心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

小雨が彩る京の紅葉

2012-12-02 00:17:09 | Weblog
 「霧のかかった晴天」「湿気があり、暗い」「霧のかかった晴天」「暗く湿度が高い。遅くに起床」「秋日和」「霧がかかった静かな秋の日」「霧がかかり静かな日、雲間から太陽が洩れる」「フェーンによる強風と雨」「風も鎮まり明るくなる」「フェーンの強風。雨をともなう突風」「天候はますますよくなり、爽やかになってくる」....。これは、トーマス・マンの1936年11月初旬の日記の書き出し部分です。霧深い秋のスイスの自然風景を思います。ナチズムの台頭に警鐘を鳴らすマンは、ドイツ国籍を奪われるという厳しい状況下にありました。同年11月にスイス国籍を得て、2年後にはアメリカに移住します。そんな一時期のマンの心の在り様を、この日記は如実に記しています。

 2週間前の日曜日、大阪難波の山羊ブックスという古書店で「トーマス・マン日記」(1935-1936)と出会いました。以前、東京神保町の小宮山書店で8千円という値がついていたのに、千五百円。躊躇うことなく買い求めました。帰りの電車の中でパラパラめくっていると、奥付に小宮山書店の印。同じものとは申しませんが、8千円の値札が付いています。流れ流れて大阪のミナミで手に入れるとは。これも何かのご縁でしょう。

 さて、きのうは家内と京都に出かけました。朝食の時のちょっとした会話がきっかけでした。恒例の行き当たりばったりのお出かけです。ネットで確認すると京都の紅葉も終盤のようでした。とりあえず「未だ見頃」の嵐山に向かったのですが、案の定、観光客の多さにうんざりです。雨も降り出して最悪のパターンに。





 小降りになった頃を見計らって嵐電に飛び乗りました。行先は仁和寺です。ここはお客もまばら。小雨は舞っていましたが時々陽の差す静かな境内を見て回ることができました。そして次に向かったのは竜安寺です。石庭を眺めて小休止したあと、鏡容池周辺を散策しました。小雨が紅葉を美しく彩る。本当に美しい紅葉を愛でることができました。



 こうしてお寺を散策していると気持ちが落ち着くのはなぜでしょう。.....戦後の精神文化のなかで私たちは、宗教に対して独特な思いを持っています。それが薄っぺらい個人主義であるならば、地域も家族も成り立ちません。この微妙な関係性の中で、私たちはなんらかの答えを見出さなければならない。せめて、草木を愛で、大自然の前で足がすくむほどの畏敬の念、素直でありたいと思います。



 かの鶴見和子さんは著書「日本を開く~柳田・南方・大江の思想的意義」の中で、「信仰」に触れています。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、デューイや岩田慶治の著書も取り上げて、宗教とアニミズムの違いについて語ります。人間が魂を持っているのと同じように、生きているもの、生きていないものも魂をもっている、宗教のように、教条や儀式があるわけではなく、自分より大きなもの、より良いものに対する畏敬の念、それがアニミズムであると。そうした振る舞いに光を当て、国家、社会とは異なる「地域」に焦点をあて、内発的発展論に迫っています。
 ひょっとしたら、アニミズムは「共生」の原点なのかもしれません。鶴見さんお勧めの岩田慶治著「アニミズム時代」は既に絶版になっていますが、先日ネットで古書店から取り寄せました。それをバックに入れて、きのうは京のお寺を歩き回りました。あっちにふらふら、こっちにふらふら。私の読書遍歴には節操がありません。

 さて、今年も残すところ1カ月となりました。きょう12月2日は、今夏急逝された大学時代の先輩の「お別れ会」に出席するため、滋賀県に出かけます。そんなわけで土曜日の夜は、京都散策の写真整理をしながらブログの更新をいたしました。部屋には、グレン・グールドが演奏するグリーグのピアノ・ソナタホ短調作品7が流れています。
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