コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

春は金沢 ボクの金沢日記

2023-04-15 | life

「春はあけぼの」じゃないが私には「春は金沢」である。この30年間春一番の講演はずっと金沢であった。

無事講演を終えて束の間の金ぶらである。コロナ以来なるべく電車やバスなど公共交通機関は使わない。ましてや金沢までは愛車で北陸道を走って小1時間。途中のSAでの休憩を入れてもだ。ナビは刻々と到着時間を知らせてくれるので、それに合わせてスピードや休憩タイムを調整出来るので便利だ。

長く厳しい北陸の冬が過ぎ、ようやく春の訪れがうれしい。少し肌寒い感じだがしばしぶらりしてきた。勿論人混みは極力避けて。中心部に近いのだが一筋奥へ入ると3丁目の夕日的な雰囲気の通りだ。すぐ目についたのが古書店。生来の本好きの私は吸いこまれて行く。

つづいてこんな町屋に遭遇する。歩かなければまずは発見出来ないロケーションである。

本通りを少し歩いてみると、さすが加賀様百万石である。内外の観光の人々が。

巻き込まれるとコワいから、この辺りで🅿へ戻り、北陸道金沢西ICへ。金沢滞在3時間ちょっと。こんなに短時間は珍しい。実はスケジュールがぎっしり。帰ってからせねばならないことが山積。まだまだ当に「生涯現役」のyo-サン。

なので、ブログの更新は元より拝見もままなりませぬ。どうぞご寛容にお願い致します。

ボクの金沢日記でした。今宵これにて。


タイトルのマイナーチェンジについて。再掲

2023-03-31 | Weblog

ブログタイトルを少し変更しました。マイナーチェンジ、それともイメチェンかしら。先日「どうして?」のご質問メッセージを頂きましたので補筆訂正して再掲させて頂きます。


2004年に開設以来18年間のタイトル「コミュニケルーム通信」に「あののFU」がつきました。元々、あののは「あののは窓 吸って吐いての風が流れます しなやかな時があります」が合言葉のようなフレーズでした。それで今回のFUは「風」、「ふう」から来ています。

今後は私の半生をかけてきた、温かな人間関係をつくるための「カウンセリング・マインド」を更に広げて行きたいと思っております。
拙ブログをフォローして下さっている
「わたしの心」のMrs.modestさん(一番最初にフォローして下さいました方)から先日「お役に立てることがありましたら」とのメッセージを頂きました。とてもうれしく存じます。以前から考えておりました通信会員(Web or Net)として多くの皆様のご参加を頂けましたら、とてもうれしいです。

「カウンセリング研究会あのの」は昭和63年(1988)2月に誕生しました。今年で35年になります。当初は任意の集まりでしたが、その後NPO法人になりました。発足以来20年間はフル活動でした。社会の中でそれなりの役割を果たしてきたとの自負があります。その後は文学(啄木や短歌・俳句等)や仏教(歎異抄)の講座を福井県生活学習館とタイアップして提供させて頂きました。

しかしながら、会員数の減少(教職や幼児保育等の方々が定年を機に退かれる等)や、長引くコロナ禍の中で、なかなか先が見えにくく時間ばかりが過ぎて行き、活動は停滞期に入りました。

私は創立以来、常任講師としてお迎え頂きました。その後、先代理事長が退かれて、次の世代にバトンタッチするまでの間の繋ぎでお引き受け致しました。でも、NPOは少し煩雑な事務もあり、私自身、理事長は元よりNPO法人はこの辺りで終焉を迎えてもよいかと思い始めました。

そのような折り、これまで私の講演や講座等ご一緒に学んで頂きました各地のお仲間より「もう一度お話をお聞きしたい」、「啄木や文学にふれたい」、「あののは私の心のふるさとです」・・・等々のeメールや本欄メッセージ、或いはお手紙を頂戴致しました。

とても嬉しいことですが、私には以前のような活動にはパワー不足を感じています。仮にコロナが終息しましても、講座、研修はちょっとしんどいかなと思うこの頃です。それで、このブログやネット等による全国のお仲間の皆様との交流が実現したらいいな、と思いブログ名もこのようにし、ご縁を頂ける方々への広報・伝言板的な要素もと思った次第です。

学びの母体は「カウンセリング研究会あのの」として私・米沢豊穂がカウンセリングマインドを基本に文学や仏教等、あらゆる意味での私の集大成にしたいと思っています。
学びの基本は今もこの1冊(下掲)と思っています。会のテキスト的役割も果たしてきました。教育、福祉、或いは学校・PTA等各方面でご愛読頂いてきました。
上梓以来20年にもなりますが、今も図書館や、教育関係者より「在庫はありませんか?」とお問い合わせを頂きます。もう書店にも出版社にも在庫はなく、事務局の残部も僅少になりました。



若泉征三氏は旧今立町(現越前市)の町長、その後衆議院議員をされました。当時は日本で一番若い町長さんでした。現在は地方自治や都市問題のコンサルテイングや講演等をされておられます。「行政に関わる者にとって受容や共感性(カウンセリングマインド)が大切」と仰って本会の顧問をして下さいました。

元小学校の先生でいらした方は「郷土作家と私」という読書感想文集にこの本を選んで下さいました。ほんの一部をご紹介します。





★温かな人間関係を築くための心と方法を学ぶ
★短歌、俳句や文学作品を通して感性の醸成
★ワークショップ・グループエンカウンター(心のふれあいの体験)
★仏教の教えとは
★歎異抄とは
★教育相談 人生相談 不登校・引きこもり、その他
★生きる日々の悩みにお応えして
★人間関係・家族関係
★フォーカシング
★悲嘆カウンセリング(grief counseling)
 身近な方を喪った方への心の支えにならせて頂きます

会員の方々には、長年カウンセラーとして新聞等の人生・教育相談の回答者、或いはラジオでのゲストスピーカーとしての経験をフルに生かしてお役に立てることが出来ますればサイコーかなって思っています。
私へのメッセージは欄外プロフ写真上の📧「メッセージを送る」よりお願い致します。

 

名残雪

2023-03-04 | Weblog

名残雪ふるさとの城凛とせり (筆者拙詠) 画像は我が町のシンボル丸岡城

ふるさと自慢ではなけれども、丸岡城は春夏秋冬いつ仰いでもいい。国宝であったが昭和23年の福井震災で倒壊し、その後再建された。小さいながら古武士の風格がある。この冬の大雪もほぼ消えた数日後、夜の間にほんの少し降った。画像はスマホで撮った1枚だが我ながら一幅の墨絵を見る如くであった。

ふるさとの山並みも神々しいばかりに美しい。春は光から秋は風からともいう。春は徐に近づいてくる。四季折々にふるさとの風景に癒されている。画像中央の二つの峰は「丈競山(たけくらやま)」で、私たち地元では「たけくらべ」と呼ぶ。北峰は960m、南峰は1,000mほどだったかな。二つの山が背比べしているように見えるでしょっ。

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える 遠いお山も背くらべ・・・♪

なつかしい童謡ですね。

閑話休題

以前講演にお招き頂いた石川県のある茶道の先生から「ささやかな茶会ですがどうぞお出ましを」とのお誘いであった。これまでにも幾度かのご案内を頂きながら、なかなか日程が合わなかった。というか機が熟さなかった。

ところが今回は私の日程に合わせて決めて頂いた。近年はお茶には縁のない暮らしなので不安はあったが「コロナ禍で久々の茶会です。社中の皆がぜひお話をお聞きしたいと申しますので」の言葉に絆されて、いそいそと出かけてきた。

マスク姿の茶会だが、言葉は少なくても一同和気藹々の雰囲気はさすがである。先生のお人柄がお社中の皆さんに薫陶感化されるものである。

勿論お薄のみであったが、お正客ということで(イヤな予感が的中して(@_@))講演よりも緊張した。しかしながら久々のお抹茶と銘菓は格別であった。

この日、とても心に残ったことがあった。それはお薄を頂いた茶碗についてである。形通りの拝見の作法に入ったが一目瞭然、私の好みの萩焼だった。茶碗の側面の腰の辺りが薄い茶系で、胴から上部にかけて乳白色に近い淡い灰色で、絵柄は無く萩独特の素朴で柔らかな感じであった。全く私のためのお茶碗!なんて思うほど、心憎いばかりの演出、いやお心遣いであった。

前回の講演はもう随分と前のことなのに、その時、たしか抹茶碗や焼物の話もし、萩焼が好きなことも話した。先生は私の好みを覚えていて下さったのだ。そして、お茶碗に先生ご自身が「名残雪」と名付けておられるという。これまた私の心の奥までお見通しかと胸にジーンとくるひと時であった。

下の画像は以前の講演について触れた拙文。当時、色々なテーマでシリーズ連載して頂いた。この時は茶道の組織の総会か研修会での記念講演であったと思う。

その後、少しばかりお話をさせて頂いた。冒頭に、

心にもあらぬわかれの名残かは 消えてもをしき春の雪かな  

と、定家卿の和歌を引いた。本来の意味はさておいて、侘び寂びの境地である。啄木を講じる時とはやや趣の異なるyo-サンの一面かしら・・・。

つづけて雪にまつわる話などをしばし。

定家卿の歌を最も重んじたのは茶道中興の祖とも呼ばれる武野紹鴎である。新聞随想の中にも触れた「見渡せば花も紅葉もなかりけり・・・」を茶道の心とし、自らの家の壁に貼っていた。それは次代の千利休にも大きな影響を与えている。以下その紹鴎に纏わるエピソードである。

ある雪の日の茶会である。庭の木々に降り積もった雪を花に見立て、花入れには花を入れずに水のみを入れ、脇の香炉に香を薫いた。それは、

雪降れば冬籠りなる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける  

と詠んだ紀貫之(古今和歌集の撰者の一人)の歌の意に通じるのである。また、ある夜咄の席に鶴首の花入れに水仙を入れたところ、壁に映ったその影があたかも鶴が空に向かって一声する姿のようであった。その頃の茶人たちは夜咄には花を入れなくなったとさえ言われている。現代の茶人に求められるものに気づかれれば幸いである。

端折ったが私の拙い講話は、まあこんな感じだったかな。茶道は茶禅一味といわれて仏道にも通じる。道とは利休居士も、

茶の湯は第一仏法をもって修行得道することなり」と残している。

茶会風景をお見せ出来ないのは残念だが、仏道修行の場でパチパチ写真は写さない。茶道も仏道も「道」である。仏の道、人の道である。お点前やお道具を写すことは論外。スマホやデジカメは元より、時計、貴金属等も全て外すのである。私は控えの間(寄り付き・待合ともいう)に持ち物全てを置いてきた。先生のお宅での親しく気軽な茶会と言えども私なりの矜持でもある。

今宵これにて。


諸人よ思い知れかし・・・

2023-01-12 | life

        

 三十年を 経ても忘れず送りきし 美しき花 我が誕生日

 

 6日の朝、家の電話の着信メロデイが。

 まさか と。昨年丁寧に、来年からはご辞退 の旨伝えたので、お花屋さんからではないだろう・・・と。

 ところが、まさかだった。

 「ミス・フラワーです。お花をお届けに参ります」と。しばし絶句だったが「有難うございます」と応えた。

・・・・・それでも、贈って下さるのだから、素直に頂戴するのが心だろうと決断した。贈り主のお心に感謝を込めてすぐお礼状を認めた。

 いよいよ八十路に突入した私だが、これまで1度や2度、或いは2年や3年ぐらい同じ方からお花やプレゼントを頂くことはあったが、30年余となるのはこの方のみである。並のことではない。まっこと忝い限りである。

 亡き母がいつも言っていた。「恩は石に刻み、恨みは水に流せ」と。贈り主は身をもってそれを実践してくれたのだ。私もまた石に・心に刻みたい。

 母はまた、私の生まれた日は大雪だったと。仏壇に手を合わせながら、噛みしめていたのは、

 諸人よ思い知れかし己が身の誕生の日は母苦難の日(詠人不知)であった。

 誕生日 母の遺影に水仙を 供えて我は八十路に入(い)れり 

 母を偲び、釈尊とその母・麻耶夫人を想う睦月の夜半である。

                            今宵これにて。

⭐お寄せ頂いておりますご要望・ご質問につきましては、個人様に回答させて頂いておりますが、内容によりましては次回に本欄に記させて頂きます。

⭐拙ブログは只今コメントを受け取らない設定にしてあります。現在、なかなかブログの更新やチェックする時間が取れずにおります。私へのご連絡は本ページ左側(プロフィール欄の上)のメッセージを送るよりお願い致します。


世の中安穏なれ仏法弘まれ

2023-01-04 | life

あのの・・・暮れから元旦へ yo-サンの近況・心境です

元旦や今日の命に遇ふ不思議

 今は昔、福井の東別院さんでお話をさせて頂きました。その翌年の元旦に、当時のご輪番(東本願寺の福井教務所長)様から頂いたお年賀状に、この一句が添えられていました。以来、毎年元旦には深く・深く味わさせて頂いております。誠に有難く、ただただお念仏申すのみです。不思議とは不可思議のことで人間の思議を超えたことなのです。

 親鸞聖人は 世の中安穏なれ仏法弘(ひろ)まれ と残されました。この言葉は聖人のご消息集(お手紙のことです)にあり、関東の門弟に送られたお手紙の中の一節です。

 本当に、今年こそ、世の中が安穏にと願うばかりです。それは、今日的にも世界の全ての人々が共に生きるための願いが込められていることだと思います。それにはやはり、仏法の広がることだと信じて止みません。

聖徳太子のお心「和をもって貴しとなす」、「篤く三宝(仏教)を敬え」をしみじみと思い返しております。親鸞聖人は太子を日本のお釈迦様と称えられています。さて、

法語カレンダー表紙の「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」は、実は歎異抄の中に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とあり、それと同じ味わいなんですね。このことは12月に小さな・小さな仏教講座をさせて頂きお話させて頂きましたが、少し難しくブログでは長くなりますのでまた別の機会に。

 もう一つカレンダーの話題です。毎年、このような素敵なカレンダー(下図)を送って下さいます。勉強会「自分学の会」の代表をして下さったSさんからです。お手紙も添えて頂きました。いつもながら優しいお人柄が溢れています。(この絵の原画はSさんのお友達のお嬢さんの作品です。)私の書斎に飾りました。

閑話休題

 12月に、本ブログのダイジェスト版を有縁の方々にお送りしました。(基本的にはPCやネット等をなさらない方々に)このブログ以前から継続している紙印刷版ですが、いつもお一人・おひとりに一筆メッセージも添えて投函します。

  皆様から自筆のお手紙を頂戴しました。勿論、メールでのメッセージも返ってきます。どちらもいいのですが、私のようなアナログさんは肉筆のお便りは、ホントほっこりします。特に今回は皆様長いお便りを書いて下さいました。とても嬉しく拝読しました。

 暮れには形ばかりですがお仏壇を拭いました。亡き母はお盆やお正月の前にはとても丁寧にお仏壇や仏具を磨いていました。そんなことを想いながらお経を読誦し(12月は両親の祥月)今更ながら父母を懐かしく偲ばれて涙する私でした。

⭐末筆になりましたが、ご提言やご質問等のメッセージをお寄せ頂いております。今回は、

Mrs.modest様からご提言の「オンライン講座」についてですが、私、相変わらず身辺慌ただしくて、一定時間PCの前でのお行儀は無理なのです。今後の課題とさせて頂きます。リアルの講座も、いつも主催下さる会や組織の担当の方が準備や進行等万事フォローして下さいますので、可能という有様です。本当に不器用な私です。どうぞご寛容にお願い申し上げます。

いつも、温かなお心遣いの数々、とても有難く存じております。心より厚く御礼を申し上げます。変わらぬご支援をどうぞよろしくお願い致します。

NPO法人あのの も、現・代表世話人さんのお身体が復調されたようですので、この春には、新しい世話人さんとも十分なる打合せをしまして、通信会員(仮称)制等も具体化出来ますれば幸甚と存じております。

それでは、今宵はこれにて。

⭐拙ブログはコメントを受け取らない設定にしてあります。現在、なかなかブログの更新やチェックする時間が取れずにおります。私へのご連絡は本ページ左側(プロフィール欄の上)のメッセージを送るよりお願い致します。

 

 


移ろう季の間に。近況・心境

2022-11-30 | life

通称yoーサンこと Counseling Supervisor 米沢豊穂の近況・心境です。

 晩稲(おくて)と呼ばれる最後の稲刈りが終わると、北陸路の冬は駆け足で近づいてくる。山々も美しく染められ、人も自然も冬支度に入る。

 豊作を寿ぐように虹が美しい。刈り終えた圃場は安らぎの表情を見せる。

 早苗が春風にそよぎ、夏の日差しに輝き、そして黄金の波打つ風景がつい昨日のように思われる。

 この地で生まれ育まれたコシヒカリは美味しい。越前福井が生んだ秀逸の銘柄。ネーミングの由来は「越の光」である。特に九頭竜川、竹田川の両水系の清流が坂井平野を潤しよいお米を育てる。

 画像は我がふるさと福井県坂井市丸岡町。虹の下付近に国道8号、北陸道が走る。画像の手前後方には北陸新幹線工事が急ピッチで進められている。金沢・敦賀間の開通も近い。

 

 

北陸道・丸岡IC を降りるとやがて→の標識が見える。直進すると福井市へ。左折すれば永平寺、右折すると丸岡城を経て芦原温泉方面へ。

いずれへも30分もかからない。丸岡町(お城を中心に)は丁度その中間地点である。近年はコロナ禍で観光の車両も少ないが、以前は春秋のシーズンには大型バスが何台も連なっていた。

コロナが収束して、芦原温泉や永平寺へおいでの節はどうぞお立ちより下さい。私宅もここから丸岡城方向へすぐです。

坂井市は東部の丸岡町の山を源流にもつ竹田川が、西部の三国町の日本海に注ぐまで、とても広い。久々に海に会いたくなって愛車を駆った。下記画像左は三国港付近の河口、右側はまさに Beautiful sunset!だった。 ひとり見入っていた私。移ろう季(とき)の間(はざま)に。 

閑話休題

時は疾風(はやて)のように駆け抜けて行った。地球の回転が3倍速になったのかと思えるほどに11月も慌ただしく過ぎた。

終活が脳裏を過る。想うこと全てをなし終えて還りたいものだ。ひと時の時間も疎かにはしない気持ちでいたいと自らに言い聞かせているこの頃である。

 最近 with corona  なんて言われる。コロナと共生・共存を意味するそうだが、英語圏では通用しそうにもない和製英語だ。それはともかく、コロナとの共生なんて御免蒙りたいものだ。with her ならgoodだが。

振り返ってみると、私宅(本宅・店舗)の内外の改修工事。所謂リニューアルで(リノベーションとまでは行かないが)工事の職人さんたちが入られると、打ち合わせや何かで結構たいへんなものだ。外壁工事は1個月余、内部は突貫工事で終えたが中の整理・配列等はそうは行かない。慢性的な人手不足の私宅、焦っても仕方がない。常に「今を生きる」私のカウンセリングの根幹でもある。

研修・講演の依頼も相次ぎ、久々に水を得た魚の如くでもあった。これぞ私の identity、yo-サンのyo-サンたる所以でもある。しかし、いずれも私の専門中の専門のカウンセリングや人間関係・コミュニケーションの分野である。まだ、啄木や文学を情熱的に語る機会がないのはチョッピリ寂しい。

 画像は長年に亘りお招き頂いている大手の社会福祉法人さんの新人職員研修である。コロナの中でも一度の中断もなく今年で35年になる。この2年間はオンライン

リモートであったが、今回は3年ぶりに集合研修であった。      

 勿論、広い会議室で受講の方々互いの距離は十分に取られている。

会場に入ると正面のスクリーンには一際大きな字で「お仕事、お疲れ様です」と映し出されていた。担当して下さる職員さんの温かなお心遣いを感じる。いつも一生懸命にお世話をして下さる。それは、私が40年間提唱し続けているカウンセリングマインドであり、とても嬉しく思うひと時であった。

 コロナによる機会減少で発声や声量に不安があったが、スズメ百まで何とやら、無事に務めさせて頂いた。

 恥ずかしながら最近影。第2講の「共感的理解」についての講義中で「傾聴」について話している。本来はこちらを最初にするのだが、今回は2回目にもってきた。聴くことは話すことよりずっと難しいからである。

 

共感的理解や傾聴については拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」に縷々書いているのでお読み頂ければ幸いである。                                                          

 自己表現については self‐expression であって、決して自己主張 self-assertionではない。

 世にあるアサーショントレーニング等とは似ていて非なるもの。私自身、自己主張はあまり好まない。最も大切にしていることは、肯定的自己表現である。

 

 否定形や命令形の言葉はイヤなもの。「よかった」「うれしい」「助かるわ」「楽しい」「素敵だ」等々をたくさん使いたい。「ありがとう」は最高の肯定的自己表現である。

末筆になりましたが、更新なき拙ブログをお訪ね下さったり、ご心配や励ましのメッセージを賜りました方々に心より厚く御礼を申し上げます。

お寄せ頂きましたご質問・ご提言につきましてのお返事は次回にさせて頂きたいと存じています。お陰様で yo-サン元気です。今宵これにて。


タイトル「コミュニケルーム通信 」そのルーツについて( 再掲)

2022-10-14 | はじめに。

タイトルについて質問メッセージがありましたので、現在休止中の記事を暫く再掲致します。


通称yoーサンこと仏教者にして Counseling Supervisor の米沢豊穂です。
以下は本ブログのルーツです。

まだパソコンなど無かった時代の頃。文具店をしていた友人が「ワープロと言うものを扱うことになったので、ぜひ買って欲しい」と言ってきた。1984年・昭和59年の夏であった。「へぇー、ワープロねぇ」、彼は「yoーサンには必須のアイテムだよ」なんて・・・。

それで、初めて「キャノン」のワープロ「ワードボーイ」を買った。当時としてはとても高い買い物だった。148,000円也。現在に換算すると幾らぐらいかしら。(画像はその頃の日本経済新聞の広告です。何故か大事に。)

液晶のモニターで1行ずつしか見えなかった。数年後、「キャノワード」という大きなものに替えた。デスクトップのパソコン並みの大きさだった。画面も大きく見やすくなった。プリンタはまだインクリボン式だった。その後、次々とラップトップ(古いねぇ、お年が分かるって)の新型が出てキャノワードを3回更新した。都合ワープロ4世代買い替えた。
ワープロを買ったのをきっかけに、今のブログの前身とも言うべき紙印刷の「コミュニケルーム通信」を四季報で発刊した。そのうち月1程度で発行した。その後パソコンの普及で、ワープロは次第に少なくなった。私の友人たちがパソコンに乗り換えても、私はワープロに愛着があり遅くまで使っていたが、メンテナンスなどに不都合が生じて遂にパソコンを買った。そのパソコンも現在のダイナブック10で3代目である。最後に買ったワープロ・キャノワードは今も持っているが使うことは無くなった。
ところが、先日、家の片付け中に未整理の書類の入っている段ボール箱から、ワープロで作成、紙印刷の「コミュケルーム通信」が出てきた。ふつう、ブログは日記や備忘録的に記している人が圧倒的だが、私の場合は元々色々な勉強会や、各地での講演研修の受講者の方々へのニュースレター的なものとして出したことが、ルーツとも言える。まあ、現在も基本的にはそのようなものだが。

これはNO.90 とある。99年8月1日付である。今から丁度20年前である。この時が90号なので、それ以前から発行していて、当初は四季報で徐々に月報になったので現在は創刊以来30年余になる。今でも一部の方々に、紙印刷でダイジェスト版も出している。
実は、バックナンバーは当時は3,5インチのフロッピーで保存していた。数年前にふと調べたいことがあり、そのフロッピーを、最後に買ったキャノワードで確認したら、全て「破壊されています」というメッセージが出て愕然と。紙印刷の物は殆ど散逸してしまったので残念で仕方がない。
しかしながら、辛うじて手元に残っているものを読んでみると、今更ながら懐かしく、輝いていた頃にタイムスリップしたひと時を過ごした。本当に当時は東奔西走していたのだなぁと・・・。
当時、ワープロも進化して、イラストなどの機能もあったが、敢えて自分で描いていた。これは出雲大社をイメージしたのかな。ちゃんと、toyo ってサインもしてるよ。(w)

P.S
コミュニケルーム
という名称ですが、かつて、福井市内にささやかな相談室を持っていました。それをコミュニケルームと称していました。それがこの通信のネーミングの由来です。
私へのご連絡は左サイドのプロフ画像の上部✉「メッセージを送る」からどうぞ。 

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近況・心境 文は人なり

2022-09-07 | Weblog

ある会の文芸誌が本年で終刊となる。私は会員ではないが乞われて創刊以来20年書いてきた。いよいよ最後の原稿を脱稿した。バックナンバーを繙いてみると、故人となられた方が何人もある。皆それぞれ生きてきたことの一つの証でもある。

創刊号の巻頭には、もう故人となられたが福井の詩壇をリードされた広部英一氏(詩誌・木立同人)より詩「夏空」が寄せられた。なぜか私のエッセイが次に。

その次の福田強氏は会の創立者であり、中野重治記念丸岡町立図書館(現・坂井市立)館長をされた。亡くなられてやがて7年になるが、私は長年氏の薫陶を受け恩人でもある。

この誌のネーミングは丸岡町(現・坂井市)出身の内田忠(大正、昭和前期頃の詩人、昭和19年39歳で没)の同人詩集「山桐」からとった。福田氏の本心は山桐本来の詩集にとの思いであったが、詩は簡単そうに見えても、とても才能のいる文芸なので書き手があまりいなかったようだ。私自身、詩は好きだがその才なく書けない。

私は生来、文を書くことは好きであった。小学生の頃の綴り方に始まり、読書感想文、青春時代は当時流行っていた若者向け月刊誌や抒情文芸誌に投稿。長じては新聞の随想等の連載、著書出版等。書くことは私の自己表現であり、常にアイデンティティの確認でもあった。

この頃は殆どの原稿は編集者の方からの要望で、パソコン打ちした原稿をEメールに添付送信する。以前は原稿用紙に書いていた。愛用の万年筆で升目を埋めて行くのがとても快い作業でもあった。勿論今でも筆記用具は万年筆である。漢字などを忘れると即辞書を引き、まずはメモ紙に書く。何よりのボケ防止でもある。ネットで一発で分かるが又すぐに忘れる。と言うか正確に書けなくなる。所謂、漢字ゲシュタルトが崩壊してしまうのである。読めても書けない人は多い。

近年は遅筆も著しくなった。今回も締め切りはギリギリ延ばして頂きながら推敲も十分出来ず終いであった。しかしながら書き終えた後の安堵感の中で飲む久々のビールの味は格別であった。ふだんはあまりアルコールはやらない。

<閑話休題>

長年、多くの方々の文章を読んできたが、読むほどに書き手の人柄、性格、或いは価値観等が解って面白い。文章とは必ずしも纏った作品に限らない。手紙やハガキ、或いはEメール、ブログもまたしかりである。取り分け私の専門のカウンセリング心理学からも裏付けられる。当に文は人そのものである。

締め切りまでに何日間もの時間をかけて書き上げた作品などは、書き手にある程度の文学的素養や文章作法も備わっている。また推敲も重ねているのでピタリと当たると言う訳ではないが、当たらずとも遠からずである。

日々更新されるブログの類は、前者のような背景はあまりなく、思いのままに書き連ねていることが多いので、その人の行動傾向がよく見えてくる。勿論、文章の巧拙を論じている訳ではない。多くのブログなるものを読んできたが、その書き方や内容を分析・考察して「ブログ人間模様」なんて書いても面白いかなと思っているこの頃である。今宵これにて。 


歎異抄と平家物語

2022-08-19 | life

以前、拙著「カウンセリングに学ぶ人間関係」を課題図書にされた読書会にゲスト参加させて頂いた。そのときに「今度は歎異抄を読むことになっていますので是非に」とのことだったが、折悪しくコロナの感染が広がり、一堂に会しての読書会は出来なくなった。その後、係の方から何度かメールやお手紙を頂いた。いつも「コロナが終息しましたら是非とも」とのメッセージを添えて下さる。

先日も近況を知らせて下さるメールがあり、会員の皆さんが歎異抄の文庫版を購入して読まれたそうだ。その感想として「現代語訳との対比の記述なので言葉の意味は分かるのですが、今ひとつ胸にストンと落ちないので」とのことであった。

たしかにそうだと思う。仮に私が行って単に高校の古典の授業のように講じても同様である。歎異抄には生き生きと響く親鸞の生の言葉が鏤められている。なので、親鸞の思想を理解し、その信仰に生きる者が自らの言葉で語ることによって理解を深めて頂けるのだと思う。しかしながら、コロナは終息どころか収束の兆しもなく更に感染拡大しているこの頃である。

近ごろ流行りのzoomやyoutubeなどの利用もあるが、皆さんはやはり一堂に会して、リアルに聞きたいとのことであった。私も本当にそう思う。長年お呼び頂いている研修先ではオンライン・リモートでの講義をさせて頂いている。しかしそれは会場、設備機器等が整っており、スタッフの方々の万全のフォローがあるから出来る。またそれは、あくまで研修であり講義だからでもある。

私は読書会やカウンセリング等の学びや集いは、参加者がお互いの表情や声がリアルに伝わり・感じられることを何よりも大事にしたいと思っている。同じ場で同じ空気を吸いながらやりたいと思っている。

ところで、読書会の次なる課題は平家物語にされたそうである。「こちらの時もぜひ出席を」とのこと。コロナの先行きは一向に見渡せないが、その日を心待ちにしている私。

<閑話休題>

歎異抄も平家物語も日本の中世的世界を支える国民的古典である。平家物語の冒頭の、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。風の前の塵におなじ。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ風の前の塵におなじ。

けだし名文である。これほど人口に膾炙された文はないであろう。全編を通してその低流にあるものは「無常観」である。一介の武士であった平清盛が太政大臣に上り詰め、「平氏にあらずんば人にあらず」とまで豪語したが、その極めた栄華も「盛者必衰の理」、高々20年ほどで滅びを迎えたのである。

もう800年も昔の物語ではあるが「無常」は今も変わらぬことである。それは釈尊のお悟りの根本「諸行無常」である。永遠不滅なんてものはないのである。清盛は、天皇により武士階級からは初めて「太政大臣」に任じられた。太政大臣とは、今で言うならば総理大臣のような地位であった。平家物語について長々記す余裕はないが、ふと先般のあの事件を思った。物語冒頭の「奢れる人も久からず」である。

「無常観」と言えば「もののあはれ」等と同様に日本独特の、ものの見方(観想)と捉えられるが、それは仏教思想の基本である。釈尊が辿り着かれた道は「諸行無常」であったと思う。「全てのものは移り変わる」ということである。それに気づけば自ずから如何に生きるかが分かるというものである。30年前の自分の写真を見てみよう。今の自分と比べてどうだろう。この先10年後は。いや1年後でもいい。自分の存在さえ不確か極まりない。

事件以来今なおネットやメデイアの情報穏やかならざるこの頃である。被害者と言い、加害者と呼ぶも、いずれも因果であり業である。「宿業」なのである。前回記した歎異抄の「人を千人殺してみよ」の数行先に、

よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人(親鸞)の仰せには、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。と唯円は書いている。意訳はせずにおこう。このまま味わって頂きたい。更には後序に親鸞の言葉が、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。とある。

「火宅無常の世界」とは、火に包まれた燃え落ちる家のような世界、つまり無常の世のこと。今の世も当にそうである。「そらごと たはごと」とは「空言(虚言)」、「戯言」と書く。事件の後、背景が露になってくる。関わり深い権力の側の発言は皆「そらごと たはごと」に聞こえてならない。

我が国中世に著された2冊の古典を繙きながら、しばしお盆のひと時を過ごしたyo-サンでした。お盆明け、相変わらず為すべきことがあれこれとあり、更新もお訪ねもなかなかままならぬ暮らしをしております。どうぞご寛容に。

それではまた。今宵これにて。

 


歎異抄とクリスチャン八木重吉の詩

2022-07-24 | life

前号で歎異抄より親鸞の言葉「ひとを千人殺してみよ」を引いたところ、何人かの読者の方よりメッセージを頂いた。

その中で、ある方が「歎異抄についてもっと知りたい・学びたい」とのことであった。お言葉はとても嬉しく有難いが、私はブログでそれを講じる器量はなく、他に多くの人たちが書物に著わしたりネットでも書いているのでそちらをご覧頂くようにとお返事をさせて頂いた。

歎異抄第二章に、はるばる関東から京都の親鸞の元へ「往生の要」を聞くために訪ね来た人たちに「・・・南都北嶺(奈良や比叡山)にも、ゆゆしき学生(がくしょう・先生)のおわします。どうぞそちらで聞いて下され」(筆者意訳)なんて言ってのける親鸞。趣旨はやや異なるが、私も何となくそんな感じであった。

これまでに何度も記してきたが歎異抄は短編である。まずは自ら繰り返し読んでいるうちに必ずや心に響く。その後、お尋(訪)ね下されば、私が感得し得たところをお話出来ると思っている。

<閑話休題>

先日の「小さな小さな仏教講座」の続きをとのご要望もあったので、以下少しばかり記しましょう。

クリスチャンの詩人の八木重吉の詩「秋の瞳」の中に「人を殺さば」と題して、

 ぐさり! と
 やつて みたし

 人を ころさば
 こころよからん

たったこの4行である。八木重吉のような敬虔なクリスチャンであっても、このように思うことがあるのである。人間誰しもこのように思うことがあっても、やらないだけのことである。

まさにそれは親鸞の言う「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」なのである。

八木重吉の詩は短いものが多いが幾つか紹介しながら、ご参加の皆さんと分かち合った。また何かの機会にup出来れば幸いである。

例の事件の加害者の行為は哀しいが、私は彼を責めることは出来ない。仏教は「殺すなかれ」と説く。されど、そのような因縁に繋がれば殺し、殺されてしまうのである。親鸞の言葉が殷々と私の耳を打つ。

命の尊さは誰であっても何も変わらないのである。この被害者のために文書を改竄させられた近畿財務局の職員さんの命もまた同様に尊く重い。

ロシアとウクライナの戦争はなおも続いている。幾千、幾万の兵士や無垢の人々が命を失っている。殺し合いは即刻やめるべきである。両国の指導者の責任は重い。 今宵これにて。

⭐八木重吉 詩人。東京都生れ。東京高師卒。敬虔(けいけん)なキリスト教信者で、キーツの詩を愛した。詩集《秋の瞳》は純粋な美しい心境を歌っている。没後《貧しき信徒》《神を呼ばう》《定本八木重吉詩集》等が出た。日本近代のキリスト者の詩として最も高い地点にあるものとされる。(百科事典マイペデイアより転載)