはお花を携えて来ようと思うことしきり・・・。

 見玉尼は、最初の妻如了との間にできた子で二女である。蓮如はまだ部屋住みの頃で、赤貧と言っても過言ではない暮らしであった。見玉尼七歳の時に母・如了が亡くなり、長男の順如を除いてほとんどが禅寺や尼寺に奉公に出された。
見玉尼はその後、姉や伯母をも続けて亡くして、遠く吉崎に行った父蓮如が恋しくて、京都より長旅の末、吉崎にやってきた。文明三年(一四七一)五月、二四歳であった。彼女は気立ての優しい美しい女性であったと伝えられている。だが病を得て父と一緒にいられたのは一年余、薄幸な女性は父の信じて止まない浄土へと旅立った。



今、蓮如について多くを記す紙幅はないが、彼は生涯で五人もの妻を持つた。勿論、同時に五人の妻帯ではない。次々に亡くなったからである。それで、二十七人もの子女がいた。そのいずれもが良い子ばかりだったという。蓮如は第八代法主、本願寺再(中)興の祖と言われているが、多くのよき子女に恵まれたことも、本願寺を日本最大の教団にしたことと無縁ではないだろう。


私は親鸞の教えに傾倒し生きる中で、よくもわるくも、いつも何か気になる存在が蓮如である。いつか機会を得て蓮如について書いてみたいと思っているが、かなりのエネルギーが要る作業になるだろう。そんなことを思いながら婦人部での講話の構想を練っているこの頃である。



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夏に学ぶ  なぜ我が子を虐待するのか 他・・・

2018-07-29 | Weblog
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。本日の北陸、日本海側はフェーン現象も加わってとても暑いです。でも、暑さにめげず頑張っています。

 人権教育、テーマは「人園関係に生かすカウンセリング・グマインド」

子どもたちは夏休みに入りましたが、先生方はしっかりお勉強です。しかし、yo-サンの研修は終わると、「とても楽しかった」、「2時間があっという間に」なんて感想が。皆さん、お目々キラキラ、受講される方が居眠りをされたらyoーサンの負けですから。(自画自賛・自信過剰・w)



中高の生徒指導に関わる先生の研修です。


栄養指導に関わる先生方も、しっかりお勉強です。


演題「なぜ我が子を虐待するのか」。話す私は勿論、聴講の皆さまも真剣でした。


カウンセリング35年、頂くテーマも多岐にわたります。「日々の終活」にも記しましたが「ていねいに、丁寧に」yoーサン 渾身の講義でした。8月はお盆に因んでの仏教講話などに参ります。
それでは皆様、ご自愛なさって下さいますよう念じつつ。






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フルーツの贈り物 二題

2018-07-22 | Weblog
       追熟を待つも楽しみメロンかな





今年もまた富良野メロンが届きました。毎年、夏の日の贈り物、大好物のメロンです。今年は、寺坂農園さん、大変な災難に遭われて案じておりましたが、こんなに立派なメロンと再会出来てハッピーです。


    ふた取れば甘くかぐわし甲州の桃の香りが部屋に満ちゆく





相次いで、甲州の極味桃「大糖領」が宅配便で。早速冷やして戴きました。お味はって。
勿論、ほっぺを押えながら戴きましたよ。(マジです・w)
猛暑つづきのこの頃、フルーツは何よりもうれしく有難きことです。
(お二人の贈り主に感謝感激のyoーサンです。

メロンの贈り主は、長年に亘り(もう30年にもなるかしら)研究会のお世話をして下さっている方です。色々なことによく気が付かれ、とても感性豊かな方です。

桃を頂いた方は、今年ふとしたご縁で、金沢の勉強会に出席された方です。彼女の笑顔に会っていますと、私自身が癒されるような気がします。(私の逆転移かしら。それもいいかな。)

今日も、朝からギラギラと照りつける太陽が恨めしいような1日でした。せねばならなことは、あれこれとあるのですが、あまり能率もあがらないうちにやがて暮れようとしています。
もう、明日の心に致しませう。それではまた。


ytoyoho16@arrow.ocn.ne.jp


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テーマは「心がふれあうとき」 カウンセリング・マインドをあなたに。

2018-07-05 | Weblog
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。
6月も講演や研修・講義を丁寧に、ていねいに務めさせて頂きました。いつもながら、受講の皆さまが「受講して良かった」と感じて下さり、明日からのお仕事や、日々の暮らしの中に生かせて頂くことは勿論のこと、yo-サンとの心のふれあうひと時にさせて頂きました。



医療関係の院内研修です。ますます素敵なDr、看護師さんに。

新発足のカウンセリンググループの例会での講義です。

電話相談員さんの研修です。電話相談の基本的心構えをしっかりと。


この夏も保育や教育関係の講演・研修を承っております。希望される内容や演題に沿って、SOHOワーカーの事務局さんが私の原案を元に、下記のようなレジュメを試作してくれています。





完成しますと先方様へ発送します。このピンクのA4封筒は、ある会の会員さんのデザインによるものです。

終日激しい雨風でしたが、ようやく落ち着いたようです。今、小雨のトレモロを聞きながらロイヤルミルクテイを淹れたところです。明日はとある読書会に招かれています。「モモを読む」というタイトルでお話しします。今宵、夢の中で構想を練ることにしませう。ごきげんよう。
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鯖を焼く青き煙や半夏生

2018-07-02 | Weblog
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。
いよいよ7月の声を聞きましたね。梅雨明け間近の北陸路は猛暑の昨日今日です。さて、今日は半夏生、新聞もスーパーのチラシも半夏生鯖の福井です。生活感あふれる話題ですが、これも地域の食文化なのですね。






  鯖を焼く青き煙や半夏生

今日は新鮮館さんへお買いもの。「ブログに載せたいので写真撮らせてね」と。すかさず「いいですよ」。
福井地元の大手スーパー新鮮館丸岡店です。店内は昨年リニューアルされてとても綺麗になりました。こちらへ出店以来利用しています。レジさんも長く勤務の方々も多く、何人か知り合いになりました。画像右側の方が店長さん。すごーく真面目そうで、いつも黙々と働いておられます。「内に秘めた情熱」がお有りかも。


因みに私は焼鯖は買わずでした。ふだん、食べたいときに戴きますので。ゴメンナサイ。

【閑話休題】
半夏生鯖も面白いのですが、yoーサンはやはりこれですねぇ。
yoーサンのyoーサン的こころ。

 (I・N花の画像より拝借)

  どことなく寂しい風情の半夏生  秘めた想いのさゆらぐような 

いつもながら、鳥海昭子さんのお歌です。

花びらのない寂しげな花ですがその奥に「内に秘めた情熱」が小さく揺らいでいる のかもしれません 七十二候で夏至から11日目にあたる「半夏至」が花の名前の由来です。
(故鳥海昭子さんの「ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌」より)

花言葉の「内に秘めた情熱」がいいですねぇ。恥ずかしながら、私の人生もずっーと「内に秘めた情熱」でした。知る人ぞ知るかしら・・・。
それではまた。皆さまごきげんよう。
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震央に咲く花  福井震災震源地の碑

2018-06-29 | Weblog
震央に咲ける紫陽花色褪せて



あれからもう70年に。今更ながら光陰矢の如しを、しみじみと思う1日でした。
6月28日の地元紙は1面トップに、昭和23年の福井震災記念日の記事でした。紙面にもありますが震源地は我が坂井市丸岡町と言われています。この碑は私の家から車で数分の所にあります。そんなに昔からあったという記憶はないのですが。


ここから眺める風景は昔日のままです。幼き頃、この辺りまでよく遊びに来ました。一面のレンゲ畑が瞼に浮かびます。レンゲソウは肥料になるので、お米の収穫の後に種を蒔くのです。

(6月28日曇り)

 早苗揺る小径辿れば幼き日 逝きし友垣 瞼に浮かぶ



 
白崎先生は中学時代の恩師です。

今年の大雪も丸岡町がニュースになりましたが、あの地震の被災も当地が大変だったのです。
戦災や諸々の天災に遭いながらも、愚痴や不平はもほどほどにして、また今日の日を懸命に生きていく、やはりそれはお念仏が土台にあるからかもしれませんね。

福井震災記念日の話題でした。お陰様で元気に暮らしておりますので。それではまた。
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日々(にちにち)の終活

2018-05-28 | Weblog
     そぞろ行く香林坊や若葉風

今年の大雪には本当に参りました。本来ならば待ち侘びていた春を謳歌したいところですが、まだ少しの後遺症を引き摺っております。しかしながら、精神的にはもうリタイアの私、日々(ここでは「ひび」と読んで下さいね)終活に勤しんでおります。それはあらゆる事柄、一つひとつに思いを込めながら丁寧に、ていねいにやることでもあると思い実践しております。



先日、金沢のあすなろ会さんの例会にお招き頂きました。かれこれ30年近くお呼び頂いておりますが、当に一期一会、これが最後になるかもと思いながら、丁寧に、ていねいにお話させて頂きました。今回は「金子みすゞ こころの宇宙」(矢崎節夫著)の中から「キラキラと輝いて」を引かせて頂きました。また、福井は若狭路からご参加下さった方があり感激でした。
空模様もよく、会場も香林坊近くの「ニューグランドホテル」、一度投宿したことがあり、懐かしく思いました。いつもながら美味しいお昼をご馳走になりました。久々に金沢の夜など楽しみたかったのですが、この日は残念ながら日帰りでした。

閑話休題
その後、会員さんのお一人からお手紙を頂戴しました。少し大きめの封筒なので何かしら?と思いながら開封しました。可愛い風鈴と、金沢の素敵な絵葉書が入っていました。何だか心がほぉっと温かくなりました。お手紙の内容も、私の話がお心に通じたようで、とても嬉しく思いました。
   金沢の女性(ひと)より届く風鈴の清けき音色 心に響く





家のメンテナンス工事1期分も完了しました。終の棲家は未だ見つかりませんが、この家も「故郷の廃家」とならぬようにと、これも終活の一環です。末筆になりましたが、講演なども月数回程度を全身全霊を込めて務めさせて頂いております。
   紫陽花の咲きて待たるる夏の日よ 今年はひとり旅に行きたし
それでは今宵はこれにて。

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蓮如の春

2018-05-04 | Weblog

この画像は、お東(東本願寺)さんの「しんらん交流館」H.Pより拝借しました。

  蓮如忌や念仏一つ出でにけり

丸岡城の桜も散り、坂井平野には麦畑が青々と広がり、そして蓮如さんの頃になると北陸路にも本当の春がやってきます。
あの大雪も、もう遠い日の出来事のように思え、瞬く間に時が過ぎていくような気がするこの頃です。そのように感じるのも加齢のせいでしょうか。

晴耕雨読の真似事、畑で春耕の途中の一服(ペットボトルのお茶です。「いっぷく」とはホンに佳き言葉ですね。煙草なども一服と言いますが、禁煙して随分と久しい私です。)
やわらかな春の陽射しを受けて、ブロックに腰かけた途端のお念仏でした。「念仏しようと思う心」が起きたのではなくて、ふと、ふうっと出たお念仏でした。(これぞ空念仏かしら。)

閑話休題
吉崎御坊の蓮如忌は北陸の春の風物詩とも言えます。こちらの人々は蓮如上人のことは皆「れんにょさん」と親しみを込めてお呼びします。特に吉崎御坊の蓮如忌のことは「よしざきの蓮如さんが始まったのぉう」なんて話します。地元紙も連日、蓮如さんに大きなスペースをとっています。











4月の17日、京都の東本願寺から、福井県あわら市の吉崎御坊まで蓮如上人の御影(ごえい・肖像画)の入った輿をリヤカーに積んでの240キロ・6泊7日の徒歩の旅です。蓮如上人吉崎下向の「御影道中」と言われています。
23日の夜、御坊に到着し、東西両本願寺吉崎両別院で5月2日まで法要が営まれます。その日に本山へのお帰り「御上洛」は5月9日までの7泊8日の行程です。途中の区間ごとにバトンタッチですが、全行程を付き添われた宰領と呼ばれる方は、福井県南越前町の宮路幹夫さんで79歳だそうです。沿道で手を合わせられる人、吉崎で待たれる人、法要にお詣りの人、お念仏の伝統はこのような沢山の人々により守られてきたのですね。

ブログと言えども何かのご縁ですね。今日は真宗宗歌をご紹介しましょう。
それでは今宵はこれにて。
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