心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

お彼岸の日の京都散策

2014-09-28 00:11:40 | Weblog

 窓を開けると、金木犀の香しい香りが部屋の中にふわり漂ってきます。そして、どこからともなく秋の虫の音が辺りを包みます。そんな穏やかな秋の夜。9月も最後の土曜日となりました。家のリフォームも中盤を迎え、あとは玄関周りと外壁を残すばかり。これが終わると、年末までに庭と畑のレイアウト変更と続きます。

 お彼岸の日には、京都を散策しました。まず訪ねたのは、京都国立近代美術館で開催中の「ホイッスラー展~ジャポニズムの巨匠、ついに日本へ」でした。手許にある「西洋絵画の巨匠」には登場しない画家ですが、私が見入ったのがエッチング、リトグラフ絵でした。小さな小さな額の中に広がる中世ヨーロッパの社会、人の姿がありありと描かれていて、北斎に通じるものがあるという意味で、ジャポニズムを感じたものです。
 この日は、知恩院にお参りするのが主目的でしたので、4階のコレクションギャラリーはさらりと見たものの、なかなか見応えのある作品が並んでいて、家内は離れようとしませんでした。お隣の京都市美術館(写真の鳥居の向こう側)が9月末から11月末までの間、華麗なるジャポニズム展(ボストン美術館~印象派を魅了した日本の美~)を開催の予定なので、それをお目当てに、もう一度コレクションギャラリーを訪ねると言い聞かせて、外に出ました。(笑)
 お彼岸の日の上洛の大きな目的は、知恩院のお参りでした。午後3時半頃の到着でした。家内が足が弱いので、三門横から無料バスに乗って境内に向かい、まずは阿弥陀堂にお参りです。そのあと長い廊下を歩いて法然上人御堂に向かいます。ふだん宗教には無頓着な私ですが、小さい頃から慣れ親しんだお経の響きとお香の香りが心和みます。
 この日は、もうひとつの目的がありました。国宝御影堂大修理「瓦志納」です。9万枚もの屋根瓦に記名をいただいて奉納するものですが、人生がひと区切りついたことでもあり、少し踏ん張って「特別瓦志納」をさせていただきました。その記念に、御影堂の古材でつくった御念珠を5つもいただき、5人の孫たちに贈ることにしました。
 最後の目的は納骨の仕組みを訪ねることでした。いろいろ親切に教えていただきました。職場では今、企業墓のことが話題になっていますが、私は私の終の棲家を探しています。帰り道、なんとなく肩に重く圧し掛かっていた何かが解けて、身軽になったような気分になったものです。

 こんな1週間でしたが、今日は、市場調査の一環として、カール・ベッカー先生のご講演「安心して終焉を迎える日本的な看取り:その準備、受容、意味」を拝聴する機会を得ました。中高年の方々で500人収容の会場は超満員でした。長寿社会を見据えて。生きることの「意味」を考える時代になったんだと改めて思ったものです。
 さて、少し内向きな話題になってしまいました。明日は孫長男から空手の試合を見に来てほしいと直々のご依頼があったので、老体に鞭打って出かけることにしました。よって、この時間帯でのブログ更新とあいなりました。

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