一週間を振り返って思うのは、やはり広島の土砂災害のことです。急速に進んだ都市化の波と自然との調和がうまく行かなかった、理由はある意味で単純なことですが、なすすべもなく真夜中の被災に遭遇された方々のご冥福をお祈りするばかりです。「東北大震災以来、この国は何か変」。昨日夕食のとき家内がぽつりと言いました。
さて、この夏、孫君と須磨の海釣公園に行く約束をしていましたが、あいにくの天候で行けなかったので、先週の日曜日、近所の釣り堀にヘラブナ釣りに出かけました。るんるんでのお出かけでしたが、残念ながら釣果はゼロ。それでも、一時は竿が大きく折れ曲がるほどの獲物が喰いついた感触が孫君の気持ちを高ぶらせたようです。次回は、須磨かそれとも琵琶湖に行こうということで、夏の約束はとりあえず果たすことができました。
琵琶湖といえば、昨日、玉岡かおる著「負けんとき~ヴォ―リズ満喜子の種まく日々」(新潮文庫全2巻)を読み終えました。暑い夏の昼下がり、藩主の娘と近江兄弟社を興し数々の西洋建築を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズの生き様を、明治、大正、昭和の時代の流れの中で蘇らせました。
注目したのは三つ。一つ目は、時代の黎明期における女性の生き様。米国留学帰りの津田梅子らに象徴される明治期の女性の社会活動、それが後に女性の地位向上、社会進出に繋がります。一方では家父長制の下に虐げられていた内なる女性の生き様。主人公である満喜子は、その両方において自らの生き方を考えました。二つ目は、明治の時代に宣教師として滋賀県・八幡にやってきて後に満喜子と結婚する米国人ヴォ―リズの生き様。布教活動のほか多くの西洋建築を手がけました。そして三つ目は、武士の時代から近代日本に生まれ変わる過渡期の人々の振る舞い。江戸から明治に変わった途端にすべてががらりと変わるわけではありません。そうした時代の節目節目で人々が何を考え、どう生きてきたかということ。一人の女性の生き様を、時代の大きな流れの中で浮き立たせた玉岡さんならではの世界が、私を魅了しました。
満喜子は、紆余曲折を経ながらも、米国留学を経てヴォ―リズと結婚し、共に滋賀県・八幡を中心に社会事業、教育事業に尽くしますが、文中に、小説のタイトルである「負けんとき」を彷彿とさせるくだりがあります。それは、満喜子が第二の母と慕う事業家・浅子の言葉です。「そんな片意地張らんと。あのな、勝とうとしたらあかんのどす。大阪は勝たへんのが華。相手を勝たしてなんぼが商売どす。けどな、負けへんのどす、絶対自分に負けんと立つのどす」。なるほどと思いました。私たちは、ついつい相手を説き伏せようとするけれども、もっと鷹揚に、強かに生きる。これが大阪商人の考え方なんでしょうか。
打ーちましょっ チョンチョン
もひとつ セ チョンチョン
祝うて三度 チョチョンのチョン
大阪での祝いの会でよく見かける「大阪締め」。米会所で行われる手締めが起源なのだそうですが、「売る米と買う米の値段が互いに一致した時、それで決まったと約束して打ったのが始まり」といい、「紙に書いた契約書もない、ただ口約束の米の値段。だがそうやって互いに納得して手を打ったからにはどんなことがあろうと守り抜く、それが大阪商人の信義であった」とありました。
ヴォ―リズ、近江兄弟社....。私たちが最初に思い浮かぶのは塗り薬メンソレータムでしょうか。何年か前、湖北の山小屋に行った帰り道、近江今津の街中でヴォ―リズが手がけた旧百三十三銀行今津支店(今津ヴォーリズ資料館)に立ち寄ったことがあります。今津基督教会館、関西学院大学の本館、大阪大丸百貨店(大丸心斎橋店)、京都四条大橋西詰めにある中華料理の東華菜館も彼の作品です。
この小説を読んで初めて知ったのは、One purpose, Doshishaで始まる同志社大学のカレッジソングがヴォ―リズの作詞だったことでした。それほどに近しい彼の存在が、一柳満喜子の生き様を通じて伝わってきました。そういえば、滋賀県にあるヴォーリズ記念病院ホスピスを舞台にした、細井医師とスタッフの、患者とその家族に「寄り添う」ケアのドキュメンタリー映画を観たのは1年前のことでした。
人は、時代の大きな流れのなかで、ひとつの関係性のなかで生きています。社会から乖離した存在なんてあり得ません。その意味でも、楽しい小説でした。これで私の「夏休みの友」は終えました。いったん中断していた塩野七生さんの「ローマ人の物語」に再び戻ることにいたしましょう。ええと、33巻「逃走する帝国<中>」48頁からの再出発です。
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